メディアグランプリ

悲しみの底で、心の中の宝石を磨くこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:青空(ライティング・ゼミ 平日コース)

 
 
あの日の手の感触を、私は忘れないだろう。
 
新幹線も止まったままだったあの日。
普段なら数時間で行ける道のりを、在来線とバスを乗り継いで、1泊2日かけてたどり着いた仙台駅。
外に出ると、ずっしりと重い空気に包まれる気がした。
 
高速バスに乗り換えて数時間、石巻のボランティアセンターにたどり着く。
整体を仕事にしている私は、整体やマッサージをしている人たちのグループに合流して、避難所に向かった。
 
2011年4月。
街中を車で通り過ぎるとき、船が歩道にゴロンと転がっていた。線路の脇には横転した車や、よくわからない漂流物が散乱していた。
少し街はずれになるとまだまだ瓦礫が多かったし、開通していない道も多いようだった。
ポッキーのようにバキバキになっている電柱もあった。
家はこんな風に壊れるものなのか…… と衝撃を受けた。
当たり前だと思っていた「街」という概念が、ゆらいで消えていくようだった。
 
避難所にたどり着くと、体育館の床の冷たさが足裏に伝わった。
その床にダンボールを敷いて、皆さんが生活していた。
ここで暮らしている人たちの中には、津波に浸かりながら電柱にしがみついて助かった人もいるという。
紙一重のところで流されてしまった方をたくさん見送った方もいるという。
 
整体を希望してくださる方に触れる。何とも言いようのない感覚が伝わってくる。
外からフラッとやってきた私が、軽々しく「辛かったですね」とは言えない。
「お体はいかがですか?」と声をかける。
「元気です」と言葉が返ってくる。
仰向けになって頂いてお腹のあたりを観察すると、肝臓のあたりの肋骨がありえない角度でめくれあがっている。
肝臓がものすごく腫れることで、ストレスと呼ぶこともはばかられるような強い衝撃に、耐えているのだろう。
 
その、肝臓の感触。
辛さと悲しみと絶望とやるせなさ、それに耐える気持ちがギューっと詰まったような、何ともいえない感触が、手を介して私の全身に伝わってくるようだった。
 
また別の日に訪れたある避難所は、足を踏み入れると同時に、全身が重い空気に包まれるのを感じた。
被害の大きかった地域で、ここにいる方々のほとんどが、家族を失っているのだという。
整体をしていると、亡くなった人の手続きをどうしようか? というような会話がそこここから聞こえてくる。
 
食べ物はまだまだ少なくて、朝はおにぎり2個、昼は菓子パン、おやつに飴、夜はお弁当が配られているようだ。あるだけ良いとも言えるけれど、温かいものは全くないし、選択の自由もない。
整体をしていると、突然入り口の方から聞こえてきた拍手喝采。お皿を捧げ持った人が入ってきて、人々がそれを取り囲んでいる。
「柴田さんからロールケーキの差し入れです! クリームは鈴木さんの提供です!」
それはまるで、分厚く暗い雲に閉ざされた空の中に、一筋の切れ目が生まれ、わずかな光が差し込んだような明るさとして感じられた。
鳴り物入りで大歓迎されたロールケーキは、一人一切れで切り分けられ、大切に大切に配られた。
 
その時私の整体を受けていたおじさんが、本当に楽になった! と喜んで、そのロールケーキをどうしても私にくれるのだという。もう2日もすれば何でも買える東京に帰っていく私に……。
頂くことはできない。でも無下にはしたくない。
苦肉の策で、「私ちょっと痩せなきゃいけないんで、ケーキは食べられないんです~。代わりに飴を少し頂いてもいいですか?」と、たくさんありそうな飴玉を2つ3つ貰うことにした。
 
彼の地を訪れるたび、様々なつよさや優しさに触れた。
 
たとえば地域の心の拠り所になっている、神社の宮司さん。13の集落から、ひっきりなしに葬儀や法事に呼ばれる。数百人の知人が亡くなったのだという。
神社に整体しにいった私を車で町まで送って下さりながら、さりげなく遠回りして被災地域を見せて下さり、色々な話をして下さった。
この地域の人たちはずっと海の恵みを頂いて生きてきたこと。だから自分は海を恨んではいないこと。震災後に人口が減ったりして様々な問題が生じているけれど、それはどのみち10年後には直面しなくてはいけなかった問題であること……。
私が同じ立場だったら、とてもそんなことは言えないと思った。
 
たとえば、大部分が津波に飲まれた地域のあるお母さんは、高台の自宅が津波を免れたので、近所の4家族を同居させつつ、漁村の責任者の妻として地域のお世話に飛び回っていた。
私が整体に伺うと、場所を提供し、周囲に呼び掛けて人を集め、待っている人にお茶を出したり、終わると車で町まで送ってくれたり、かいがいしくお世話して下さった。
実は11人も親戚を亡くしていて、感情を感じられなくなってしまっていたと伺ったのは、ずっと後のこと。「あなたの整体を初めて受けたあと、久しぶりに笑えるようになったのよ」と、何でもないことのように教えてくれた。
 
2011年は、30回くらい彼の地に通っただろうか。
色々な方のお体に触れる私の手から、体全体に悲しみがしみこんで、いつも容量オーバーになって帰ってきた。その悲しみを感じきって自分の内をクリアにして、また被災地に出かけていった。
 
100人いれば100通りの物語があるから、通えば通うほど、「被災地とは」というくくりで語ることができなくなる。綺麗事では済まない話がたくさんあることも知っている。
けれども、彼の地でたくさんの人に見せてもらった輝きは、ずっと心に残っている。
悲しみの底でこそ、心の中の宝石が磨かれるということが、やはりあるのかもしれない。
痛みを伴って磨かれる何かが、あるのかもしれない。
 
ーーそんなことを考えていたら、ふと、震災のしばらく後のことを思い出した。
震災とは到底比べることもできないけれども、私の身に起きた理不尽ともいえる出来事。誰にも言わずに抱え込んで、悲しみの底に沈んでいることもあった。
その頃、私は彼の地の人々に励まされて過ごしていたのかもしれない。そして、私の心の底にある宝石も、少しは輝きを増すことができたかもしれない。
 
3月になり、日差しが少しずつ明るさを増す中で、今年も3.11がやってくる。
彼の地はまだまだ寒いだろう。けれども、晴れた日の海には光が反射し、浅瀬では水底まで光が差しこむこともあるだろう。
 
今も彼の地で、様々な理不尽の中で顔晴っている知人の顔が浮かぶ。
久しぶりに手紙を書こう。
そして、ちょっといいお菓子と一緒に送ってみようと思った。
 
 
***

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2018-03-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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