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プロフェッショナル・ゼミ

見習うべきは薄力粉《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:久保明日香(プロフェッショナル・ゼミ)

毎年、春が近づいてくると、今までに3回、人生を左右する分かれ道に立ったことを思い出す。その分かれ道とは受験と就職である。これらには必ず”合否”がつきものだ。
高校受験、大学受験は幸いなことに落ちることなく志望校に合格することができた。それでもあの時必死に勉強したこと、苦しかったことは多分この先、何度か思い出すだろう。それよりももっと嫌な思い出として心に深く刻まれているのは就職活動である。私が二十数年生きてきて”落ちる”ということに一番敏感になっていたのがこのときだった。

12月から解禁になった就職活動。私はエントリーシートを企業に提出しまくった。Webで登録するものと手書きで送るもの、合わせて100社以上は出しただろう。しかし、その中で本番の4月からの面接や筆記試験に進むことができた数はわずか7社程だった。何がだめで落とされたのか、何がよくて通過できたのか、全くもってわからなかった。だが、就職には私の今後、数十年の人生がかかっている。だからあまり深く考えず、残っている7社のうちのどこかに何とか採用されるよう、必死でしがみついていこうと決めた。

試験会場には同じような恰好の人がひしめき合っていた。まるで満員電車のようだった。混みあった電車に乗りこみ、座席に座るか、つり革を掴むことができれば、電車がどれだけ揺れてもバランスを崩すことなく、最終目的地までゴールできる。しかし、無理矢理乗りこんだ場合、自分の足二本でしっかりと踏ん張っていないとバランスを崩して倒れてしまったり、押し出されてしまったりする。
私はというと7回乗ったどの電車でも座席に座れず、つり革を掴むことすらできず、急ブレーキと共に将棋倒しのようにバランスを崩して押しつぶされてしまった。結果、4月の中旬には7社のうちすべての企業へ進む切符を失っていた。私は各企業からふるい落とされたのだ。

もうどの企業も私の事なんて雇ってくれないのかもしれない。その気持ちが新たなる企業探しの邪魔をし、私は就職活動を再開させることができなかった。そして大学にも行かずにほとんどの時間を家で過ごすようになった。毎日のようにリクルートスーツを着て家を出て行っていたのに急に家に引きこもるようになった私から、母は結果を察知したようだった。直接結果を聞かれることは無かったが何とかして元気付けようとしているのが食卓から読み取れた。私が家に引きこもるようになってから食卓に並ぶのは私の好物ばかりだったからだ。嬉しいのだが何となく複雑な気持ちだった。

そんな生活を続けていたある日、母がパウンドケーキを作ってくれた。母の作ったケーキを食べるのは中学校の時以来だった。
「久しぶりに食べたくなって作っちゃった。今回のは丁寧に作ったから美味しいよ」
フォークで一口サイズに切り、そっと口へ運ぶ。
「……おいしい」
心身共に疲れていたのか、ただのパウンドケーキがとても高級なものの様に思えた。フォークで刺した時はしっかりとしているのに舌の上でほろっとほどけて、なくなっていく。久しぶりに感じる幸福感からフォークが止まらず、あっという間にパウンドケーキを食べきってしまった。

「もうないの?」
「あら、ごめんね。近所のおばさんにおすそ分けしてきたからもうないのよ。もし、時間があるんだったら、今から自分で作ってみない?」

そしてその数分後、私は、エプロンを付けて台所に立っていた。
台所に立つのなんていつぶりだろう。最後に何かを作ったのは、中学校のバレンタインデー以来かもしれない。母の指導があるとはいえ、数年ぶりの料理がパウンドケーキだなんてハードルが高いのではないかと思ったが、どうせ家にいても何もしないのだから、せっかくなので挑戦してみることにした。

薄力粉、ベーキングパウダー、牛乳……。まずは材料を正確に計っていく。
「まぁいいや、は禁物だからね」
横から母が口を挟む。お菓子作りでは材料の数十グラムの差が出来上がり全体に関わってくるらしい。今回、おいしくパウンドケーキが焼きあがったのも、レシピ通りに丁寧に材料を測った結果なのだと母が振り返って言っていた。

材料を計ったあとは、混ぜて焼くだけだ。思っていたより全然簡単じゃないかと思っていると
「はい、じゃあ薄力粉とベーキングパウダー、ふるってね」
とふるいを渡された。
「あとは混ぜるだけでしょ? これ、別にしなくてよくない? 面倒だし、粉がまわりにとびそうなんだけど」
そう言うと、フフッと母が笑って言った。
「親子やね。私もふるうの嫌いだったの。だから、昔、この工程に何の意味があるのか、インターネットで調べたことがあるんだよ」

粉をふるうか否かでこれもまた、仕上がりに違いが出てくるということだった。ふるうことによって粉に空気が入り、焼き上がったときにふんわりと、くちどけの良いものになるらしい。昔、母もその工程が面倒で粉をふるわずにケーキを作り、私と姉におやつとして出したのだが、そのケーキを食べ終わった後、いつもならある”もっと食べたい”発言が無かったということだった。

「きっとそれって、そのケーキがおいしくなかったってことでしょ?」
母はそのとき、粉をふるうことの意味を理解したらしい。

昔のことなんて覚えてはいないけれどそこまで言われると薄力粉をふるうしかなかった。
私はシャカシャカと右手を細かく左右に動かし、粉をふるい続けた。粉はどんどん落ちてボウルに溜まっていく。その様子を見て、
「あーふるい落とされてる。私の就職活動もこんな感じであっという間だったなぁ……」なんて考えが浮かび、不採用通知のメールの本文が思い出された。そのとき、母が私の顔を覗き込んで
「そんなにふるうのが嫌?」と聞いてきた。
「そうじゃなくて、ふるい落とされるっていう行為から就活思い出しちゃってた。ごめんごめん」
「そっか。でもね、ふるい落とされた先でどうなるかが大事なんじゃない?」

ふるい落とされた先?
そんなの決まっている。私みたいにやる気が全てそぎ落とされるだけだ。もう次の就職活動への一歩が踏み出せなくなるような、そんな風になるのだ。
この薄力粉だってそうだ。ふるい落とされて……いや、違う。
この薄力粉は確かにふるい落とされているが、この後、他の材料とあわせることでふっくらおいしいパウンドケーキへと変化を遂げる。そのための準備がこれだ。落とされたその後、何になるのかは混ぜ合わされるもの次第なのかもしれない。そのとき、私の心に立ち込めていたもやもやが薄力粉と共にふるわれているような感覚を覚えた。

全ての粉をふるい終わった後、いよいよ本工程へと進んだ。
溶かしバターとグラニュー糖、卵をボウルに混ぜ合わせ、そこに先ほどふるった薄力粉を投入した。白かった薄力粉は他の材料と合わさることで黄色っぽく色がついてくる。サラサラだった粉も、もったりとした重みのある生地へと変化を遂げている。
ここまできて薄力粉はふるい落とされるために生まれてきたわけではなく、何かと合わさっておいしい料理になるために生まれてきたのだと気づいた。

あとは焼くだけだ。

数十分後、台所にはケーキが焼きあがる香ばしい匂いが漂っていた。レンジを開けるとふっくらと焼きあがったパウンドケーキが目の前にあった。初めて自分で作ったパウンドケーキ。焼きたてのケーキを口にいれた瞬間、ほくほく感が口いっぱいに広がり、滑らかな生地は余韻を残しながら私の口から消えていった。

「うん、上手にできてるじゃない! 下準備が大変でも、その分ちゃんとおいしいものが焼きあがるんだったら、下準備も悪くないでしょ」

母は何のためにパウンドケーキを一緒に作ろうと言ってくれたのだろうか、なんとなく、暇そうにしていた私を誘っただけではないような気がした。ケーキを作る過程から何かを感じ取ってほしい、そう思って誘ったのではないだろうか。

「……もう一個食べていい?」
「もちろん、明日香が焼いたんだから。好きなだけ食べていいよ」

私は気のすむまでパウンドケーキを食べた。そして食べ終わったらもう一度、まだ募集している企業を探そうと決めた。だってまだ、企業に出会える可能性が残っている。見習うべきは薄力粉だ。ふるい落とされた先で出会った企業と上手く混ざりあうことで私の人生も変化を遂げるかもしれない。おいしく焼きあがることができる、そんな企業に出会えることを祈りながら就職サイトのページへアクセスした。

あれから6年が経った。
何とか就職先を見つけ、働いてはいるものの、私は未だおいしいパウンドケーキにはなれていない。多分まだ下準備が整っていないのだ。毎日社会の荒波に揉まれるのは辛い。だけどその度に何かしらの要素を吸収することができればいつかきっとおいしいパウンドケーキになれると信じている。

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