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さようならピアノ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:荒野万純(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
昨年の夏、長年連れ添ったピアノを手放した。
正確に言うと私のピアノではなく、母のピアノだ。アップライトで光沢のあるマホガニー色、鍵盤は母曰く象牙で、真っ白ではなくてまさにアイボリーだった。今はもうなくなってしまった会社が作った、柔らかい響きをするそのピアノが大好きだった。3才から大学を卒業するまで、ずっとピアノと一緒だった。
 
私が物心ついた時からピアノは家にあったので、風景の一つとしてあるのが当たり前だった。
記憶は定かではないが、3才の時、「ピアノをやりたい」と言ったそうだ。
子供だからちょっとやればすぐ弾けると思っていたのだが、そんなわけにいかなかったのだ。
 
最初は、家の近所のとても優しい男の先生のところに習いに行った。
バイエルをやったり、先生が弾くピアノに合わせて旋律を歌ったり、和音の聞き取りの練習もした。初めての五線紙には羽の向きが逆になった8分音符とか、五線からはみ出たト音記号が踊っていた。
 
5才になった時に、違うピアノの教室に通うことになった。
母が見つけて、その教室に通う子供達があまりに上手に弾くので感動したという教室だ。その教室は厳しくてとても恐ろしいモットーがあった。
「ピアノの練習をしない日は、ご飯を食べてはいけません」
実際のところ、私は不真面目だったので、練習をしない日もご飯は食べていたけれど。
 
その厳しい先生のピアノのレッスンは毎週火曜日だった。レッスンに行くたびに宿題が出て、ちゃんと練習をしてさらって行かないと厳しく叱られる。
しかも、レッスンをする部屋には順番を待っている子供が4、5人いて、誰がどのぐらい弾けるか、弾けないかがわかってしまう。ちょっとした晒し者状態だ。
私はいつも先生に叱られて、レッスンの帰りには一緒についてきている母にも叱られた。「ちゃんと練習しないと、恥ずかしいでしょ!」が母の決まり文句だった。
 
そんな風に叱られるものだから、ピアノは楽しいものではなく、苦行になった。
その時のマホガニーのピアノはとても大きく感じて、そのドンっとした姿は憎らしいぐらいだ。
まだペダルに届かない足で、ピアノのお腹を思いっきり蹴ったこともある。
ピアノは「ヴォーン」という音を立てて、まるで「痛い!」と言っているようだった。
 
ちゃんと練習をしないくせに、発表会になると、同い年の子供たちがとても上手に弾くのを聞いて、子供ながらにとても落ち込んだ。今もまだ私の中にくすぶっている「私は下手だ」が体の奥深くに埋め込まれた瞬間だ。
 
大人になった今から考えれば、私のような子供にはもう少し適切な大人のサポートが必要だったのだ。母はどちらかと言えば毎日時間を決めてコツコツとやるのが苦手なタイプだったので、子供にコツコツと練習をさせるのがあまり上手ではなかったのだ。それはとても残念なことだと思う。
 
中学生になると、今度は音大を受験するような子供たちを教える先生につくことになった。今までの先生よりもさらに厳しかった。
さすがにこの頃になると、コツコツ練習しなければいけないことがわかって、学校から帰ると、毎日最低2時間はピアノに向かう。
マホガニーのピアノともようやく少し距離が縮まった感じになった。
 
音大は目指さないけれど、只ひたすらに上手くなりたくて、それまで以上にピアノの練習をするようになった。
マホガニーのピアノの本来のタッチが物足りなくてなって、調律士に頼んで、ピアノの限界まで鍵盤のタッチを重くしてもらった。
曲もどんどん難しくなって、相変わらずレッスンも厳しい。
ある日、一生懸命に弾いてたら、突然、右手のミの音が、一度弾くとポンポンと2度鳴るようになってしまった。急いで調律士に来てもらったら、ハンマーが折れているとのこと。それはすぐに直してもらったのだが、「まるで音大生が弾いているピアノのようにハンマーが減っていますね」と言われた。
マホガニーのピアノは体を張って私に付き合ってくれていた。
 
大学3年生の時、発表会でオーケストラと一緒に演奏するモーツァルトのピアノ協奏曲を弾かせてもらった。
いつもは一人で弾くピアノをオーケストラに伴奏をしてもらって弾くのはとても緊張したけれど、一生に一度のとても素晴らしい体験だった。
マホガニーのピアノもモーツァルトを練習するたびに、モーツァルト特有のやわらく澄んだ音を作るのに協力をしてくれて、「協奏曲を弾くことになって良かったね」と言ってくれているようだった。
 
社会人になると、ぱたっとピアノを弾かなくなった。
忙しくなったのもあるし、新しい生活はピアノよりも魅力的だったのかもしれない。それでもマホガニーのピアノはずっと私を待っていてくれて、たまに弾くとその柔らかい音で私を迎えてくれた。
 
昨年の夏、実家の売却が決まり、ピアノをどうするかを母と妹で話し合った。誰もピアノを手放したくはなかった。しかし、母も私も妹もそれぞれの住まいにマホガニーのピアノを置くスペースがなかった。
仕方なく処分をすることにした。
今や誰も弾くことがなくなったマホガニーのピアノはホコリを被って静かにその時を待っていた。
 
ピアノが行ってしまうその日、実家から送りだしたのは私一人だった。
業者の人が2人やってきて、ピアノに紐をかけて家の中から運びだしていく。
応接間から玄関を通って運び出されるピアノ。
玄関を出て階段を下がったガレージの先にある門をピアノが通る時にはそのマホガニーの頭だけが見える。門を通ってピアノが道路に出た時に、大粒の涙が溢れた。そして声をあげて泣いた。
「さようならピアノ。大好きなピアノ。手放してごめんなさい」
 
ピアノの行く末はわからない。もしかしたらあまりに古かったから解体になってしまったのかもしれない。
マホガニーのピアノを手放したことは、身を切るような寂しさだが、ピアノと一緒に体験した、練習のつらさ、レッスンの厳しさ、弾けた時の喜び、柔らかい音は私の一部として一緒にずっと生きている。
素晴らしい思い出を作ってくれたマホガニーのピアノ、どうか安らかに。
 
 
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2018-01-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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