わたしの意識を少しだけ変えた、異国のおばちゃんについて
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記事:福田彩(ライティング・ゼミライトコース)
最近の若者は、「内向き志向」だと言われている。
海外への興味・関心が薄く、留学したいだとか、将来海外で働きたいだとかいう意欲を持つ人が少ないそうだ。
その真偽はともかく、わたしはかなりの内向き志向で、そんな若者たちに共感してしまう。
たしかに日本は清潔で治安がよく、ライフラインが整っている。その快適な生活からわざわざ飛び出そうという気にならないのも、わかる。
わたしは、海外で働くなんて全く想像できないのは勿論のこと、海外旅行ですら、数えるほどしか行ったことがない。
10年以上前、高校生のときに修学旅行で香港に行ったのと、一度台湾に2~3日旅行したのと、たったそれだけだ。
根っからの出不精で、異国の地への憧れがない。語学にも興味がない。
そんなわたしが、なんと……。
「えっ……アメリカへ、出張ですか?」
上司から、「アメリカで開催される展示会に出張して来い」という命が下った。
確かにそのとき、アメリカ向けの仕事を担当してはいたのだけれど、自分が何の役に立てるのだろう? と、不思議に思った。
しかし、仕事なのだから、とにもかくにも、行くしかない。
何より不安なのは、やはり英語だ。
現地には日本人駐在員がいる。彼らが空港まで迎えに来てくれて、約1週間の出張中は、ほぼずっと行動を共にする。
そうは言っても、フライト中のごはんはBeefだかChickenだか選ばないといけないし、空港の税関もひとりで通らないといけない。
それに万一、駐在員とはぐれたりしたら一貫の終わりだ……!
……想像するだけで、気分が悪くなってくる。
そこでわたしは、お守り代わりに、「指差し帳」を購入した。
たとえば「○○はどこにありますか?」というようなちょっとした文章や、「両替所」「病院」のような単語が、イラストとともに日本語・英語で併記されているような本だ。
うちの会社にはきっと、そんなものを買う人はいないだろう。みんな、普段から流暢に英語を喋っている。
それに比べて、わたしの英語力ときたら。
「わたしなんかの支離滅裂な英語は、現地じゃ誰も聞いてくれないだろう……」
自信のないわたしは、不安に駆られていた。
そしてわたしは、不安を抱えたまま、アメリカへ旅立った。
心配していたフライト中のごはんや税関は、なんとか無事に切り抜けた。
しかし事件は、出張3日目に起こった。巨大な展示会場でのことである。
ふと、自分の名刺をポケットから取り出そうとすると、そこにあったはずの名刺ケースがない。
つい数時間前まではあったはずだが、どこかで落としてしまったようだ。
うろうろした範囲は限られているから、すぐに思い当たるところを探しまわったが、見つからない。
「あと考えられるのは、一度行ったトイレか……!」
あわててトイレに戻ってみる。
だだっ広い女子トイレをくまなく探すのだが、わたしの茶色い名刺ケースは見つからない。
これは困ったことになった。手持ちの名刺は全て、その中に入っている。
するとトイレの前に、掃除のおばちゃんが通りかかった。
「茶色い名刺ケースを見ませんでしたか?」
「茶色い名刺ケースを探しています」
一生懸命、そんなことを言ってみるが、おばちゃんはなかなかピンと来ない様子だ。
「Brown」
「Business card」
「Brown」
「Card case」
もう必死でこれを連呼する。
こんなときに指差し帳が手元にあれば。と思ったが、肝心なときに、それはホテルに置いてきたトランクの中に入っている。
このまま見つからないかもしれないな……と諦めかけたそのとき、おばちゃんは何か思いついたように、他の掃除仲間に声をかけながらスタスタと歩いて行く。
わたしの雰囲気から、何か探し物をしていることに感づいてくれたらしい。
わたしはとにかくおばちゃんに着いて行く。
おばちゃんが、掃除仲間のお兄さんに何か言っている。
するとお兄さんは、トイレの隣にあった用具室の扉を開き、
「もしかしてあなたの探し物は、これかな?」
……と、言ったかどうかは聞き取れないが、棚から茶色い名刺ケースを取り出したのだ。
「Thank you! Thank you!」
今度はとにかくThank youを連呼する。こうして無事、わたしの探し物は見つかった。
約1週間の出張の中で、ろくに英会話らしいお喋りはできなかった。
しかしそれでも、あのおばちゃんに、言いたいことを分かってもらうことができた。
わたしにとって、「やればできる!」という驚きの体験だった。
いつか社会科の授業で習ったように、アメリカは「民族のサラダボウル」と言われている。
展示会場を見回してみると、様々な人種・民族の人たちがいた。
この会場でわかったのは、アメリカには、「英語が母語ではない人」がたくさんいるということだ。
だから人々は、英語で一生懸命喋ろうとしている人の言葉を、聞き取ろうとしてくれるように感じた。
そして、あのおばちゃんも、英語が母語ではない人だった。
彼女が何を言っていたのか全くわからなかったけれど、支離滅裂な英語で話しかけてくるわたしを、助けてくれた。
わたしはそのとき、何が嬉しかったのだろう。
名刺ケースが無事に見つかったこと。自分の意思をなんとか伝えることができたこと。違う民族の人と交流したこと。異国の奥深さを知ったこと。
あの出張から、何年か経った。
わたしの英語力は、さっぱり上達していない。
今度もしアメリカに行く用事があったとして、そのときも指差し帳を手放せないだろう。
それに今も、内向き志向かもしれない。
海外より日本のほうが治安も良いし、慣れ親しんだ環境は、やっぱり快適だ。
でも、あのおばちゃんに助けてもらってからは。
海外での体験というのも、悪くないと、思うようになった。
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