メディアグランプリ

書くことは「癒し」である ~ライティング・キュアのすゝめ~


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記事:栁瀨進一(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
心の中で考えがまとまらない時、あらゆる思考が混ざり合っている時に自分が何を思っているのかを明らかにしていくには、脳の中だけで整理するだけでは不十分であるように思う。

脳の中の想いや思考は形として残らないため、時間が経つにつれ跡形もなく消えて行ってしまう。また、そうした整理されない情報が増えれば脳の中の思考や発想は複雑に混ざり合って訳が分からなくなってしまう。

しかし、我々は思考の履歴を残すために思いついた事を筆記できる。脳の中でゆらめいている思考や感情を紙などに転記すれば、その時の脳の中の情報を時が経ってもある程度再現できる。

書くことは情報を整理・伝達するうえで今も昔も伝われている。8000年前のメソポタミアでそうした形跡が発見されたようだ。発見されていない形跡例も含めれば、もしかするともっと古くから筆記行為は存在したかもしれない。こうした事例も存在するぐらいなのだから、書くことは非常に原始的な情報伝達手段と言える。

 しかし、そんな書くことについて新たな事実が浮かび上がった。「書くこと」は情報伝達という機能だけを持っているわけではないというのである。

アメリカにおいてライティング・キュアなる言葉が生まれたらしく、研究者達の間でも話題になっているそうだ。なんでも、「書くこと」が心を整えるうえで一定の効果を出している、ということが近年の研究で明らかになったらしい。つまり、「書くこと」が「癒し」になっているというのである。

 そんなことを聞き、興味深く思った私は、ある日、思いのままにパソコンで考え付いたことを入力し続けた。今までの出来事や好きな事、嫌いなこと等をなるべく包み隠さず文章化することに努めた。

そんなことをやっていると、ふと自分が小学1年生のころに戻っているような気がした。
当記事では、書くことと癒しについて考えさせて頂いた。

 私が思うに、人間はその時その時に発生した感情をそのまま出すのが最も望ましいように思う。悔しい時には悔しい。楽しい時には楽しい。悲しい時には悲しい。という具合に感情と外側が一致した状態が望ましいし、ストレスもかからないものだと思う。

とはいえ、正直に感情を出すわけにはいかない時もある。社会で生きている以上、協調性やその場に応じた立ち振る舞いをある程度求められる。

 そんな中で、理不尽な扱いをしてくる人や嫌な人、あつかましい人、恩着せがましい人、ずるい人。そうした人々に必要に応じニコニコしていると、表面上は問題が起きなくても表面上に見えない不快さは溜まってくる。

感情と外側が一致していなければ意識されない不快さは蓄積されやすい。かといって、感情を馬鹿正直に出しても社会からは冷ややかな見方をされる。ただし、そんな状態の中で感情を表現しないことはイライラするし、どうしても精神的に病みがちになる。我慢に我慢の連続を重ねればストレス耐性は落ちる。

こうした対人関係に限らず、ストレスの原因となるものと触れ続けていれば、しびれを切らしてストレス耐性は低くなるだろう。こうした中で誰にも話せない辛さを吐き出す方法として、「書く」ことが注目されるようになった。

 実際にこうした書く作業を行って気づいたのだが、こうした書く作業は自分の持っている悩みを「心理的に解決」する効果を持つのではないかと思う。つまり、心の中を整理して自分の主観や思考の中で決着をつけるという事が出来るという事である。

小学生くらいの少年でも同じである。嫌なことがあった時に両親や祖父母にその嫌なことについて素直に表現をし、悔しい気持ちを汲んでもらう、ということはよくあるだろう。恐らく、こうした時にも、子供は心理的に問題を解決する事を求めているのだろう。祖母に逐一報告していた自身を思い出して、そう感じた。

ここでいう心理的に解決するとは、心を汲んであげるという事を意味する。分かって欲しい辛さや悲しみについて理解を得る、という事である。そうした経験を通じて、現実の問題と向き合う気力は湧いてくる。

 「書く」ことで自分のこれまでの経緯や思考を辿る事が出来る。書いた履歴を見れば、自分の歩いた道のりが文章として表れる。そうした自分の歩みを見れば「あぁわりと頑張ったのかな」というふうに思えてくるのではないか。その瞬間に自分を認めて「癒す」ことが出来るのではないのだろうか。

行き詰った時、誰も味方がいないように思える時、憎しみや悲しみを自分の中だけで循環させることは精神衛生上の負担が大きい。そうした時に思ったことを「全く包み隠さずに」記述させてみてはどうだろうか。

納得がいかない事、理不尽な事、不当な事等への表現していない感情をキチンと表現していく事をしてみる。そうして、心の中で「憎いものは憎い、あいつとあれは本当に嫌い」とハッキリと決め、決着をつける。そうした作業をしていく中で「自分」という新しい理解者が思いがけず現れるのではないだろうか。

 
 
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2018-01-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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