プロフェッショナル・ゼミ

丸いおにぎりが紡ぐ、記憶。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:関谷智紀(プロフェッショナル・ゼミ)
※この物語はフィクションです。

「ゆかりちゃんのおにぎりって、何かみんなとちがう〜。変なカタチ」
小学校4年生の時。遠足の日。
クラスの中でもとっても人気のある優香ちゃんが、私の方を向いて突然大声を上げた。

その大きな声は、目的地の丘陵公園でこだまして、思いおもいにお弁当を広げていたクラスメイトの間を駆け巡った。
そして、私たち4年3組40名、80の瞳が、私と優香ちゃんが座っている女子5人グループのほうに向けられた。

クラスで一番可愛いとされ、性格も明るくて男子からも人気の高い優香ちゃん。いつも話題の中心だった彼女がそんな驚きの声を上げたことで、にわかに私は注目の的となった。

「なになに?」「どうしたの?」と好奇心に駆られた何人かが駆け寄ってくる。

「ねえ、見てよ。ゆかりちゃんのお弁当、おにぎりがこーんなカタチなの。丸くって大きくって、なんか自動車のタイヤみたい。カタチ、変じゃない?」

人気者の発言に、隣の女子たちも私のお弁当箱を見ては、小4の少女たちはヒバリのように好き勝手に騒ぎ出す。
「そうだよね。普通おにぎりって三角形だよね」
「なんで海苔が付いてないの?」
「すごーい、こんなおにぎり初めて見た」

そんな騒ぎに誘い出されたかのように、クラスの男子たちも次々と駆け寄っては、私の弁当箱をのぞき込んでくる。
突然の出来事に驚いた私は、自分のお弁当箱を隠すことすら思いつかないほど動揺してしまった。
ただ、ただ、呆然としていると、
「おまえんちの弁当、茶色いなぁ」
両手を膝に付いた格好で、啓輔君が私のお弁当箱を覗きながらそうつぶやいた。
密かにちょっといいな、と思っていたクラスメイトだ。
その言葉を聞いた瞬間、「啓輔君にもあきれられたのかな」という思いが心の底の方から湧き上がってきて、私はもう、うつむくことしかできなかった。

優香ちゃんが膝の上で抱えたお弁当箱にチラッと視線を送ると、とんがり屋根のお家が連なるように奇麗に並べられたおにぎりと、可愛らしいウサギやひよこになった卵やウィンナーが、レタスの林の中から笑顔でひょっこり顔を出している。

ところが実際、私の母が作ってくれたお弁当箱は茶色かった。

クラスの他の女子たちのものは、みんな色とりどりで、まるで春が来たような趣だったのに、私の膝の上に置いてあるお弁当箱は、もうすぐ雪でも降るんじゃないかというくらいのどんよりした色合いだった。

確かに優香ちゃんの言うとおり、私のおにぎりはみんなのものとは違っていた。まるで大判焼きのように丸くって扁平なカタチ。そして、海苔は付いておらず、おかかが全体にまぶしてあるおにぎりに挟まれて、紫色の物体が表面にびっしりとまぶされたゆかりのおにぎりが真ん中に鎮座していた。
そして、その隣には鶏の唐揚げ。おにぎりと唐揚げの間には、インゲンの和え物が何本かと、プチトマトが1つ、申し訳なさそうに添えられていた。

私たちの様子に気付いた先生が歩き回っている男子を叱ってそれぞれの席に戻し、お弁当の時間はその後楽しげに過ぎていったが、私のまわりだけ空気が凍ったような気がして、私はおにぎりを半分と唐揚げを2個しか食べられずに、静かにお弁当箱のフタを閉めてリュックサックにしまった。

その後、遠足がどうだったかは記憶していない。覚えていたのは、家に帰ってからの母とのやりとりだ。

「ゆかり、今日は何でこんなにお弁当残しているの? 半分しか食べてないじゃない」
片付けようと蓋を開け、驚いたのだろう。母は台所から私の座っているちゃぶ台の方に歩み寄りながら、お弁当箱を私に見せてきた。

「ううん、何でもない」

「何でもないことないでしょう? どうしたの、熱でもあるの」
と、頬杖を突いていた私のおでこに手を当てようとしてきた母の手を強く払いのけ、私は言った。

「どうしてウチのおにぎりはこんなカタチなの? なんでみんなみたいに三角じゃないの!」
そう言った途端に目尻の方にじわっと熱いものがこみ上げてきて、私は「うっ、うっ」としゃくり上げるように泣き出していた。

母は、しばらく何も言わず私を見つめていたが、やがて
「ごめんなさいねぇ。お母さんね、本当に不器用で、三角のおにぎり握るのがとってもへたくそなの。でもね、わかった。今度はゆかりの分は頑張って三角にするからね。ほんとごめんね。ゆかり」
抱きしめようとする母の両腕を振り払って、私は部屋へ駆け込み、布団をかぶって泣いた。

「海津さん! 吉村君! 時間があるならもう1軒寄りたいところがあるんだが、悪いが付き合ってくれないか」
我が部署の新人歓迎会も和やかに終わり、三々五々、メンバーたちが家路につこうかという時、珍しく髙野部長がそう私たちに声を掛けてきた。

髙野部長は、私たち直属の上司だ。オフィスビルなどの管理を行う我が社営業部のまとめ役。いつも仕事では冷静で、また経験に裏打ちされたアドバイスを送ってくれ、本当に頼れる上司の典型、といった存在だった。昔、ラグビーだか何かのスポーツをやっていたそうで、50代となった今もしっかりした体形を維持し、お気に入りのストライプの入ったスーツはいつも似合っている。

「1駅だけだが、3人だしタクシー使うか」
そう言うと、部長は早速右手を上げタクシーを捕まえると、私たち2人を後部座席に押し込み、自分は助手席に乗り込んた。そして振り向くと、
「すっごい良い店だぞ」と言い微笑んだ。

タクシーは5分ほど走って、目的地に到着した。
「部長! どこなんですか、ここ?」
同じ部署の吉村君が怪訝そうに首を左右に振った。

「JRの大塚駅の近くだ。ほら、店はここだ。名店だぞ」
部長が指さしたお店の方を見ると、15席ほどのカウンターは満員で、それを取り囲むように立って順番を待つお客さんでごった返していた。

「おにぎり双葉屋……、えっ、おにぎり屋さんですか」
吉村君が目を丸くして、黄色い看板を凝視している。

「まあ、とにかく入った、入った」
私と吉村君の背中に部長の大きな手があたり、私たちはぐいっと店の中へ押し込まれた。

「いらっしゃい」
青いタオルをはちまきにした60歳くらいのご主人が一心不乱におにぎりを作っている。少し白い無精ヒゲが生えたその顔はまさに職人、といった風情だった。

「はい、梅とシャケ、チーズ明太のお客様、お待ち」
「こちらは筋子とじゃこマヨネーズのお客様だね。春子ちゃん、こちらお味噌汁も付けてね」

ご主人はそんな風に言いながら、おにぎりの乗った長方形のお皿をカウンターに座る客へと手渡していく。
見事に三角形に握られたおにぎりは、コンビニのそれとは全く違い、2個分以上はあろうかという見事な大きさで、アルプス連峰のようにお皿に鎮座していた。

湯気を上げたごはんは、ご主人の手で見事にまとめ上げられると、つやつやに黒光りした海苔で表面をくるまれる。その瞬間に、湯気の蒸気でごはんに海苔がしっとりと張り付いていくのが手に取るように分かった。

「なんでも頼んで良いぞ」
「部長、ありがとうございま〜す」
部長と吉村君の声が聞こえてきた。少し、私はおにぎりに見とれていたみたいだ。

「部長、ご馳走様です。じゃあ、私はおかか。それから、うーん、どうしようかなぁ」

おにぎりの具は50種類以上もある。迷っていると、ご主人がこちらを見て助け船を出してきた。

「お嬢さん、こちら初めてですね。でしたらぜひ卵黄を食べてって下さい。ウチの自慢です。とってもおいしいですよ」
「卵黄ですか。珍しいですね、じゃあ、それを御願いします」
「かしこまりました」

ご主人はそう言うと、また、右手側においたジャーから炊きたてのごはんを手に取り、手際よくまとめていくのだった。

私はしばし、ご主人の手さばきに見とれていた。
ジャーからお茶碗1膳分くらいのごはんを手に取り、軽くまとめながらまな板の上に丸く置く。
続いて、目の前の丸タッパーに入った卵黄をごはんの真ん中に置いていく。
黄金色に輝く卵黄はぷるんといった感じで、ごはんの上に鎮座する。
すると、ご主人はさらに卵黄を手に取り、それを手で3つに引き裂いて、さっき置かれた卵黄の周りを騎士が守るように置いていく。それをもう一度繰り返すと、また1膳分のごはんで卵黄をフタするようにそっと上から置き、ごはん全体をくるっと回しながら「トントントン」と言うリズムで、手を添える。
するとごはんはあっという間に美しい三角形に形を変える。
ご主人はふっと息を吐くと、そのおにぎりを縦にし、ぱりぱりと快い音を立てながら、子どもに着物を着せるかのように優しく海苔を巻いていった。

「はい。おかかと卵黄、お待たせしました」
そうご主人から手渡されたおにぎりは、ずっしりと重く、ごはんの熱がつたわって、しっとりとお米の感触が手に馴染んだ。

あ、おにぎりってこの手触りだったよね。この、粒が手について少しべとついて、そのあとカサカサする感じ。
この頃は、おにぎりっていうと、プラスチックフィルムのあの感触だったからなぁ。

私は心の中でそうつぶやくと、いただきます、と三角の上の方からぱっくりと頬張った。米の一粒一粒が立っていて、炊きたてのごはんの香りが鼻腔に届いた。

「おいしい」
思わず声が漏れた。
「そうでしょう。卵って、ごはんに本当に合うでしょ」
次のお客のためのおにぎりを握りながら、ご主人は上目遣いで私の方を見て、にっこり微笑んだ。
少し深くなった頬のしわが喜んでいた。

「どうだ。うまいだろ」
髙野部長が、私たち2人の方を向いてそういった。料理漫画の主人公のような自信にあふれていて、本当に嬉しそうな顔だった。
「部長、ここ本当にうまいですね。このおにぎり最高っす」
筋子のおにぎりを頬張りながら、吉村君が声を上げた。
あらら、吉村君、右アゴのところにお弁当が2粒もついているよ。

「もう、随分昔から通っているからなぁ。飲んだあとに、ここで〆のおにぎりってのが最高なんだ。まあ、やり過ぎると太るけどな」
とガハハと笑った部長は、急に真顔になると
「2人とも、この頃忙しくって、コンビニのおにぎりちょっとだけ頬張って、昼休み切り上げて頑張ってるの、俺は見てるぞ。まあ、仕事熱心なのは嬉しいが、長く良い仕事を続けるのは身体も大事。たまにはしっかり昼の時間を取って、こんな風に、いいもんを食べるんだ。そんな時は、遠慮なく俺に相談して良いんだぞ」
「部長、有り難うございます」
吉村君が首をぶんぶん縦に振ってうなづいている。
彼の愛情が、なんとなく、おにぎりの温もりとともに伝わってきて、少し心が暖かくなってきた。

「それにしても、見事な技ですね」
吉村君がご主人に声を掛けている。
「握っているというけど、全然、あっという間じゃないですか。まさにプロの技術ですね」
「いえいえ、そんな事はございませんよ。でも、ウチはできるだけ炊きたての、ごはんが熱くて本当においしいうちにお客さんに食べてもらおうとしてるだけで。ごはんがアツアツだから、できるだけ、手数を少なくしないとこっちも熱くって手がやられちゃうんでね」
そういう、ご主人の手は赤くなっていた。
何千個、何万個も握ってきたプロの手だっだ。

私はその手を見て、ふと思い出したのだ。小学校4年生のあの時のことを。
あの朝、
「いってらっしゃい」
とお弁当箱を手渡してくれた母の手が、あんな風に赤くなっていたことを。

都会から新潟の農家へと嫁いできた母は、朝早くから出かける父や、一緒に作業する親戚のために何個も何個もおにぎりを作っていた。
暑いなか、ずっと農作業する父のために、仲間のために、母は祖母と一緒に早起きしておにぎりを作り続けていたことを。
その数はとても多かったから、今でいうキャラ弁なんてとてもとても、作れる余裕などなかったはずだ。

「お父さん、頑張って下さい。今日もいっぱい食べてこれで元気出してね」
そう思いながら、母は丸くって大きなおにぎりを、おかかをまぶしたおにぎりを
毎日こさえていたのだろう。
そして私にはどんな風な思いで、おにぎりを握ってくれていたのだろう。
ふっと、ごはんの香りに混じって、実家の台所の匂いもかすかに漂ってきたようだった。

あのとき、あんなこと言ってごめんね。
秋の運動会の時、三角形のおにぎり作ってくれたよね。
でも、カタチがいびつでなんか星みたいになってて蓋を開けた瞬間、ちょっと笑っちゃったっけ。そのあと、俵型とか、時には四角に近い形とかもあったなぁ。
そして中学生になってからは、また、あの丸いおにぎりに戻ったっけね。
で、お父さんがおかか大好きだったから、やっぱり具はおかかばっかりだったなぁ。お母さん、ありがとう。

そんなことを思いながら、私はおかかのおにぎりをおもいっきり頬張っていた。

このおにぎりの方が全然おいしいけど、おいしいけど。
でも、あの、おかかがごはんに全部まぶしてあるおにぎりがまた食べたいな。
今度、田舎に帰れたら、母さんに作り方を教えてもらおう。
明日も仕事がんばんなくちゃ、ね。

私はおにぎりをもう一口ほおばった。
鰹節と醤油のまじったような、優しい香りが広がったあと、ふっくらとしたお米の甘い香りがほのかに口の中に残っていた。

2カ月後。
「おう、海津さん。今日はお弁当かい、珍しいね」
部長が私の机の上にあるお弁当箱をのぞき込んできた。

「そうなんです。部長が言ってくれたように、手間だけど、できる時は良いものを食べるようにしないと。だから自分で。結講頑張ってるとおもいません?」

私がそう言うと、

「そうだね。それは良いと思う。それにしてもなかなか良い出来映えじゃないか。あれ、おにぎりのカタチが丸いなぁ。なんか車のタイヤみたいだ。キミの故郷ではそんなカタチなのかい?」
ちょっと、不思議そうな顔を見せる部長。

その表情を見上げながら、私は微笑んだ。
「私、不器用なんで。こんなカタチにしか、握れないんですよ」

おにぎりのカタチ。
それは母から子へと引き継がれる、幸せの記憶なのかもしれない。

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