金木犀譚
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:青木文子(ライティング・ゼミ 特講)
※これはフィクションです。
明子は金木犀が好きだった。
自分が秋生まれだということもあるかもしれない。その香りも、黄金色に散り敷く花も、明子は自分の誕生日の記憶と結びついていた。
明子は一人でデザインの仕事をしていた。細々とやっていたデザインの仕事も少しづつ依頼が増え、曲がりなりにも40歳の独り身で生活できるような規模になっていた。実家の一間を使って仕事をしていたのを、ある春の4月、事務所を構えようと思い立った。自分の身をどこかに移したくなったのだった。
「南側に大きなビルもないので、日当たりだけはいいですよ」
物件の内覧にその事務所を案内してきた不動産屋は言った。指をさされた窓から外をみて明子は目を見張った。目の前の路地の傍らに、こんもりと茂った木が一本あった。高さは7mはあるだろうか。
「あの木、金木犀ですよね?」
尋ねた明子に、内覧に同行していたビルの女性オーナーが言った。
「よくご存じね。あの金木犀は私が小さいときからずっとあるの。なんでも昔そこにあったお医者さんが植えたそうよ。樹齢が80年と聞いたことがあるわ」
明子が事務所に引っ越ししてきたのは6月の夏至の日だった。明子は毎朝事務所に行く前に、必ず金木犀を下から見上げた。
その年の秋。金木犀は満開になった。事務所の窓からみると、窓と同じ高さに、全体がオレンジ色の花で覆われた金木犀の木があった。明子はこの事務所に越してきて本当に良かったと思った。
そして3年がたった。
ある日、事務所のドアをノックする音がした。ドアを開けてみると、近所の自治会長さんの奥さんが立っていた。
「明子さん、もうお聴きになった? あの金木犀よ。あの金木犀切られちゃうそうよ」
そう言いながら奥さんは一枚のチラシを明子に手渡した。明子が、毎朝金木犀を見上げている姿を近所の人たちはよく知っていた。
明子はそのチラシに目を落とした。そこには落ち葉の苦情が来ているので、市道に生えているその金木犀を今月1月の待つまでに切る旨が書かれていた。
夜のうちに雪が降ったのだろうか。翌朝はうっすらと雪景色の朝だった。明子はその日も、いつものように事務所に向かう前に金木犀を下から眺めた。うっすらと雪をかぶった金木犀をみて、明子は心に決めた。やれることをやろう。この金木犀を切らないようにするなんて無理かもしれないけれど、自分では何もできないかもしれないけれど。このまま何もしないで、この金木犀が切られてしまったら、自分は後悔すると明子は思った。
その日、仕事の合間にチラシに書いてあった市役所の担当部署に明子は出かけて行った。担当の職員の人はいぶかしげに明子を迎え入れた。
「あぁ、あの木ですか。チラシにも書いてあるように、ご近所から落ち葉や花が落ちて大変だという苦情がありましたから」
「最近、あのすぐ横の駐車場を借りた人からの苦情なんです。金木犀の花が落ちてきて、雨でもふると車にくっついてしまって迷惑だとか、で」
明子はそれでもあきらめられなかった。デザインという仕事柄、新聞社に何人かの知り合いがいた。明子は樹齢80年の金木犀があること、それが市役所の裁量できられてしまうことを残念に思うというプレスリリースを書いて新聞社に持ち込んだ。地元の新聞2社が、写真入りの小さな記事にして掲載してくれた。
明子は自分のツイッターに金木犀のこと、市役所にいったこと、どこかにこの金木犀を移植できないだろうか、ということをツイートした。誰かが読んでくれるとも思えなかったが、ツイートをせずにはおられなかった。
翌日見知らぬ人からツイッターのメッセージが来た。
「私は市内の花屋です。あなたのツイートをみました。なにもできませんが応援しています」
またこんなメッセージが来た
「セミプロですが剪定できます。もし移植するときは剪定のお手伝いしますよ」
明子の元にひとつ、またひとつとツイートを読んだ人からの反応が届くようになった。
4月のある日明子の電話がなった。見知らぬ番号だった。電話をとった明子に、声の主は市役所の部署の名前を告げた。
「あの金木犀のことですが」
明子は、あの自分を迎え入れた市役所職員の顔を思い出した。市役所の職員はすこしばつが悪そうに、言葉を区切った。
「市民からの意見がいくつも寄せられまして。こちらでなんとか市内の公園に移すことが決まりました」
「本当ですか!ありがとうございます」
明子は思わず立ち上がりながら大きな声でそう言っていた。
明子は窓から金木犀を見た。金木犀はいつものようにこんもりを茂っていた。暗くなり始めた夕暮れのなかに、金木犀はしっかりとその輪郭を描いていた。
4月終わりの火曜日。
金木犀が移植される日だ。ほどなくして、4トンのユニック車と業者の人たちが到着した。明子は事務所の窓からみていられずに仕事の手をとめて、すぐ傍らで金木犀が掘りあげられるのを見ていた。ユニック車に乗せられていく金木犀をみて、明子は自分の車にのって、移植先の公園まで行った。金木犀の移植先にはもう移植用の穴が掘られいていた。夕方には金木犀は橋のたもとの小さな公園の一角に移され終わった。
9月のある日、仕事帰りの明子は橋のたもとの公園を訪れた。今年は花は咲かないだろう、と業者の人は言っていた。期待をせずにいつものように金木犀に近づいたその時、あの懐かしい匂いが鼻の奥に感じられたのだ。
思わず駆け寄って気を見上げた。どこだろう、どこだろう。必死になって明子は探した。
「あった!」
一番下の枝のあたりに、まだ数個だがちいさなあのオレンジ色の金木犀の花が咲いていた。
動かすことなんてできないと思っていた金木犀が動いた。そして、また秋にその花が咲いた。きっと無理かもしれない。心のどこかでそう思っていた。でも諦めずに動いてみることで思いもよらない未来がやってきた。人生もそうなのかもしれない。自分が自分の身を移してみていくつもの出会いがあったように。金木犀は思いがけない公園の片隅で、枯れずにまたその花を咲かしている。
また来年、この季節に来よう、そう思った。自分のできることをひとつづつやっていこう。金木犀はただ静かにその香りを放っていた。金木犀とそれを見上げる明子を、夕焼けがオレンジ色に染めていた。
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