プロフェッショナル・ゼミ

盆踊りはなぜ回るのか?《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中野 篤史(プロフェッショナル・ゼミ)

「あーーっ、もうダメだー。苦しい……」 なんでこんなことに
なってしまったのでしょうか? 酸欠で思考がうまく回りません。

血が騒いでしまうとは、正にこういうことなのでしょう。
私の中をながれる日本人の血が黙っていなかったようです。
そして妻も隣で、飛び切り楽しそうです。
私たち2人の年齢を合わせると100に届こうとかという年なのにです。
2人とも、まだまだ元気な中年ですが、激しく動くには、
あまりおすすめのできる年齢ではありません。

この日は2人で八幡神社の大盆踊り大会を見に来たはずでした。
JR高円寺駅から2人でタクシーに乗り込み、5分ほどで神社の入り口に到着。
時刻は7月23日の19:00を過ぎた頃。太陽は住宅地の裏の方へ沈み、
既に通りは薄暗くなっていました。細い路地に面した鳥居からは、
細長く伸びた参道が奥のほうへ続いています。私達を導くように赤い提灯が
参道を照らしていました。綿菓子の袋をもった子供たちや、ビールを手にした
大人たちが、参道を行き来しています。そして奥の方から聞こえてくる
懐かしいメロディーと太鼓の拍子が、私の心をくすぐり始めたのでした。

私の出身地山梨県の上野原市(当時は上野原町)では、毎年お盆になると
各部落で盆踊りが行われます。盆踊りは大体近所の空き地や駐車場が
会場となります。私の実家の玄関は、年季の入った木製の引き戸でできていました。
開けるときも閉めるときも、かなり力が必要で、開け閉めの度にガラガラガラッと
大きな音をたてるのでした。錠は内側からネジを回して締める、時代遅れの代物で、
それが使われたことは一度も見たことがありません。なぜなら壊れていたからです。
つまり当時、私の実家は人がいてもいなくても、玄関に鍵がかけられることは
ありませんでした。

そんな渋い玄関だったため、開け閉めが面倒だからと、夏場はいつも開け放たれ、
戸のかわりに簾がかけられていました。実家から盆踊りの会場までは、
およそ50mしか離れていません。お盆になると毎夜スピーカーから流れ出た、
盆踊りの曲が、玄関の簾の隙間を通り抜け、わが家へ大量に流れこんできます。
ヘビーローテーションされる、炭坑節や東京音頭。様々な曲がかかっていました。
「月が~出た出た~、月が~出た~」という歌声が流れてくると、
いてもたってもいられなくなり、よく家を飛び出して行ったものです。
櫓(櫓)が組まれた会場は、近所のおばちゃんたちや子供たちで賑わっていました。
青年団が無料でふるまうカキ氷も楽しみの一つです。
普段は、化粧っ気もないおばちゃんたちも、この日とばかりに浴衣を着こなし、
格好良く踊っていました。会場から流れてくる炭坑節にほだされて、
盆踊り会場まで来てしまった私ですが、決して輪の中で踊ることはありません。
極端にシャイな私には、みんなと一緒に輪の中で踊ることなんて、
とても怖くて出来なかったのです。それに、踊り方も知りませんでした。
さらに盆踊りは女の子が踊るものという、その年頃にありがちな
先入観もありました。だから、カキ氷を食べながら、輪になって踊る人たちを遠巻きに眺めていたものです。盆踊りのその場の雰囲気に浸っているだけでも、
楽しかったのです。

妻と私が、ベビーカステラの香り漂う八幡神社の参道を抜けると、境内は
盆踊りの客でごった返していました。会場は、八幡神社と隣接する、
やはた幼稚園のお庭です。庭の中央に設置された櫓(やぐら)を中心に、
踊り手達の輪が4重5重にできあがっていました。聞き覚えのある、
懐かしい曲に合わせ、みんなが踊っています。しかし、お腹の空いた私は、
地元の飲食店がやっていた出店で、妻に焼きそばと自分には好物のカレーを
とりあえず買い腹ごしらえです。そして、大人になってもやっぱり私は、
踊りたくなる気持ちを抑え、遠巻きから眺めているのでした。

私に限らず、盆踊りの音を聴くと大体の日本人は、なんとなく気分が高揚して
踊りたくなるはずです。それは子供の頃から「お盆」が身体に染みついている
せいだと、私は考えています。もしかしたら、日本人だけではないかもしれません。
ブラジル人は、サンバを聴くと、元サッカー日本代表キングカズの
カズダンスのように、小刻みにステップを踏みたくなるのかもしれません。
またロシア人は、ロシア民謡を聴くと、腕組をしてしゃがみこみ、
足をカクカクさせながらコサックダンスをしたくなるのかもしれません。
ちなみに、膝の半月版を損傷している私は、コサックダンスを見ているだけで、
悶絶しそうな気分になってきます。

ひょっとしたら、人間は音楽を聴いたら踊りたくなるよう、
あらかじめDNAに書きこまれているのかもしれないとも考えます。
そもそも日本人は一体いつから踊っていたのでしょうか? 
盆踊りの起源は一遍常人の念仏踊りとも言われていますが、
もっともっと太古の昔から日本人は踊っていました。
古くは縄文時代や石器時代から踊っていたのではないかと推測しているのは、
民族学者の沖浦和光さんです。沖浦さんが言うには、踊ることや歌うこと、
舞うことは「芸能」の原点だそうです。それは、現代の私たちの認識している
エンターテインメントとしての芸能ではなく、
もっと人間の根源的なものなのようです。簡単に言えば、「芸能」とは
神々や精霊たちの世界との交流に使われ、「狂う」状態に入ることだそうです。

日常を忘れさり、忘我の境地へ没入することを、ゾーンに入るという
言い方をしますが、沖浦さんはこのような状態に入ることが、
芸能の境地だと言っています。確かに、おっしゃることはよくわかります。
なぜなら、私もよく「芸能」をやるからです。私の場合は、清志郎のライブDVDを、
部屋で1人、観ておどりながら没入しています。沖浦さんの説を借りますと、
一見、中年の親父が自室で清志郎を観ながら踊っているという、
第三者から見たらとても怪しい光景が、実はそれ自体が非日常を体験するための
芸能だったということです。多分に自己正当化していることを否めませんが、
つまり私は神々の世界との交流を、清志郎というメディアを通じて
やっているようなものです。そう考えると、とても神聖なことをしている気が
してきます。大昔から人間がそのようなことを繰り返しやっているとしたら、
人間にとって、たまには「狂う」という体験は、必要なことなのかもしれません。
そういう意味では、現代はとても便利になりました。昔は火を焚いて、
手拍子をする人や太鼓を叩く人がいて、唄者がいて、踊りながら集団で「芸能」を
やっていたのに、今はそれが1人でできてしまいます。
さてみなさんは、日常どんな「芸能」をやって狂えていますでしょうか?

やはた幼稚園の庭の中央に設置された、腿の高さほどの櫓の上では、
おそらく地元の踊り同好会と思われる人たちが4、5人で踊っています。
そこは、言わばジュリアナ東京でいうところのお立ち台。
日頃から練習を積んできた人達にのみに許される、聖域に違いありません。
この聖域を取り囲む外界では、一般の踊り手達が回っています。
さらに、その外側からカレーを食べながら眺めているのが私です。
踊る人たちを見ていて、気づいたことがあります。
沢山の群衆の中でも、踊りの上手い人は、遠くからでも人目を引くのです。
「あっ、またあのご婦人が回って来た……」という具合に。

そもそも、なぜ盆踊りは回るのでしょうか? 宇宙兄弟に出て来る
アメリカのラジオ番組のDJならば、こう答えるにちがいありません。
「いい質問だね、カール君。それは元にいた場所へ戻って来るためさ!」と。
しょうもない答えのようにも聞こえますが、実はこれって本質的な回答
になっているかもしれません。神話学者のジョーゼフ•キャンベルさんは、
様々な民族の神話を調べていく中で、その根底に共通するストーリーが
あることを発見しました。彼はそれをヒーローズジャーニーと名付けます。
実はこのヒーローズジャーニーは、スターウォーズなどの
多くのハリウッド映画でも、そのストーリーの骨格として使われ
ヒットを生みだしています。

それはいったいどんなストーリーなのか? 
ざっくり説明すると次のようになります。
まず主人公(自分)が、天命を受けるところから物語(人生)がスタートします。
ある日、主人公が旅立ちを決意した時、それを導くメンター(先生)があわれます。
しかし、そこへ悪魔(障壁)が立ちはだかります。
この悪魔を倒す(乗り越える)為に、主人公は、自らの変容を
余儀なくされるのです。最後にその悪魔を倒し(課題を完了し)て、
主人公は故郷へと還る。もしかしたら、桃太郎の話も似たような
流れになっていることに気づいた人もいるかもしれません。

私たちは最終的に生まれた場へ還りたいのかもしれません。
必ずしも、それが地理的な故郷をさすとは限りませんが。
盆踊りは、擬似的にその帰還を繰り返しているようなものです。

ふと気づくと、八幡神社に流れる音楽は止まっていました。
人々の踊りの輪は解かれ、バラバラに人が散っていきます。
もう終わりなのでしょうか? そう思っていると櫓(やぐら)とは
違う方向から音が鳴り始めたのです。何事か……? 
音の出所は神社に隣接する、やはた幼稚園の屋外の階段からでした。
視線を向けるとなんと1階と2階の階段踊り場にDJブースが設けられています。
ブースの後ろで、うごめくDJと思われる人影。そして、スピーカーから
聞こえて来たのは、声に張りのあるド民謡。
この日のために、民謡DJなる方が、招かれていたようです。
そこから、庭はカオスのダンスフロアーと化していったのです。

スピーカーからは、津軽じょんがら節や、安木節など、
数々の知っているナンバーが流れていたのですが、
それらは知っているのに知らない曲でした。なぜなら
それまで民謡を、踊る曲として聞いたことは、なかったからです。
踊りながらダンスミュージックとして民謡を聞くと、
まったく違う聞こえ方をするのです。私の民謡に対する先入観は
一夜にして崩壊しました。
自慢ではありませんが、20代の頃はクラブへ通っていたこともあります。
それから、海外のレイブと呼ばれる野外で行われる大きな音楽イベントへも、
何度か足を運んだ経験があります。だからそれなりには、
ダンスミュージックというものを知っているつもりでいました。
でも、この日本の民謡きたら……。

いつのまにか私は、自分が笑顔でダンスフロアの中にいることに気づきました。
自分の足の裏に、地面を踏みしめる感覚が伝わって来ます。
いけない遊びを知ってしまった嬉しさと、
これまでそれに気づかなかった少しの後悔が混じった、
なんとも言えない、でも決して悪くない感情が込み上げています。

先ほどから、DJに踊らされつづけ呼吸が危うい状態です。
このままでは、故郷へ帰還する前に、あの世へ帰還しそうな勢いです。
私は妻に言いました。「そろそろ、一緒に還ろうか」。

***

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