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アラ還のわたしは、午後6時に小学生の女の子と闘っている


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:西部直樹(ライティング・ゼミ 特講)

 
 
「このくそー!」思わず言葉が漏れた。
わたしの向かいにいる小学生の女の子は、ニヤリとした。
アラウンド還暦のわたしが小学生の女の子に負けるのは、正直悔しい。
次は負けない。決して負けない。
わたしは一歩踏み出した。
女の子は一歩後退った。
 
午後5時50分頃になると、妻はすまなそうに
「今日は、どうですか?」と伺いを立ててくる。
仕事が立て込んでいないかぎり、わたしは答える。
「もちろん、行くよ」と。
行くのは、戦場だ。戦いの場だ。
歩きやすい靴を履き、スマホのバッテリーを確認する。
財布を懐に入れ、自転車に飛び乗る。
自転車で5分ほど行ったところに、わたしの戦いの場はある。
自転車から降り立ったわたしは、時計を確認する。
午後6時を過ぎている。
戦いがはじまる。
その場所を見渡せば、いつものライバル達がいる。
メガネをかけた小母さん、頭髪が淋しくなりかけた小父さん、などなど。
今日もライバルは多い、負けてはいられない。
最強の敵は、りりちゃん(本名不明・仮名)だ。
りりちゃんの強みは、タッグを組んでいること。
おばあちゃんとコンビを組んでいるのだ。
こちらは一人だ。
多勢に無勢、形勢は不利だ。
しかし、そんなことにかまってはいられない。
わたしの背後には、妻がいる、中学生の娘が、大学生の息子がいる。
わたしに家族の明日が、いや今晩がかかっているのだ。
 
わたしは顔を上げゆったりと、小学生おそらく3年生のりりちゃんに向かっていく。
戦いは正々堂々としなくてはならない。
そして、大いに図々しく、機敏にして俊敏な動きが要求される。
一瞬の躊躇も許されない。
アラ還のわたしは機敏さや俊敏さはいささか見劣りするかもしれないが、鉄面皮の図々しさと決断力に勝っている。それで勝ちにいくのだ。
 
主戦場はまだ平穏なようだ。
今のうちに下見をしておこう。よし、狙いは定まった。
そこに、彼がやってきた。
彼が戦いの火蓋を切る役なのだ。
若い彼の一挙手一投足を見守る。
ライバル達も、彼の近くに集まりはじめた。
最大の敵、りりちゃんが彼のそばに寄っていく。
わたしも負けじと彼と並ぶ。
ふふ、勝負は半分付いたようなものだ。
りりちゃんは、彼の左側、わたしは右側についたのだ。
彼は右利きだ。右側が有利なのだ。
小学生だからな、とりりちゃんを少し哀れむような目で見てしまった。
アラ還おじさんの余裕だ。
彼が動きはじめた。
彼が左手に持った赤いシールが目に染みる。
彼が前方やや上方を見る。
右手が動く。
いやまだだ。
ただ、揃えているだけだ。
右手が止まり、何かを掴んだ。
それだ、それを待っていたんだ。
彼が左手に持ったシール帳から、1枚のシールをはがし、それに貼り付けた。
それを棚に戻した瞬間、わたしはそれを手に取った。
やった、まずは今日の収穫だ。
りりちゃんはちょっと悔しそうにわたしをみている。
戦いは非情なのだ。
小学生にも容赦はしない。
 
最初の収穫は、「ビンチョウマグロ刺身」半額! だ。
妻の喜ぶ顔が、娘が美味しそうに頬張る顔が、息子の驚く顔が浮かぶ。
父はやったよ。
 
生鮮食品の上段部にある刺身に、小学生のりりちゃんは手が届かない。
次に店員の彼が手にしたのは、ぶり切り身照り焼き用だ。
ぶりは妻の好物だ。ここは是非、手にしたいところだ。
ところがどういうことだ。
店員の彼は半額シールを貼ると、棚の左手奥に置くではないか。
わたしからは店員さんがいるので、手が届かない。
背伸びをしたりりちゃんが手にした。
「ぶり切り身照り焼き用」半額! を手にしたりりちゃんは、チラリと私の方を見た。
その顔は少し勝ち誇ったような表情をしていた、と思う。
鮮魚の棚が終わると中段から下段は、精肉だ。
ここは勝負所だ。
 
近所の食品スーパーは、午後6時になると消費期限が近づいた商品を半額にする。
店員さんが野菜や肉や魚に半額のシールを貼っていくのだ。
半額のシールが貼られるのは、それまで10%引きのシールが貼られたものと決まっている。
半額の品を求めて、様々な人々が集ってくるのだ。
育ち盛り、食べ盛りの子どもを抱える我が家では、食費を如何に抑えるかが切実な問題なのだ。
だから、半額の食品は魅力的だ。
是が非でも手に入れなくてはならない。
 
主戦場が精肉に移ってきた。
「黒豚生姜焼き用」に10%引きのシールが見える。
それだ。
厚みのある豚肉は、家族全員の好物だ。
生姜焼きにしても、そのまま焼いてポン酢で食べても美味しい。
店員さんの手が動く。
半額のシールが貼られた!
あ、一瞬の差でりりちゃんが手にしていた。
なんていうことだ。
思わず声が出る。「このくそ!」と。恥ずかしいが仕方がない。
落胆する妻の顔が、恨めしげな娘の顔が、哀しそうにする息子の顔が浮かぶのだ。
スマン、父は負けた。
しかし、次は、負けない。
牛肉焼き肉用がターゲットだ。
これは、格安だ。それが半額になるのだから、激安だ。
 
これを持ち帰って、妻に、娘に、息子に食べさせたい。
夫として、父親として、負けるわけにはいかない。
 
午後6時の死闘はまだ続く。
 
 
***

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2018-03-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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