もし、あなたが自分の輪郭を確かめたいとしたら
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:青木文子(ライティング・ゼミ平日コース)
「文章、読んだよ!」
久しぶりに来た東京の週末。何人もの友人から「天狼院に掲載された記事を読んだよ!」と声をかけてもらった。こういわれると、一瞬嬉しく、同時に一瞬どこかに隠れたくなる気持になる。
「あ、ああああ、ありがとう。読んでくれたんだ」と曖昧に返事をしながら、慌てふためいて、お礼をいっているのだか隠れたいのだか、あたふたしている自分。
どうしてあたふたするのだろう。おそらく文章を人に読んでもらうのはストリップに似ているからだ。文章を見せるとは、黙っていればわからない自分の頭の中を人前にさらしているようなもの。誰からも頼まれているわけではないのに、水着で街角でポーズをとっている、と言ったら言い過ぎだろうか。
人前に普段なら見せなくてもいいものをさらすという行為は、自分からすすんで無防備になるといことだ。誰かが私の文章を読んでくれて、その人が自由に文章を解釈をしても、仮にその解釈が私の意図しないものであっても「それはそうじゃないんです」と、文章を読んでいる人の横までいって、言い訳するわけにはいかない。もちろん、価値観の違いから攻撃されたり、ネットに出ていることで炎上することだってあるかもしれない。大げさに言えば、文章を書くということは「この文章がどう読まれてもいい」と覚悟することとセットなのかもしれない。
そんなストリップだとか、覚悟だとか言いながらも、なぜ文章を書こうとするのだろうか。それは自分が考えていること、感じていることの輪郭を確かめたいからだ。何かを感じている時、人は「言葉」で感じているわけではない。悲しい、といってもいろいろな悲しさがある。嬉しいと言ってもいろいろな嬉しさがある。それはぼんやりとした煙のような、地平線に沈む夕日のような、色やにおいや胸の奥の感覚やそういうもの曖昧としたもの。
夏目漱石に『夢十話』という作品がある。「こんな夢を見た」という書き出しで始まる短い十個の夢の話がつづられている小説だ。その中の第六話に、運慶という仏師が仏像を彫る話がある。運慶が見事な仏像を彫り出せるのは仏像の眉や鼻をノミで掘っているのではない、木の中に埋うまっている形をノミで掘り出しているだけだ、という言葉が出てくる。
そんな風に文章が書けたらどんなにいいだろう。自分の考えをそのまま、その輪郭そのまま、くっきりと文章に言葉で描けたら。でも運慶みたいに天才ではない私にはそうはできない。だから仏像を彫るように何回も言葉にしてみる。上手く彫れない。また言葉にする。その繰り返しだ。自分の後ろを振り返ってみると、彫り終わった、もしくは彫りかけの仏像が後ろに幾つも積みあがっているような気がする。
文章を書くとは玉ねぎの皮をむくようにひとつづつ自分の感覚を確かめていく行為なのだと思う。文章を書くということは皮を一枚向くこと。一枚むくとその一枚内側が見える。一番外側の皮をむかないとその内側はわからない。どんなに未熟な文章であっても、表面的な文章であっても、それは一枚の皮をむくことなのだ。書いてはじめて一枚内側の輪郭が見えてくる。
東京からの岐阜に帰る新幹線の中でこの文章を書いている。今日は天狼院のライティングゼミの最終回締め切り日だ。毎週2000字の課題を書き続けたこの4ヶ月。もう書けません、と何度思った。輪郭を確かめたくてもその輪郭を描き出せないことに何度も凹んだ。フィードバックをうけて、どうしてこんな文章しか書けないのだろうと何度も思った。
それでも2000字の課題を書き続けて確かに手に入れたものがある。それは自分の中の輪郭を確かめられた時の嬉しさ。自分のなかの輪郭が人に伝わった時の感動。
問いをもつ。文章を書く。すすると自分の中にその答えの輪郭があらわれる。それを言葉にして文章を書く。輪郭ははじめぼんやりとしたものだ。それを言葉というノミで丁寧に彫り出していく。そのノミのさばきがさえている日もあれば、そうでない日もある。ノミで彫り出した輪郭をみて「これは違った」と思うこともある。ノミで修正しているうちに、最初の輪郭と似ては似つかないものになって、その文章を捨てることもある。
天狼院にアップされた文章を読んで見知らぬ人からメールをもらった。そこには私の文章をみて自分の心がどう動いたかが書いてあった。言葉にすることで人は何かを手渡しあえる。言葉にすることで人は自分の中にある輪郭を自分でみることができる。
文章を書くことはこれからも私の中で大切なものなっていくはずだ。なぜなら私は私の中にある、水平線に沈む夕日の風景を誰かに伝えていきたいと思うから。
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