プロフェッショナル・ゼミ

ベストアルバム《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:高浜 裕太郎(プロフェッショナル・ゼミ)
※このお話はフィクションです。

世界が待ちに待った、私の『ベストアルバム』が先日発売された。
メディアは連日私のアルバムについて報道し、CDショップに長蛇の列が出来ている様子を、世界中に向けて流していた。
当然と言えば当然だ。だって私は、世界的なロックバンド、「シュタインズ」のギターであり、コンポーザーであるからだ。その私が、初のソロアルバムを出した。
タイトルは『ベストアルバム』といった。私の全てを注ぎ込んだアルバムと言う意味で、こういう名を付けた。
発売を間近に控えたインタビューで、私は報道陣に向かってこう言った。
「今度のアルバムは、私の全てを注ぎ込んだ。言うならば、私の分身のようなものだ。素晴らしいアルバムになっていると思う」
私がこう言うと、メディアは大騒ぎになり、それに伴って、アルバムは予約が殺到した。
自分で言うのも変な話だけれども、私はかなり影響力のある人物だと思う。私が入っているバンドである「シュタインズ」は、世界40ヶ国でライブを行い、CDの総売り上げ枚数は、この国で歴代トップになろうとしていた。
そのバンドのギターであり、コンポーザーでもあった私は、言うならば「スター」であった。自他ともに認めるスターだったし、私はスターとして振る舞っていた。
「これで、俺は幸せになったんだ」
私の周りに広がっていたのは、まるで高い所から見る夜景のように、素晴らしい景色だった。一点の曇りも無い、素晴らしい景色だった。そして、その景色に雲がかかること等、断じてないと思った。もう落ちる心配をしないでいいくらい、私は高い所まで来たと思っていた。

けれども、目の前に広がっていた夜景は、幻想だった。私の過去が見せた、綺麗な幻だったのだ。

『ベストアルバム』が発売されて、1ヵ月程経過した。すると、世間の反応は、まるで化学変化を見ているかのように、大きく変化した。
「ジョー、一体どうしたというんだ?」
「史上最悪のアルバム」
「世界的アーティストが犯した、たった1つの過ち」
新聞やメディアには、そんな言葉が躍った。一体誰が初めに言ったのか、それは分からない。けれども、わずかな火種は、私が気付かない間に大火災になってしまっていた。そして、それはもう、誰にも止められなかった。
私は、それらをなるべく見ないようにしていた。まるで、弾丸か、矢の雨かのように、私に降りかかる罵声、それになるべく気が付かないようにしていた。
けれども、たまたまある新聞で読んだ、とある評論家の言葉が、私の胸に刺さった。まるで、優れたスナイパーが確実に心臓を射抜くかの様に、その言葉は私の心臓を、鮮やかに射抜いていったのだ。
「このアルバムは、ジョーの負の感情が詰まっている」

あぁ、そうだと私は思った。彼の言っていることは正しい。
私は、アルバム発売前のインタビューでも言ったが、このアルバムに全精力を尽くした。私が今まで生きてきた35年間の全てを注ぎ込んだ。もしも私がケチャップやマヨネーズだったなら、もう出ないくらいに、容器を絞りまくった。結果、私の負の感情が滲み出たアルバムになってしまったというわけだった。

正直、こうなることが予想できなかったかと言われれば、嘘になる。ただ、ここまでのスターになった私が、負の感情を見せても、世間は見逃してくれるだろうと思った。けれども、それは私が抱いた幻に過ぎなかった。
私はこのアルバムに、意図的に負の感情を詰め込んだ。「このアルバムは、私の分身のようなものだ」と言ったのも、私の内面の部分を、このアルバムに詰め込んでいたからだ。
『ベストアルバム』が認められれば、私は本物のスターになれると思った。けれども、世間はそれ程、スターに対して甘くは無かった。

テレビや新聞は連日、『ベストアルバム』についての批評を、面白おかしく報道していた。私はそれらをなるべく見ないようにしていたが、ここまで報道が続くと、矢の雨をかわせなくなってしまっていた。
テレビのワイドショーでは、私が会った事のない自称音楽家や作家が、私のアルバムについて論じている。
別のチャンネルでは、私のアルバムを地面に叩きつけて、踏みつぶしている映像が流れていた。
インターネットのオンラインショッピングでは、私のアルバムが1円で売られていた。

それらを見ると、まるで私とは何の関係もないことのように錯覚してしまう。今目の前で流れている映像は、私ではない見知らぬ誰かの話であると。
けれども、「ジョー」と私の名が、テレビから聞こえる度に、私は頭を抱えてしまうのだ。

「受け入れてもらえなかった」という事実と、「スターの座から落ちるかもしれない」という恐怖が、私の頭の中を支配していた。

そもそも、私は複雑な環境で育った。自分で言うのも変な話だが、私を取り巻いている環境は、はっきり言って異常だった。
まず私は、自分の親の顔を知らない。誰に聞いても答えなかった。孤児院で私の世話をよくしてくれた人も、私の出生については、何も知らなかった。あるいは、知らなくてもいいことと判断し、私に教えなかった。
まるで、周りの皆が、私に嘘をついているような感覚に陥った。誰か1人くらい、私の出生について知っていてもいいはずだと、幼い頃の私は思っていた。けれども、私は結局、自分が何者なのか、どこで生まれたのか、分からないまま幼少期を過ごした。

学校に通い始めると、そのことでいじめられるようになった。
「おいお前、お前の家はどこだ?」
帰る家は孤児院があるけれども、今私に話しかけている奴らは、そう言う事を言っているのではない。「お前は、どこの子供か?」と聞いているのだ。
誰が言い始めたのか分からないが、いつからか「私は親に捨てられた子供」という噂が、学校中で広まり始めていた。
まだ、ひそひそ話くらいで完結していた頃は、私は気にも留めなかった。けれども、今ではまるで、大火災の様相だ。私が廊下を歩く度に、見知らぬ誰かがひそひそ話をする。ちょっとやんちゃな奴は、私に話しかけてきて、何も答えない私の腹に、パンチをくらわすのだ。

「親がいない」というのは、色々と都合の悪いことが多かった。例えば、周りの子供がお昼に弁当を食べている時に、私は彼らと同じものを食べることが出来なかった。彼らが、休みの日に遊園地に行っていても、私は行くことが出来なかった。
「なんて俺は不幸なんだ」
小さい頃の私は、ずっとそんな風に考えていた。私は世界で1番不幸だとは思わなかったけれども、それでも幸せだとは思わなかった。私は遊園地にも行ったことは無かったし、美味しい弁当を作ってもらったことも無かった。
その頃から、私の中に1つの思いが芽生え始めた。いじめや理不尽という水を撒いたら、出てきた芽だった。
「絶対幸せになって、こいつらを見返してやる」
私はそう思うようになった。

それから数年後、私は孤児院の何人かと、バンドを結成した。私以外のメンバーも皆、私と同じような思いを持っていた。決して綺麗ではない思い。もしその思いが芽になったとしたら、きっと、その芽は真っ黒になっているだろう。

私達には、優れた楽器の技術があったわけではない。特別なセンスがあったわけでもないと思う。私達にあったのは、「世の中の誰よりも、幸せになってやろう」「世の中の誰もを、見返してやろう」という強い思いだった。それがまるで、私たちの心の中で、まるで石炭に静かな炎が灯るように、燃え続けていた。
その奥底に眠る炎があったから、私達はここまで来られたのだろう。「シュタインズ」は今では、世界的なバンドになった。あの孤児院の中で、埃のようにくすぶっていた子供達が、世界へと羽ばたいたのだ。
そして私は、「スターになった」

「シュタインズ」の楽曲は、基本的には、サービス精神が宿されていた。「自分達のやりたい音楽」というものを、私達は持ち合わせてはいなかった。「どういう曲を作ったら、売れるのだろうか」「どういう曲を作ったら、偉くなれるのだろうか」私達はそのことしか考えていなかった。
言うならば、私達は、人々を騙し続けて、スターになったのかもしれない。人々は、私が作る曲に共感をしてくれた。踊らされているとも知らずに。バンドが有名になる為の礎になっているとも知らずに。

けれどもある時、誰かが囁いた。「本当にこれで満足か?」と。
最初はそんな声を無視していた。けれどもその声は、まるで鐘でも鳴っているかのように、私の頭の中を支配し始めたのだ。
「そこまで言うなら」
私は誰にそう言ったのだろうか。とにかく私は、1度だけ、正直なアルバムを作ってみようと思った。幸いにも、私の下にソロアルバムの話も来ている。これを使って、1度だけ、本当の私を見てもらいたいと思った。

その結果がこれだった。
事態はますます悪化している。まるで、政治家を批判するかのように、大きな横幕を持った人が、私の行く先々にやってきた。
「お前なんかもう知らない」
「消えろジョー! お前の顔なんか見たくない」
それらの言葉は、私が小さい頃の毎日のように聞いていた言葉だ。何とも不思議なものだ。大人になってまで、こんな言葉を投げかけられるなんて。きっと私は、悪口を言われ、批難される運命にあるのだろうと思った。
けれども私は、落ち込んでなんかいられなかった。なぜなら、今月末にはライブを控えている。最大5万人を収容できる、大きなホールだ。そして、初めての私のソロライブだ。
そこで私は、きちんとファンに向き合わなければならない。もしもそれを怠ってしまえば、私はスターの座から真っ逆さまに転落してしまうだろう。今まで積木のように、慎重に積み上げてきたのに、それが全て無駄になってしまうのだ。

ライブまでには色々なことを考えた。
「あのアルバムは駄作だった。捨ててくれ」とファンに許しを請おうかと何度も考えた。けれども、また私の中の誰かがこう言う。「それでいいのか?」と。
その言葉は、何度潰しても、私の中から消え去ることは無かった。完全に消し去ったと思っても、ふとした瞬間に、また聞こえてきてしまう。「お前は、皆を騙している。それでいいのか?」と言ってくる。
それではいけないことは、私にも分かっている。けれども私は、自分がスターでなくなることなんて、考えたくはない。このまま、自分の内面をさらけ出したアルバムを作り続けていたら、ファンは減ってしまう。それは、嫌だ。
何度も葛藤した。あのアルバムの曲を歌うか、歌わないか。けれども、まるで迷宮に入っているかのように、答えはなかなか出なかった。そして結局、当日になっても出なかった。

ライブ当日を迎えた。
あんなに騒いでいたのが嘘のように、ホールは満員になっていた。立ち見まで出ている。その数が、私がスターであることを証明していた。
もし、『ベストアルバム』の中の曲を歌ってしまえば、客はどのくらい減ってしまうのだろうか。もし、バンドの曲を、私がカバーし直して歌えば、きっと皆とどまってくれるだろうな。そんなことを考えた。

そして幕が開いた。真っ暗な中、オープニングのミュージックが流れる。そこで私は決意した。
ファンもざわついている。真っ暗で何も見えないけれども、明らかに動揺しているのが分かる。
ついに入場になった。不安は無い。もう決めたことだから。

まだ照明の点かない中、私は歌い始めた。曲目は、「Love me」という曲。『ベストアルバム』の1番始めのトラックに入っている、ゆったりとした曲だった。

それを歌い始めた途端、会場がざわつき始めた。そして、真っ暗な会場のあちらこちらから、まるで雲の隙間のように、光が射しこんでいた。私には、それが何を意味しているか、すぐに分かった。
「やっぱりか」
私はそう思った。5万人は入っていたであろうホールは、瞬く間に半分以下の人数になってしまった。それからも人は減り続け、歌い終えることには、3000人くらいになっていた。

「それでもいい」
私はそう思った。やっぱり私は、目を背けなかったのだ。今まで、皆を騙してきたということに。
本当の醜い私を隠し続けるのが、もう限界だったのだ。だから私は、正直になろうと思った。それで、受け入れてもらおうと思った。
もちろん、子供の頃に抱いた思いを、完全に捨て去ったわけではない。今でも、あの時私をいじめていた奴らより、偉くなりたいと思うし、幸せになりたいと思う。
だからといって、私が誰かを不幸にしていい理由は無い。騙していい理由にはならないのだ。ようやく私にもそれが分かった。

歌い終えた時、乾いた小さな拍手が、大きな会場にこだました。その様子を、私は涙ながらに見つめていた。
「この人たちが、今の私を支えてくれるんだ」
そう思って、私は少ない観客に向かって、深々と頭を下げた。

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