スーパー高齢者になったら見える世界のはなし
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:海 うみ子(ライティング・ゼミ平日コース)
ポカポカと優しくあたる日をあびて、シクラメンが咲き乱れていた。
しかし、それはいつみても白々しいほどに満開で、プラスチックでできたと思われる葉の上には、うっすらと埃がのっていた。
ふと、時間の流れが止まっているかのような錯覚に陥る。
桃源郷ってこういう場所かもしれないなあ……
椅子に静かにすわっている患者さんをみながら、そんなことを考えていた。
「こんにちわー!」
大声でよんでも、聞こえていないのはいつものことなので、私はドアをあけながら中を覗き込んで声をかける。古いこの家には、インターホンなどない。
「あら、まあ〜。いつも遠くから、すいませんねえ」
と、その女性はゆっくりと杖をつきなら、私を出迎えてくれた。
女性は齢98歳、患者さんのお姉さんだ。
こちらの様子など我関せず、玄関からものぞける距離のその縁側で新聞を開いて静かに座っているのが、私の患者さんだ。こちらは現在95歳、この春で96歳を迎える。半年前まで病院まで通院していのだが、足腰が衰え通院が困難になってきたため、訪問診療が始まった。
「調子どうですか?」
と、いつものように声をかけると、
「どこも悪いとこなんてねえよ〜」
と、いつものように静かに笑いながら答えてくれる。
横でみていたお姉さんが
「弟は、おかげさまで何も変わりなくて。いつもありがとうございます」
と、同じくいつものように横からフォローを入れてくれる。
私は、血圧を測ったりしながら、もう少し詳しい近況などを探ろうとするも、ふたりとも「特に変わりない、元気でありがたい」と言う。
実際、本当にとくに変わりない様子であるため、私も確認すべきことが終わったら、「ではまた来月に」と言って帰る。
彼らがしっかりしていて忘れそうになるが、こうして90を超える二人が、なんとか自立して暮らしている様子は毎回驚かされる。病院への通院が難しくなったとは言え、二人とも家の中を自らの足で移動し、トイレもお風呂にも行く。お姉さんは電動車いすを使いこなし、買い出しにも自分で行って、食事を作る。しつこいようだが、二人は98歳と95歳だ。
自分が90歳になったら、なんて考えてみたことはあるだろうか。
私は、90まで生きるなんて恐怖だと思っていた。そもそも高齢者になったら、周りに迷惑かけてきっと大変だし、我慢強い方ではないから、痛いのや思うように動けないのはきっと辛いに違いない。長生きなんてするもんじゃない。そう思っていたのだ。
しかし、なぜそんなイメージを持っているのかと根本を探れば、身近な高齢者である両親の影響だということに気づいた。ずっと元気だと思っていた彼らも、いつの間にか65歳を超え、いまや世の中で定義される立派な高齢者になっている。去年は、元気だと思っていた父が倒れ、救急車で運ばれた。突然の出来事だった。幸い、元気に退院できたが、定期通院はかかせない。母も電話越しだが、話すたびに、あっちが痛い、こっちが痛いと訴える。
そんな彼らも、夢があった。
「時間ができたら、2人で海外旅行に行ってみたいなあ。老後のお楽しみやわ」
今。時間はできたはずなのに、旅に出る様子はぜんぜんない。
いざ老後を迎えてみたら、旅慣れない2人で知らない国に旅行に行くというのは、体力的にも精神的にもハードルが高く、最終的には「家が一番」ということで落ち着いているというわけだ。
彼らは、夢を夢のままで終わらせてしまうのだろうか。
若い頃から、苦労してきた彼らだ。私としては、いつでもその手伝いをするのに、どこでも連れて行くのに、と思わずにいられない。彼らにも、もっと幸せな老後を送ってほしいのに。
私は、彼らに立ちはだかる老いという壁が歯がゆくてたまらなかった。そんな思いが、私の老後への憧れを消し去っていたのだ。
ある日。
いつものように、あの90代兄弟の家で診察をしていたら、唐突に98歳のお姉さんが言った。
「こないだ弟とね、話してたんですけど、私達、ほんとうに幸せだなあって。
人生で一番幸せですよ、今が」
と、穏やかに笑いながら。
今が一番幸せ? 体が思うように動かないのに? 365日、毎日家で過ごしているだけなのに?
しかし、どの私の疑問も彼らの前では、とてもちっぽけに感じられた。
本当に、彼らは、いま、幸せなのだ。
未来を危惧するわけでもなく、過去を思い悩むわけでもなく、今ここにある自分たちをただ生きている。それを一番の幸せと言えるのは、彼らが年齢を超越して出した答えなのかもしれない。
90歳以上の高齢者は、ただの高齢者とは言わず、超高齢者と呼ばれる。
本当だ。90歳以上は、スーパー高齢者だ。
考えてみれば、我が家の両親たちは、まだ高齢者の初心者だ。ドラゴンボールで言うと、彼らはやっとサイヤ人になったばかりだ。これから、2人で幸せの形を探していくのだろう。それでいいのだ。この先は、彼らもスーパーサイヤ人になれるかもしれない。なんだか楽しそうだ。老いは、失うばかりではないのだ。
黙って縁側の古びたソファで座っていた患者さんも、お姉さんのその話を聞きながら、やはり幸せそうに微笑んでいた。
お正月には、家族が久しぶりに顔を見に来るらしい。90歳まで生きたら、家族は何人いるのだろう。聞いてみたら、「どれが誰だか、わからないんだよ」と笑っていた。
ああ、ここはやっぱり桃源郷だ。
スーパーサイヤ人に囲まれながら、私も少しスーパー高齢者への憧れを取り戻し始めていた。
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