プロフェッショナル・ゼミ

ある12月32日のこと《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

「ああ、降ってきた」
それまで椅子に寄りかかって、コーヒーをすすっていた宇一郎は、壁一面に取り付けられたたくさんのモニターを前に、すっくと立ち上がりました。画面の様子を気にかけながら、部屋の反対側の壁に近づくと、壁にかけられた「31」と大きく書かれた紙を一枚、めくりました。これは宇一郎の、仕事を始める前の儀式のようなものでした。

「さてさて、今年はどうでしょう」
宇一郎は急いで椅子に戻ると、外を映すモニターに、上から下へと、無数の白いものが流れていきます。宇一郎の仕事は、それを一つずつ拡大して、観察するのです。

几帳面にたたまれたもの。
とっさに隠したように、くしゃっとしたもの。
遠くへ飛ぶようにか、飛行機の形をしたもの。
授業中に回ってきたもののように、六角形に折ってあるもの。
容易に開けないほど、力いっぱい握ってあるもの。
いろいろな形をしていますが、どれもが白っぽい色をしていました。

宇一郎が観察しているもの、それは、手紙でした。

毎年、1年が終わるその日、つまり今日、12月32日には、その年1年間に、たまった手紙がいっせいに降るのです。 

「ば、か……ろ、う? あ、『馬鹿野郎』か!」
宇一郎のモニターでは、たたまれた紙を開くこともできるのです。くしゃくしゃになった紙を開くと、なぐり書きした文字が出てきました。
「こっちは……さ、ない、あ、『許さない!』だな」
太くて大きな字でした。
「ん? ご……め……ん、『ゴメンね』か」
今度は小さな文字でした。
「女子高生かな?」
器用にハートの形に折られた手紙を開くと、丸っこい字で『わたしの方がかわいい』とあります。
「おお、これは珍しい」
それは、忍者の手裏剣の形に折られた手紙でした。『おかあさん』とだけ、書いてありました。子どもの字のようです。

「中村くん、始まったそうじゃないか、今年はどうだい?」
その時です。モニターの一つに、髭の立派な男の人が映し出されました。
「先生こんばんは。今、連絡しようと思ってたところです。今年はなかなかの降りですね。いいご報告ができると思いますよ」
宇一郎は答えます。
「見てください!」
さっき見つけた手裏剣の画像を、先生、という人に送ったようです。
「おお、手裏剣型か。この時間でこれが出るとは、今年も期待できそうだ」
「はい、僕も楽しみです」
「しかし、これほどコミュニケーションの方法が発達したというのに、降る量は年々増えているという。いやむしろ、コミュニケーション方法が発達するほど増えていくのか、研究の余地はまだまだありそうだ」
モニターの向こうで笑っていた先生は、難しい顔で腕組みをしました。それというのも、さっき宇一郎が見た「馬鹿野郎」も、「許さない!」も、「ゴメンね」も、「わたしの方がかわいい」も、「おかあさん」も、全部、実際には相手に伝えられなかった言葉だからです。
「先生のおっしゃる通りですね。コミュニケーションが複雑になったからこそ、本音が言えなくなってきているのかもしれません」
「そしてそれが『手紙』という、実に前時代的で、アナログな方法で伝えられるという。なんとも皮肉なものだな」
そうです。この日降る手紙は、普通の手紙と違っていました。この一年、思っていたけど言えなかった、言いたかったけど伝えられなかった、そうした本音が、空に上り、雲の中で勝手にその人の筆跡で手紙となって、降るのです。
「本当にそうですね……」
宇一郎はあらためてモニターを見つめ、観察を再開しました。降りしきる手紙から、どんどん人々の本音が見えてきます。

怒り、恨み、反省、嫉妬……。

「本当はこんなに思ってくれてたんだ! 誤解してた! こちらこそごめん!」
「本当はそんな風に思ってたなんて! 信じられない! もう絶交だ!」
本音が書かれたこれらの手紙たちは、地上に着く前に、伝えられなかった人の元へと届けられます。届いた手紙が果たすのが、一体どちらなのか、宇一郎にもわかりません。

例えば同じ「ごめんね」でも、かんかんに怒っている人に届く「ごめんね」と、しんみり反省している人に届く「ごめんね」では、きっと受け取り方も違うのですから。

けれども、今年一年の言えなかったことは、今年のうちに届けられる。それだけは長年の研究の結果、発見された事実でした。

「しかしあれだな、今年も降る量が増えるのだとしたら、ここのところの天災との関係を、いよいよ疑ってみる時かもしれない」
先生は言いました。
「そうですね、研究対象が増えるのはもちろんうれしいことですが、その背景が天災での被害だとしたら、手放しで喜べない事情がありますね」
宇一郎が研究している手紙の中には、決して相手に届かない手紙、というのがありました。
それは、その年のうちに、この世界からいなくなってしまった人、死んでしまった人宛の手紙です。そしてそれは、生きている人たちに送られる手紙よりも、どういうわけか、多いようです。
ここのところの天災続きで、地上ではたくさんの人が亡くなっていました。

宛先が見つからない手紙は、誰にも届かぬまま、地上へと降り積もります。
これを人々は「雪」と呼び、その降る様子に、誰もが目を細めるのでした。

実際、宇一郎が学んだ大学があった町にもかつて、千年に一度の大きな地震があり、津波が起きて2万人もの人が亡くなりました。そしてたくさんの手紙が降り、その年の暮れは記録的な大雪になりました。これをきっかけに手紙の研究がいっそう進められ、今、モニターで会話している宇一郎の先生は、この道の第一人者と呼ばれるまでになっていました。

それまでは、寒い地方にしか降らないとされる雪でしたが、今では世界中、雪の降らない地域はないとまで言われています。さらに、年々、雪の量は増える一方です。こうした事態から手紙の研究は注目され、宇一郎もいっそう、研究に熱が入るのでした。

「先生、降雪量が増えていることもそうですが、僕がもっとも不思議に思うのは、二十年この研究をしていても、手紙の内容が大きく変わっていないことです」
宇一郎は、研究二十年目のベテランでした。それでもモニターに映る先生にはまだまだ及びませんが。
「ああ、君も気がついてしまったのかい」
「はい、では先生も?」
「ああ、ちょうど君くらいのときだったろうか。手紙を分類しようと思い立ってね」
「なるほど分類ですか、それはいい」
「これは人の、どんな気持ちに属するのか、怒りなのか、恨みなのか、はたまた嫉妬、反省、裏切り、建前、恐れ、悲しみ……などとまあ、いろいろ考えてな」
「はい! それでどうなりました?」
「失敗だった」
身を乗り出した宇一郎に、先生はぴしゃりと答えました。
「気がついたんだ。いろんな気持ちを装ってはいるが、その実、気持ちの一番奥にあるのは、『さびしい』、それだけなんだろうと、な」
「『さびしい』……ですか?」
「ああそうだ。わかってもらえない『さびしさ』が核になって、手紙はできているのではないだろうかと思ってな。分類はすっぱりやめた」
「『さびしい』か……」
宇一郎はまた、モニターに流れる本音を見つめました。

『馬鹿野郎』は……私の怒りをわかってほしい、ってこと?
『許さない!』は……許せないほどくやしかった? わかってほしかった?
『ゴメンね』は……私も、僕も、反省している?
『わたしのほうがかわいい』は、本当はもっと仲良くしたい?
『おかあさん』……に、会いたい?

ほんとだ、確かにそうかもしれないなと、宇一郎は思い始めました。

「おや」
先生との連絡が終わって、どのくらい時間が経ったでしょうか。宇一郎がもう一杯、コーヒーを淹れようと思い立ったとき、一つの手紙が目に止まりました。

その手紙はほかの手紙とは違って、少し薄い紙でできているようでした。丁寧に折られていますが、中に書いてある何かが透けて見えています。
宇一郎がやさしく開いてみると、そこには大きな文字で「32」と書かれていました。

「これは!」
宇一郎は思わず振り返り、部屋の後ろの壁を見ました。間違いありません。
それは、宇一郎が壁にかけている日めくりカレンダーでした。世界中に派遣されている手紙の研究者にだけ、毎年配られるオリジナルの日めくりです。
年月日に月齢、日の出と日の入の時刻、日替わりの研究格言と、今日のラッキー結晶。少し古ぼけてはいますが間違いありませんでした。
さらに、ところどころについたコーヒーのシミが、宇一郎のものだという何よりの証拠でした。今から8年前の年のものでした。

宇一郎はモニターに鼻がくっつきそうなくらい近づいて、手紙をすみずみまで調べてみると、紙のはしっこに、小さな手書きの文字を見つけました。

 お仕事おつかれさま。六花亭のバターサンドを用意して待っています。

間違いありません。宇一郎の恋人、香織の字です。六花亭のマルセイバターサンドは宇一郎の大好物でした。
8年前、この32日の仕事を終えた宇一郎は、まっ先に香織に会いに行きましたが、かないませんでした。
香織は新年早々、急に死んでしまったからです。

「まさかそんな……そんなことがあるなんて……」
宇一郎は驚きました。これまで、死んでしまった人への手紙が地上に降り積もることはわかっていましたが、死んだ人からの手紙の発見は、前例がありませんでした。
そして香織が死んだのは今年ではなく、8年も前のことです。8年もの間、香織の手紙は雲の中に保存されていたというのでしょうか。それとも……。

考えをめぐらせていると、モニターに映し出された「32」の文字が、宇一郎にはゆらゆらと揺れて見え始めました。
ガチャガチャ、バン!!
宇一郎は頭を冷やそうと、勢いよく部屋から飛び出してしまいました。

バルコニーに出ると、宇一郎の研究所がつるされている大きな雪雲から、変わらず無数の白い手紙が降っていました。しかし、宇一郎宛の手紙はないようで、顔にあたっても、冷たいだけでした。
気がつくと、宇一郎の手の中には、さっきまでモニターに映し出されていた香織からの手紙がありました。

 お仕事おつかれさま。六花亭のバターサンドを用意して待っています。

何度読み返しても、やっぱり香織からの手紙でした。はぁ、と宇一郎が吐いた息が白く闇を漂うと、マグカップから立ち上るコーヒーの湯気のように見えました。そして湯気の向こう側に、香織の笑顔が見えたような気がしました。宇一郎は思わずつぶやきました。
「僕も……会いたいな」
そしてあっ、と思いました。
すると宇一郎は少しおかしくなって、一人でくすりと笑いました。

「……中村くん! 中村くん! 何かあったのか? 大丈夫かい!?」
研究所に戻ると、姿が見えない宇一郎を、モニターに映る先生が心配していました。
「ああよかった。何かあったのかね?」
「あの、先生……」
言いかけた宇一郎の手の中で、香織からの手紙はすっと消えてしまいました。モニターを見ると、さっきまで映し出されていたはずの手紙も、なくなっていました。
宇一郎はびっくりしましたが、すぐにわかったように思いました。
そして答えました。
「いいえ、先生。僕もなんだか、『さびしい』が、手紙のもとのような気がしました」
「そうかい、君もそう思うかい」
先生は髭をなでました。
そして宇一郎は、何事もなかったかのように、モニターに向かって観察を続けました。うれしかったのです。香織の本音を知れたことが。8年間ずっと見ないようにしてきた、自分の本音を知れたことが。

それから二杯、コーヒーを飲み終えた頃です。
さっき宇一郎が出した手紙が、地上へと降り積もりました。

ある12月32日のことでした。

***

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