自信ってそんな事で手に入るのか。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:藤本香織(ライティング・ゼミ平日コース)
ここ最近の私は自信がない。
いろいろと仕事のごたごたが重なって、プライベートでもつらいことが重なってしまって、心が折れそうだ。
だが、まだ折れてない。今、こうして、「自信がないんだ」と自覚できるほどの元気はある。お昼になればお腹がすく。子どもの笑顔を見れば、自然と笑顔になる。まだ、こうして文章が書ける。
なぜ、まだ心が折れているわけではない、というのがわかるのかというと、かつて一度ぽっきりと、心が折れてしまった事があるから。人は一度経験したことは、今度ははっきりと自覚できるようになるんだな。
10年ほど前、一歩間違えば自殺してた……というほどの状態になったことがある。しかも、ほんと日常生活の一部の中で。なので、実は、自殺者の気持ちがわかる、、、といえば語弊があるが、ある一定の人の事がわかる気がする。
そういう状態になるまでの私は、「自殺」といえば、状況が八方ふさがりで、いろいろ思い詰めて、苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて、
「もう嫌っ! 生きてるのが嫌っ!」
となり、一線を越えてしまうものだ、と考えていた。
そうやって、自殺する人も多いと思う。
しかし、実はその中の何割かは(おそらく飛び降り系、飛び込み系だと)多分、違う。
その人には、第3者から見ると、ごく普通のありふれた何気ない日常が繰り返されていたりする。本人にとっては、なんとなく空虚な日々が過ぎ、ある日ふと、
「ここから飛び降りたら、もう何もないんだな」
「楽そうだな」
「ちょっとやってみるか」
と、ふらっと飛び降りたり、なんとなく飛び出したり……してしまうんだと思う。
「死にたい」とはっきり自覚しているわけではないのに。
そんな当時の私も、自信が無かった。
自信とは、「自分」を「信じる」と書く。
この漢字の成り立ちは、自分の力を信用できるのかどうか、という事だ。
最近、この「自信」は、歩く事に例えるとわかりやすいな、と思った。
例えば、「自宅の近くの公園まで、歩いていけるか?」と問われれば、たいていの人が「もちろん」と答えるだろう。
それは、自分が歩いてその公園に行けると信じているから。「自信」があるのだ。
いつ、どんな靴を履いて、どんな服装で、どんな天気の中で、どんなルートをたどり、5分なのか、10分なのか、もしくは、200歩なのか、500歩なのか、どのくらい歩けば、その公園に着くか、その時はどんな気分なのか、をありありとイメージできる。これが「必ず公園に行ける」という自信だ。
何かに対しての自信は、それを達成できるかどうかをイメージできるかどうかにかかっている。
「近所の公園に行く」ということに対しての自信は、たいがいの人が「ある」と思う。それは公園に行くイメージができるから。
しかし、例えば、「日本からトンガに行く」ということに対しての自信はどうだろう? よっぽどトンガに興味を持っている人でないと、普通は「ない」のではなかろうか。
そもそも、「トンガ」ってどこよ。歩いては行けなさそうだな。船? 飛行機? 空港はあるのか? 日本からの直行便とかなさそうだな。季節は? うーん。
こんな感想が出てくる。そして、ネットもガイドブックも何もない状況では、もう、お手上げ状態。
自殺しかけていた、当時の私は、これと同じで、未来を見失っていたのだ。
自分の将来に自信が持てなかった。
当時の状態から抜け出せたきっかけはいくつかあるが、その中の一つがランニングだった。ランニング・マラソン、といえば、子どもの頃からの最も苦手なスポーツだった。が、実は、苦手な中にもほのかな憧れがあるスポーツだった。朝からランニングしている大人はかっこいい。自分はできないが、ひそかにうらやましいと思っていたのだった。
うらやましい、と思うだけではなくて、自分で実際に実行してみよう、と思い立った私は、まず、私がランニングを嫌いだった理由を考え始めた。
小学校の時にさせられた、耐寒訓練。寒空の下で順位を競うマラソン大会。心底、大嫌いだった。冬の冷たさから耳がちぎれそうに痛くて、おまけにその痛さが頭痛に変わる。小学生の私はそれが一番、苦痛だった。おまけに途中からお腹が痛くて、息が苦しい。
単調にただただ走る、、、というのも苦痛だった。大好きだったバスケットやドッチボール、たすけ鬼ごっこ、も結構走る。でも、そこには、点数が入ったり、攻めたり、守ったり、という変化がある。
実は「走る」という行為そのものは、そこまで嫌いじゃなかったのだ。
「頭痛に代わるほどの耳の痛さ」「ただ走るだけのつまらなさ」
突き止めたこの2点をクリアすべく、大人になった私は「耳当て」をした。そして、「ipod」で音楽を聴きながら走る事にしたのだ。
これは成功した。こうして走る、「ランニング」は、小学生の頃の「耐寒訓練」が嘘みたいに楽しかったのだ。
そして、私は、ランニングが苦手、、、というのを克服した。
それと同時に、走っているときに、「ちょっとづつでも、続ければ確実にゴールに近づく」ということが体感としてわかってきた。
これは、目標をしっかり研究して、工夫して、続けていれば確実に目標に近づく、ということを体感として感じることにすごく効果があったように思う。
ほどなくして、「ふと、飛び降りたくなる」衝動に襲われることは無くなり、いくつかのいろいろなきっかけに救われて、私は「普通の」生活に戻ってきた。
最近、少し自信を無くしているのは、今の状態と、将来の目標に対して、よくわかっていないからだ。
歩いて、目標に到達するには、まず、歩ける状態に持っていくこと。目標をよく調べて、そこへ行く方法をよく考えて、実行に移し、途中で息切れしないようにマイナス要素を取り除いていかなくては。
よし。
自信を取り戻す方法を、今日から実行してみようと思う。
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