父
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記事:渡邊法行(ライティング・ゼミライトコース)
『あんたの旦那さんは、仏像かいな。まさか、あそこまで喋らないとは思わんかった』
母は自分のお母さんの言葉を、また思い出しているらしい。
「お母さん、泣きながら田舎に帰っていったのよ。今でも忘れられないわ……」
これまで母から何度も聞かされてきた話で、いつもなら「もう何回も聞いたよ」と途中で遮るところだ。でも、今日は母の話に付き合ってもいいかな、とそんな気持ちになった。
父が亡くなって1か月。しばらく放心していた母が「私も終活する」と宣言し、家の中を整理し始めた。しかし、古いアルバムを見つけると畳の上にペタンと座り込んでしまい、懐かしい写真を見ながら思い出を辿り始めた。
一緒に整理を手伝っていた僕は、立ったまま母の肩越しにアルバムを覗き込む。
新婚当時と思われる母、そして母のお母さん、つまり僕の祖母が、昔の我が家の前で写真に納まっている。シャッターを押したのは父だろうか。写真1枚ぐらい、一緒に納まってあげればいいものを……。まあ、それもまた、父らしいのだが。
先ほどの話は、きっとこの時の出来事だろう。
祖母は、新婚で何かと大変だろうと若い娘夫婦のために、お米や野菜が入った重い荷物を背負って、わざわざ田舎から訪ねて来てくれたのだそうだ。そうして滞在した3日間。父はほとんど一言も口を利かなかったという。
この時のことを鮮明に覚えているのであろう母は、よくその時の話をした。
泣きながら田舎に帰っていくお母さんの姿。普通なら悲しい記憶として思い出されそうなものだが、母は決まって穏やかな表情で話すのだった。この母の表情が昔から不思議で仕方なかった。
父は人と接する、という事においてとにかく不器用な人だった。
無口で愛想がない。外ではもちろんのこと、家の中でもあまり喋っているのを見た記憶がない。
「ああ、お父さんは人見知りだったのか。それもかなり強烈なやつ」と思うようになったのは、自分自身が人見知りであることを自覚した時だったが、子供のころの僕は、父にどう思われているのだろうか、と困惑していた記憶がある。
「ああ、このお風呂。懐かしいなあ」
それは、我が家の庭にあったお風呂の建物の写真だった。
両親が結婚して最初に住んでいたのは、古い市営住宅。当時の市営住宅にはお風呂が無く、駅の近くにある銭湯まで15分ほどかけて通っていたそうだ。
そんな時、父が家の庭に離れのようなお風呂を建てた。近所に材木置き場があり、そこから廃材をもらってきて作ったという。
父はこつこつと何かを作る、という事においてとにかく器用な人だったのだ。
「お父さんさ、私が晩ごはんの片づけを終わってから、やっとお風呂に出掛けて行く姿を見て大変そうだと思ったらしくて。お風呂作ろうか、って急に言い出して。びっくりしたけど嬉しかったなあ。ほんとに作っちゃった時には、もっとびっくりしたけどね」
「えっ。それ初めて聞いたんだけど」
母は小さく笑うと、
「お父さんはさ、そんなやり方でしか気持ちを表現できない人だったのよ。その事に気付いた時、ああ、この人なりに大事にしてくれてるんだなって」
母の言葉が僕の胸にすーっと落ちてくる。
そんな僕を見て何か思いついたのか、母がアルバムのページをめくり始めた。
「ああ、これこれ。この写真」
母の指さした写真には、まだ赤ちゃんの頃の僕が写っていた。手書きで添えられた日付を見ると、生後10か月頃。
ベビーベッドの柵につかまり立ちして、うれしそうに笑っている。
別の写真には、手押し車をカタカタいわせながら、よちよち歩きをしている僕が写っていた。
子供の頃、この写真は見た記憶があったのだが……。
そうか。そうだった。
「ベビーベッドも手押し車も、これ全部お父さんが作ってくれたんだよね……」
シャッターを押したのは、きっと父だったろう。
カメラのレンズ越しに僕の姿を見つめる父の姿が目に浮かんできて、胸が熱くなった。
お嫁さんにも、お嫁さんのお母さんにも、子供に対してまでも、自分の気持ちを言葉で伝えることが苦手だった父。
でも言葉が全てではない。父は父なりのやり方で気持ちを伝えてくれていた。
子供の頃はこの写真を見ても分からなかった、そんな事が、自分自身も年齢を重ねることでやっと分かるようになった。
「ベビーベッドはおしゃれなデザインなんて何もなくてね。でもしっかりした作りだったのよ。で、手押し車のカタカタはさ、たしかひよこちゃんだったかなあ。よーく見るとひよこに見えてきたから、きっとそうよ」
楽しそうに話す母は、やはりあの穏やかな表情をしている。
父が亡くなるまでの数か月間。
入院していた病院から家に帰りたがった父の気持ちを尊重し、母は父を病院から自宅に連れて帰り、在宅介護することに決めた。そして、母の体への負担を心配する僕たちの思いをよそに、父が望んだ通り、自宅で息を引き取るまで面倒をみたのだった。
長年連れ添ってきた夫婦だからこそ出来たのだろう、と思っていたし、もちろんそうだったのだろう。
でも気持ちを表すことに不器用だった父の愛情表現を母が受け止めていなければ、あそこまでの事が出来たろうか。そんなこともまた思うのだった。
「一応言っとくけど。お風呂を作ってくれたのが先。ベビーベッドはその後でしたからね」
「何それ? 自慢?」
「まあね」
楽しそうに笑う母を見て、ようやく元気を取り戻してきたことに、ほっとする。
もう少し、母に付き合ってもいいか。そう思って、僕も母の横に座り込んだ。
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