「わくわくすること」の中に見つからなかった「好きなこと」が見つかった本当の理由《プロフェショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:小濱 江里子(プロフェッショナル・ゼミ)
「ない! ない! ……あれ? ここに置いておいたはずなのに……」
捨てるはずはない。大切に、ファイリングして残しておこうと思ったのだ。本棚の本の間を探してみても、どうにも見つからない。
いつもこうだ。探しているのに見つからない。でも捨てた記憶もなければ、絶対に捨てるはずない。絶対に、この家の中に、ある! 絶対にあるはずなのに、見つからない。ソファの上の取り込んだまま山盛りになっている洗濯物を持ち上げてみても、そこにはない。背板のない四角い棚を本棚にしているから、棚の後ろ側に行ってしまったのだろうかと、奥を覗いてみても見つからない。置く場所を変えたのだろうか。卒業アルバムなどの大切なものを置いている棚の一角をひっくり返す。そこにもない。
はぁ……。いつもこうだ。手元に出したい時に見つからない。ちゃんと整理整頓しておけばいいのだろう。整理整頓は得意だ。棚にきれいにビシッとハマると気持ちいい。その後が問題なのだ。使った後、元の場所に戻すのが面倒くさい。そして、ふと思い出しては、そうそう、これ読みたかったんだよね、と床置きのテーブルの横に出す。そんな風に出した本などでテーブルの周りは気がつくといつもごちゃごちゃと物で溢れかえってしまう。だから、使いたい時に使いたいものがすぐに見つからないのだ。
すぐに見つからないのは、物だけじゃなかった。
あれは、2年前だっただろうか。わたしは、その時もまた、探しものが見つからずに途方に暮れていた。
家に帰っては疲れて気づいたら寝る。そして、朝、目が覚めると慌ててシャワーを浴びて家を出る。そんな毎日の繰り返しに、「何のために生きてるんだろう」と虚しくなった。仕事は好きだったし、職場の人間関係もとても良かった。イライラすることだってあったけど、7年も働いている職場は、気心が知れた仲間がほとんどだったし、たいていのことはそんなに緊張せずにこなすことができるようになっていた。だけど、「わたしの人生=仕事」のような毎日に、生きている意味を見出せなくなってしまった。
自分の人生を大切にしたい。プライベートも大切にしたい。そんな思いで、住む場所も仕事も変えた。
それまでは、仕事のことばかりに夢中になっていたものが、夢中になるものが見つからずにどうしていいかわからなくなっていた。
さらに「迷子になってしまった」感を強めたのは、ある病気になったことがきっかけだった。命に今すぐ影響のある病気ではなかったけれど、なんでわたしが病気になったんだろうと考えた。わたしがこの病気になったことの意味ってあるのだろうか。あるとすればどんなことなんだろう。食について広めること? 健康の大切さを伝えること? 頭の中でどれだけ考えてみても、どれもピンとくるものはなかった。
病気になってしまったことはどうしようもない。これからうまく付き合っていくしかないのだ。だけど……。
じゃあ、わたしはどうしたい?
病気になってしまった意味をどれだけ考えたって、簡単に治るものではない。だったら、この病気とともに、この人生を、どう生きたい? 後ろを振り返ってもしょうがない。今、この時点から、前を向くしかない。
もっともっと、自分らしく生きたい。
自分とたくさん話をして、たどり着いた答えだった。
じゃあ、自分らしくってどういうこと? どんな風に生きる? 何をして働く? それ以上は、どれだけ考えてみても、答えになかなかたどり着くことができなかった。
スマホの中では、「好きなことをして生きよう」「好きなことだけして生きていこう」などという言葉がいつも画面を占拠していた。「これからは AIの時代になる。だから、誰かにとって替わられるような仕事をしている人は職を失う。これからは好きなことをしている人でなければ生き残ってはいけないのだ」と書かれているものもあった。とはいえ、すぐにわたしのそれまでしていた仕事がロボットにとって替わられるとは、到底思えなかった。だけど、じゃあどうすればいいのか、その答えはいくらネットで検索してみても、答えはヒットしなかった。
スマホの中には、相変わらず耳触りのいい言葉で溢れかえっていた。
「わくわくすることをしよう」「好きなことをしよう」
わくわくってなに? 全然ピンとこなかった。ピンとこないのは感覚が鈍っているからかも知れない。ブログやSNSで、いろんな人の言葉に触れて、そう考えた。今日のご飯、何食べたい? そんなところから始めてみた。ピンとくるものを食べよう。ピンときたことをやってみよう。
自分の感覚を意識するようになってから、約5ヶ月がたった頃、スマホにある投稿が現れた。アラームで目が覚め、ベッドの中でぼんやりとスマホを眺めていたその時だった。
「できるかどうかじゃない。やるか、やらないか、だよ」
全身に電気が走ったような感覚になった。大好きな写真と心理が、誰かの役に立つかもしれない。そうか。できるかどうかじゃない。やるか、やらないか、なのか。
ほとんど直感で、動き出すことを決めた。
とはいえ、会社員思考のままスタートした仕事は、一向に上手くいかなかった。誰かに教えてもらわなきゃ。誰かの言う通りにしなきゃ。どうしたらいいんだろう。誰か教えて。誰か……。真っ白な手帳を眺めては、全く見えない未来に恐怖で部屋に引きこもってばかりになった。
家で布団にくるまりながら、恐怖とともにもがいていると、少しずつ、光のようなものが見え始めた。これを学んでみたら……。これが次の一手になるかもしれない……。光に見える誘惑が、スマホの中をいくつも流れてきた。
その中で、とりわけ心が惹かれた講座に申し込みをした。それを機に、さらに心が惹かれた講座があった。それが、天狼院書店の「ライティング・ゼミ」だった。
小さい頃から、書くことは好きだった。だけど、好きなことは? と聞かれて、書くこと、とは思い浮かばなかった。「わくわくすること」の中に、「書くこと」は入っていなかった。だけど、なぜだかとても興味が湧いた。
それからと言うもの、なかなか上手く書けるようにならなかった。にも関わらず「書くこと」にハマっていった自分がいた。1回の講座で、学んだことを次の課題提出で生かしてみる。最初は特にそう簡単にはいかなかった。好きなように書いていたブログとは違い、相手に伝えるためにはどうしたらいいのか、を必死になって考えた。
言いたいことはたくさんある。……ような気がしていた。いつも頭の中には、伝えたい!
こんなこともあるよ! ということがたくさん浮かんでいた。ところが、パソコンを前にすると、頭の中は真っ白になった。伝えたいこと。言いたいこと。なんかあったはず。色々考えていたはずなのに。
課題提出用の文章は書けなくても、ほとんど毎日パソコンを開いて「書く」モードにはなっていた。パソコンに向かった時には、すぐに書き始められるように、仕事の合間にネタを探して、考えてはこっそりメモをとっていた。
気づけば、毎日の生活が「書くこと」を最優先にするようになっていた。
とはいえ、納得できる文章は、なかなか書けなかった。そういうこともあってか、せっかく学んだ「書くこと」を、もっとしっかり身につけたいと思うようになった。何かを学ぶことは、刺激に満ちている。だけど学ぶだけで満足していては、何も変わらない。身につけて、現実で活かしてこそ、本当に人生を変えていけるというものだ。
よし、と気合を入れて、プロフェッショナル・ゼミを受講することにしてしまった。
それが、どれだけ厳しい場所なのかも知らずに。
始まってすぐに、真っ暗闇の絶望の中に落ちることになった。2000字の文章を提出する「ライティング・ゼミ」と違って、「プロフェッショナル・ゼミ」は5000字の文章を提出する。一緒に受講している人たちは、みんな読みやすくておもしろい文章が書けているのに、一向に書けるようになる気がしなかった。
書けない、書けない、書けない、書けない……。
ネタは? 5000字の文章を書くにはどんな内容の文章を書けばいいの? 考えても考えても、頭に浮かぶのは「書けない」の4文字だった。どうにかこうにか書いても、不合格の繰り返し。もうどうしようもなくなり、ある人の言葉から、自分が好きだったものを思い出し、大好きな音楽に久しぶりに触れてみた。
ああ、考えすぎてたかも。
好きな音楽で、からだと共に頭の中も緩んだ気がした。
それから、文章がうまくなるための本を読んでみたり、特講と言われる、ライティング・ゼミで教わる内容をより詳しくした講義を受けたりしてみた。
なるほど、こうしてみればいいのか! こういうことを意識してみたらいいのか!
講義を聞いて、本を読んで、少しずつ……ほんの少しずつ、目の前が明るくなるような気がした。
「文章なんか書いてどうするん?」
正月に実家でパソコンに向かっていると、母からこう聞かれた。
どうするん、って言われても……。文章を書けるようになったら、銀行の融資も取れるようになるかもしれんのよ! ……って、融資とってどうするの? という話だ。相手を動かせるようになるんよ! メールで会ってほしい人に会ってもらえるかもしれんのよ! って、何を言ってもわかってもらえそうになかったし、何より自分の中に明確な答えが見つからなかった。
そう、文章を書く理由がない。
はじめにライティング・ゼミの受講を決めた時、ブログが上手に書けるようになったら、という理由を見つけたけれど、それは単なる後付けの理由でしかなかった。
書けないのに、書く。
書けないから、書けるようになりたい。
そこには、ただ、書きたい、という欲求しかなかった。
おもしろい文章とは、なんなのか。人を動かす文章とは、なんなのか。どんな文章なら、読んで良かった、と思ってもらえる? それはどんな風に書けばいい?
読んでいておもしろい、と感じる文章はたくさんあったけれど、それを自分にどう置き換えて書けばいいのかさっぱりわからず、ただひたすら文章に関する本や記事や講座でインプットを重ねていった。
ああ、なるほどね! ああ、そういうことか! へぇー、そうなんだ! 読んでもらえる文章を書くための、おそらくひとつずつはほんの小さなコツのようなもの。だけど、それを知らないために、独りよがりの文章になっていたことに気がついた。そして、自分の文章をどう直していけばいいのかが、少しずつ見えてきた。
それが活かせるかというと、話は別だ。もちろん、どの本を読んでも、誰の記事を読んでも、書くことが大切だと書いてある。活かせるかどうかは別。だけど、何に気をつけて文章を書けばいいのかがわかるということは、新たな武器を手に入れたみたいにうれしくなった。
書いても書いてもうまく書けないところから、どうやったら書けるようになるのか、を学んでいく過程が楽しくてしかたなかった。
「書けたー! やったー!」
ついに、文章を書き終えて、達成感と爽快感に満たされる時がきた。ああ、こんな風に感じられるなんて思わなかった! 残念ながら、その文章は合格にはならなかったけれど、書いていてとても楽しかったのだ。
「わくわくすることをしよう」
スマホに現れるアドバイスは、きっと誰かにとっては正しいのだろう。
だけど、「わくわくすること」の中に好きなことを見つけられなかったわたしがたどり着いた場所は、打ち上げ花火のような派手なことではなく、火を起こすような地味で見向きもしていないことだった。好きだけどわくわくはしない。好きだけど、うまくいかない。好きなのに、それが好きなことだと見えていなかった。そんなところに、こんなに夢中になることがあるなんて思ってもいなかった。
書くことは、全然わくわくしない。書きたいことだって、正直見つからない。
だけど。
ひとつずつ、試してみた。興味があることを学んでみた。これかもしれない、あれかもしれない、とたくさん味見してみた。たくさんの行動と、失敗と間違いを繰り返して、今、書くことに夢中になっている。
「書けない……。やっぱり書けない……」
きっと明日も、こうつぶやきながらパソコンに向かっているだろう。だけど、いろんなものからヒントを得ながら、それを乗り越える術を学んでいこう。
進むのは一歩一歩でいい。振り返った時には、意外と進んできた道が見えるのだから。
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