プロフェッショナル・ゼミ

思いもよらない所にいるけれど、僕は後悔していません。《プロフェッショナル・ゼミ》


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【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:永井聖司(ライティング・ゼミプロフェッショナルコース)

「役者は、どんな役でもやらなくてはいけないわけではない」
その言葉を聞いたのは確か、栃木の実家を遠く離れた大学時代、函館でのことだった。
当時の僕は、多くの大学生が恐らくそうであるように、勉強とバイトはそこそこにやって、自分の好きな演劇活動にのみ、少し熱を入れて生活していた。ただし、朝から晩まで演劇のことばかり考えるような『熱中』ではない。舞台が近づいてきたり自主制作映画に呼ばれたり、何かの刺激があれば温まる、ホッカイロ程度の熱の入れようだった。そのため、1限のない日は家でゴロゴロゴロゴロ、別に見たいわけでもないのだけれど、ただただ朝のニュース番組を眺めている、そんな怠惰な生活を送っていた。
でも、そんな中途半端な状態だったからこそ、その言葉は刺さったのだと思う。
言葉は続く。
「ただ、『やれ』と言われたら、どんな役でも出来なければいけないと思うんです」
「カッコイイ……」
聞いた瞬間、僕は無意識に呟いていた。
眠いわけでもないのにまぶたが重く、退屈そうな表情を浮かべていた自分の表情が変わることを、自分自身で感じた。
それは、俳優の、松本幸四郎さんへのインタビューの中で出た言葉だった。
こんな役者になりたいと、素直に思った。

その言葉を聞いた数年後、僕は東京・五反田のスターバックスに、スーツを着て座っていた。向かいにいるのは上司である。
僕は、役者になることはなく、サラリーマンになった。
職業として、役者になりたいと思ったことがないわけではない。でもそもそもが、ホッカイロ程度の熱さだったわけだから、辛くて冷たい現実世界を想像してしまうと、勝てるわけがなかった。役者になりたいという想いは簡単に気化して、一瞬だけ僕の前に蜃気楼のように現れて、すぐに消えてしまったのである。
その後に僕の前に残ったのは、『本が好きだったな』という気持ちだった。僕は、実に安直に出版社やマスコミを中心に就職活動を続け、玉砕した。1年就活をして、どこからも内定がもらえなかった。そして、もう1年、と思ってたどり着いた果ての会社で僕は当時、新卒採用関連の営業をしていた。
ウチの会社は出版の部門が半分、新卒採用関連の部門が半分あるのだけれど、当初の想いとは異なり、新卒採用の部署に配属になったわけである。
その日、入社2年目の終わりが見えかけた11月、僕は1人で茨城へ営業に行っていた。営業成績も悪く、上司・先輩との相性も最悪だったため、同行してもらう度に何かしら叱られるような状態だった僕は、とてもリラックスした気持ちでその日のアポイントを終え、帰りの常磐線に乗った。その車内で、上司からのメールが入った。
『この後、話せる?』
また何かミスだろうか、お客様からのクレームだろうか。思い当たることがありすぎて頭がパンクするほどの想像をして現れた僕に、上司は冷静な様子で言った。
「来年1月、広島のコールセンターに異動してくれる?」
『いいとも!』と答えれば良いのだろうか。そんな想像が浮かんだのを打ち消しながら僕はすぐ、
「はい」
と答えていた。

それから約半年後の5月、僕の胸に、パソコンのマウスが飛んできた。
「ふっざけんなよ!!!」
女性上司の金切り声が夜の社内に響き渡り、殴り掛かるかのように、開いていたノートパソコンを閉じられた。
上司も泣き、僕も泣いていた。それ以外の、同じフロアにいる同僚たちは一瞬の内に共同戦線を張り、息を止め、凍てつく社内の空気を不用意に刺激してしまわないよう、動きを止めた。
原因は、僕の些細なミスだった。チェックするべきところが出来ていなかった、それだけのことではあったのだけれど、当時の上司にとっては、それが限界だった。その日に至るまで、何度も何度もミスをくり返した僕に上司はその日、耐えきれずに爆発した。元々ヒステリー気味で、社内でも恐れられている先輩だった。それでも後に、「あそこまでキレたアイツを見たことがない」と他の先輩に言わしめるぐらい、僕は先輩をブチギレさせた。
僕が配属されたのは新卒採用専門の、大学生向けのコールセンターだった。なかなか連絡の取りづらい大学生向けの連絡を代行するその職場は、女性上司やそのまた上司から引き継がれたありとあらゆるマニュアルとルールに満たされ、縛られていた。
実のところ、僕にとっては、社内のどの部署よりも合わない部署だと、上司に異動の通達をされた瞬間、僕は思った。営業時代も数え切れないぐらい抜けや漏れのミスを犯し、何かをチェックするという行為は生まれてこの方、最も苦手な部類の行為だった。それだけではない、百数十社分のお客様の電話をどういった順序で掛けていくかなどのスケジュール管理は、8月31日に夏休みの宿題はやるものと決めていた僕に到底出来る行為だとは思えなかったし、パートさんの管理をするような立場に自分がなるとは、入社当時は夢にも思っていなかった。
だからこそ、女性上司のブチギレ事件自体は、予想できていなかったわけではないのだけれど、その後の僕の状態については、予想を超えた。
翌日から僕は、正社員としての職を失った。女性上司の判断で、ただただ1日電話を掛けたり電話マニュアルを準備したりと、パート社員と同等の仕事しか与えられなかったのである。
もちろん社内で泣きたくなんかない。しかも男だ。当時入社当初の女性社員もいた。それでも、
「ごめん、涙が勝手に出てくるわ」
そう言って僕は、来る日も来る日もトイレに駆け込んで、涙が止んだら目を真っ赤に腫らして職場に戻ってきて、そんな情けない日々を、数ヶ月過ごした。

しかし当時の会長は、そんな僕にも容赦がなかった。
「永井は、何歳までに結婚するんだ? 30歳の時、年収いくらほしいんだ。数値目標がなくちゃダメだ!」
仕事をさせてもらえないのは僕が弱いせいであり、そのためには女性上司をギャフンと言わせるぐらいの成果が必要だ。そのためには、数値目標を立てるべきだ! というのが、会長の理論だった。

僕の限界は、すぐに訪れた。
とある朝の出勤前。8Fの部屋のベランダに設置された室外機を足場にして、僕は手すりに足を掛けた。
遠くで歩く人は随分小さく見えて、下を除けば、隣の工場の鉄板屋根が見えた。
助からないことは、明白だった。
僕は手すりに腰を掛け、まるでブランコを漕ぎ出すかのようにブラブラブラブラ、足を揺らした。
その時の空が青くキレイだったことを、不思議と今でも、覚えている。

それから数年がたった今、僕は、生きている。生きて、この文章を書いている。
どうしてあの時飛び降りなかったのか、今となっては、もうわからない。
加えて僕は、一時期ほとんどの仕事を取り上げられたコールセンターのトップになっていた。
女性上司が異動となった後、本来なら後輩になるはずだった新入社員の女性に業務を教わりながら、僕はコールセンターの業務を覚えていった。その行為はまるで、一旦自分という人間を全て溶かし、コールセンターという鋳型に流し込んで、新たな自分という形を生み出すような、そんな行為に思えた。冷え固まるのは遅く、何度僕の見えない所で、後輩社員が僕に呆れ、ため息をついていたかは想像がつかない。
ただしそのおかげで僕は、異動前には思いもよらなかった僕に、成ることが出来た。今でも、プライベートの予定を組んだりするのは苦手だ。それでも仕事の上では、様々な業務をチェックすること、すジュールやパートさんの管理をすることなどが出来る自分に、変身することが出来た。

これもすべてはあの時、五反田のスターバックスでの異動の通知に対して「はい」と答えたおかげだと、今は思う。更に言えば、答える一瞬の間に浮かんだ、松本幸四郎さんの言葉のおかげだった。
「『やれ』と言われたら、どんな役でも出来なければいけないと思うんです」
役者にはなれなかったけれど、「やれ」と言われたことを出来る大人になれたらどんなに格好いいだろう。
僕はあの一瞬で、そう思ったのだ。
出版部門ではなく新卒採用部門に配属になった時も、思えばそうだ。
「どっちの事業部でも良い人ー」
役員4人対学生8名の最終面接で社長が聞いた時、唯一手を上げたのが、僕だった。
そもそもは出版部門を目指して受験したはずだけれど、配属はどちらでも良かった。『やれ』と言われたことを、『こっちに行け』と言われた部署の仕事を出来る大人になりたいと、その時既に、思っていたのだ。
入社後は、学生時代に一度も合同説明会に行ったこともないくせに、すぐにお客様相手に合同説明のいろはを説明する立場になり、説明会を運営し、選考に立ち会い、と、全く興味のなかった業務を行っていったわけだけれど、だからこそ、学べたことがある。入社1年目ながら経営者の方相手に仕事をさせてもらい、採用という、経営の根幹に携わる部分のお手伝いをさせて頂ける幸せ、そして苦しみを、味わうことが出来た。これも、自分の望み通りに出版部門に進んでいたら、得られなかったことだ。

そしてどうして、会長の言った数値目標の話が僕のことを最終的に追い詰めていったのかも、よくわかった。
目標を設定してしまうことで道が狭まってしまうことが、『やれ』と言われる選択肢が減ってしまうことが、更にはその先にあるはずの求めていた大人に近づけなくなることが、嫌だったのだ。

でも今なら思う。数値目標を決めることも、『やれ』と言われたことをやることも、結局は同じなのだ。
数値目標を決めて進む人には進む人の、『やれ』と言われたことをやる人にはその人なりの、未来が拓けるのだ。
ただ大切なことは、あの日、飛び降りないという選択をしたことで自分が今生きているように、自分の選択に責任を持ち、やりきることなのだ。

社内でふと横を見れば、必死に本を作っている同僚たちがいる。
就活時から考えると思いもよらない、ずいぶん遠くまで流されてしまったものだと、思うこともある。
それでも、この選択をしたからこそ、今の景色を見ることが出来たのだと、僕は今、幸せに思う。

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