必殺遊び人になれ180312
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:木戸 古音(ライティング・ゼミ平日コース)
「この子は将来、銀行員か公務員やな」
長屋の井戸端会議での立ち話でのこと。
人見知りの激しい僕は小学校の1年生。
終日、母のエプロンの陰に隠れては、まとわりついていた。
そのころの僕の風采、髪は坊ちゃん刈り。見るからに生真面目そうな顔をしていたらしい。
それで近所のおじさんがそう言ったのだ、と思う。
夜勤中心の父親の下、昼間は寝ている父を気づかい騒いだり出来ない。
母は月末にはいつもキュウキュウ言っていた。
長屋の隣近所、お米を貸し借りなど当たり前、醤油を拝借したりというのも当たり前。
そんなときはきまって
「公務員はええで。公務員になってや」
母の口癖だった。
時は経って僕は堅い商売には就かなかった。結果的に滑り止め気分で受けた大学職員に落ち着いた。
事後承諾だったが両親は「可も無く不可もなく」別段何も言わなかった。
はたしてそもそもが大学に勤めるとは、どういうことなのか小学校しか出ていなかった両親には理解できなかったのかもしれない。
僕自身も就職活動は教員か公務員を考えていた。
損保関係会社にも食指はむいた。
それは勤務時間の短さ、高額のボーナスと僕には魅力に思われた。
説明会に出かけてみて
「こらあかんわ」
僕はその中身の濃いハードな職場環境に体質的に勤まらないと思った。
とりあえず大学職員に成る事にした。
当初はここで自立しながら再度教員試験を目指そうと考えていた。
ところがどうしたものだろう。
図書館、研究所の仕事で毎日毎日図書と格闘することになった。
心の奥では教員や学芸員を一生の仕事と傾く自分がいた。
「待てよ」
就職して5月連休も明けた頃、ふと、われを省みていた。
「人間相手の教師よりも書物相手の今の仕事のほうがのんきな僕には向いているかな」
「学芸員の博物館は本を開いて中身を見せるのが仕事、
ここは閉じた本を並べて提供するのが仕事。これもなかなか興味深いな」
「何よりも職場の先輩諸氏が面白い面々やしな」
職場の先輩は大学職員として勤めているが別の顔を持っている多士済々が目白押しだった。
能楽師としてのち人間国宝になった横笛の能管吹き、
一年間休職してソルボンヌ大学で演劇を学び劇団の演出をしている人、
共産党の幹部活動家、週末、児童向け家庭文庫を開いている女性、鉄道友の会会長さん、
少林寺拳法の師範、寺の週末住職等々。
この自由さにどれだけ救われたことだろうか。
職場は尊敬すべき先輩の宝庫だった。身近に尊敬すべき人がいるという事は、とても幸せだった。
僕は学生時代からずっと励んできた音楽=フルートを捨てる必要がない、いや、それどころか励んでいいんだと確信した。その延長で職場帰りに美術までも学びだした。
今、職場を早期退職して絵描きになっている。
その間職場の諸先輩からそれこそ生きがい、何を大事にすべきかと言う事、
どれだけ各々の生き様をみせてもらったことだろう。
「自由に生きたら、ええで」
「自分の信ずる事をやればいいんだよ」
それで、やりたい放題やってきた。またそのことを可能にしてくれる心の余裕が職場にはあった。手を広げるのに経済的にも、ゆとりが出来た。
学校という職場環境を利用して夏休みには海外の美術大学に短期ではあるが留学した。
とはいえ学校と言えども組織である。一ヶ月近くの間夏休みと有給休暇とを組み合わせて休むのだから、職場の直近には、うとんじられていた事だろう。
そのためにも職場には絵のことは内緒にした。職場の友人知人にも。
考えてみればとてもクールなやり方とは言えなかったかもしれない。
本人はどこまでも鈍感でノー天気、あまり意識しなかった。
それを私なりに勝手な理屈をつけて正当化していたものだ。
「家で寝るときパンツはいて寝るか、脱いで寝るか、そんなもん、わざわざ言うか。それと同じや」
「帰宅して何しようがプライベートのことやんか」と。
本音のところは、僕にはまだまだ自分の人生に自信がなかっただけ。
「あいつ、残業せずにいつも早く帰って絵ばっかり描いとるぜ、ろくな絵でもないのに」
「あいつ付き合い悪い奴やな」
当時はこんな後ろ指を指されてまで、自分の信ずるところを進む自信なんて、まったく無かったから。
個展をしても職場には一切知らせなかった。職場のある京都では一切展覧会を計画しなかった。
職場のだれもが大学時代の交響楽団のクラブのことは知っていても
絵に打ち込んでいることまでは知られていなかった。
それをいいことに「アフター5」を境に毎日、頭の切り替えをやっていた。
いわば二重人間だった。
中途退職して、怖いものが大分減ってきた。
職場の人間には、とても恵まれた。そういう人のお陰でここまで来れた。
人に迷惑をかけないのであれば、たとえ資金を大枚使ってでも好きな事をしてきている。
なぜって、ずっと独身で、親にもだれにも迷惑をかけていないのだからとのんきなものだ。
我が職場が人生を変えてくれた。豊かにしてくれた。
最近、三味線を爪弾くいい師匠をみつけた。
三味を手に入れてもらってお稽古が始まろうとしている。
人生謳歌、必殺遊び人、ルンルン気分でますます深みにはまって行きそうである。
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