自分のためだけに、鉄を焼く。卵を焼く。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:佐々木彩子(ライティング特講)
久しぶりに、フライパンの空焼きをした。
使いこなせば心強い鉄パンだけど、少し手入れを怠ると、あっというまにサビがつく。私が自分の鉄フライパンと親しく過ごしていたのはいったいいつ頃だったのか、そしてそれが錆び始めたのは、いつなのか。もう思い出せない。ふと心が離れた隙をついて出た錆が広がって、もう何年間もガス台下の奥に追いやられていた。たまに引き出しを確かめて、うっすらと茶色みを帯びた鍋肌に出会うたびに、自分の怠惰さを見せつけられているようで気持ちが曇る。これはいけない、次の不燃ゴミの日こそ、捨てなければと思う。しかしなぜか、いつも捨てそびれる。
きっかけは、友人のSNS投稿だった。
「フライパンを買おうと思います。みなさま、どんなものをお使いですか? よろしければ教えてください。」
たくさんのレスが続いた。質のいいテフロン加工のものを愛用しているという意見。安いものは加工部分が傷みやくて……という悩み。やはり鉄フライパンがよいという意見も有力で、いくつかのメーカー名が出た。我が家の棚の奥で錆びている、その子の名前も。
それで、思い出したのである。
自分がなぜ、やや奇妙な形をした
「柳宗理」のフライパンを選んだのかを。
そうだった。実家にいたころ、母のフライパンで何度か経験した「空焼き」の作業が好きだった。楕円形とひし形をかけあわせたような美しい形のフライパンで、私は料理よりもまず、空焼きがしたかったのだ。
一面の茶色を、スチールたわしで磨いてゆく。こすっては洗うと茶色の水がどろりと流れるので、これをコツコツと繰り返す。……と、ことばで書くのは簡単だが、全面が錆びたフライパンを磨き直すには、それなりの時間と根気が必要だった。鉄の地肌をじゅうぶんに露出させてから、いよいよ直火で焼き始める。
普通にコンロにかけただけでは、炎がフライパンの真ん中にしか当たらない。
ちゃんと手順があるのだ。
まずは手前に傾けた状態で、柄に近い部分を焼いていく。強火にかけて数分、しっかりと熱し続けると、白っぽい鉄色だった肌に青い筋が浮かび上がる。かすかに虹色の混じった青が、熱された中心の部分からゆっくりと広がってゆくのである。
手前が焼けたら角度を変えて、今度は右に傾ける。熱をかける部分をずらしながら、フライパン全体を焼いていくイメージだ。青色に変色したエリアがどんどん広がって、最後には、フライパン全体が青みがかった不思議な玉虫色に輝く。
ここまで焼けたら、少し冷ます。それから油をたっぷりめに注いで、さらに熱する。およそ数分間、鉄肌になじんだ頃に油をあけて、キッチンペーパーなどで丁寧にふき取る。
古いフライパンが、久しぶりに黒光り。
さて、何を焼くか?肉か。餃子か。はたまた、パンケーキか。
いやいや。もちろん最初は、卵だ。
フライパンをしっかり熱して油を引き、後からバターを少し落とした。バターはすぐに焦げるから、ある程度の量の油を熱しておいて、最後に香りづけに落とすのがコツなのだ。卵液を一気にジャッと流す。鍋肌に触れてあっという間に固まる卵を、フォークで手早く、でもやさしく、混ぜてゆく。ふわふわゆるゆるのスクランブルエッグ状になったら、1/3ずつ両側からたたんで、やや細長いフットボール型にまとめる。
白い皿に取って、ケチャップをかけた。
目に鮮やか。口に運ぶ。
ここしばらく使ってきたテフロン加工のフライパンで焼いたオムレツに比べて、表面がつるりと細かい。そういえば、よく研いだ包丁で切った大根の切り口も、しっとりとキメが整っておいしいものだ。
しばらく前に一部家庭のキッチンを席巻した「ていねいな暮らし」の嵐は一段落して、どうやら昨今は家事の時短がトレンド。もちろん、それもいい。台所仕事など、凝り始めたらキリがない。でも。
たったひとり、目の前に一瞬だけ広がる美しい色を楽しむ。
誰の為でもなくただ自分だけのために、なめらかな舌触りを追求する。
私はそんな贅沢さを、たまには自分に許さねば、と思うのだ。
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