メディアグランプリ

飛躍的な発展を遂げてきた医学とは、なんて無力なものなのだろう


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記事:佐伯壮一朗(ライティング・ゼミ特講)

 
 
「あなたは将来、がんになる可能性が極めて高いです」
お医者さんから病院でそのように言われたとしたら、あなたはどうするだろうか?
 
現在、様々な種類のがんへのかかりやすさが、自分の遺伝子を調べることでわかるようになってきた。
自分が将来乳がんにかかる可能性が極めて高いことを知ったアンジェリーナ・ジョリーさんは、2013年、自らの乳房を摘出した。乳がんへの予防のためであった。
あまり知られていないが、彼女は自身の卵巣も摘出した。同じく、卵巣がんになる可能性が高いことを知ったので、それを予防するためだった。彼女の選択はかなりストイックである。
 
改めて、あなたががんになる可能性が高いとわかったとき、どうするだろうか?
このような遺伝子解析は、医学の目まぐるしい進歩により、可能になってきた。
今までは嘘か本当か科学的根拠もなさそうな怪しげな「遺伝子診断」 なるものが世の中に出回っていたのも事実だ。しかし、国立がん研究センターを始めとした研究を先進的に、そして体系的に進めている機関が推進している検査では、かなり正確性が担保されているといえる。もちろん、確実性の高い診断が可能なのは、現在では一部のがんのみに限られるが、今後はこのような「がんのかかりやすさへの診断」が1つの医療における選択肢となりうる可能性を、考えておくべきだと思う。実際、アメリカでは、「がんにかかってから治療を行うよりも、事前に診断ができて対処が可能であるならばそのほうが安上がりだ」 といった観点から、このような遺伝子診断を保険の対象としようとする議論が盛り上がっている。
 
しかし、ここで注意しなければならない点がある。
このようながんに対する遺伝子診断は、あくまで「予防が可能である病気に対して行っている」 という前提で行われている、ということである。
どういうことかというと、先ほど挙げたアンジェリーナ・ジョリーさんの事例であれば、乳がんは「乳房を摘出すれば予防ができる」、卵巣がんであれば「卵巣と摘出すれば予防ができる」 という前提のもとでの議論であり、また、そのような選択であったといえると思う。乳がん、卵巣がんにかかる可能性が高いことが分かったとしても、それに対処する手段があるということだ。
 
では、逆に、治らない病気へのなりやすさだったらどうだろう。
遺伝子がかかわっている病気の1つに、ハンチントン病という病気がある。この病気は、40代から50代にかけて発症する病気で、自分で体を動かそうとしていないのにもかかわらず手足が激しく動いたり、さらに進行すると、全身が動かなくなり死に至る、重症度の高い病気である。残念なことに、治療法はない。しかし、遺伝子診断で、この病気を自分が将来発症するかどうかは、かなりの正確性をもって診断できるようになった。
 
このような病気を、あなたが将来発症するかどうか、あなたは知りたいだろうか?
これに対して「知りたい」と答える人たちの意見としては、「発症することが分かっていれば、それまでにやりたいことをやり切ったうえで、自分とその病気に向き合うことができる」 と考えているという。しかし、今までの事例では、実際にこの病気が発症すると診断された方は、上記のように活発にやりたいことをやっていくのではなく、むしろ、無気力になって、ふさぎ込んでしまう方が約9割なのだという。
 
自分の運命は、自分が知っていようが知るまいが、決まっている。しかし、それを直視せねばならない状況になったとき、本当に自分と向き合いながら生きることができるのだろうか。私にその自信は、ない。
 
医学は、無力な存在だな、と感じる。
どれだけ医学が進歩しようとも、乗り越えられない壁はいくつもある。
その究極なところが、人間の「死」 なのではないかと思う。
医学で死を乗り越え、不老不死を手に入れることは、おそらく未来永劫不可能だ。
 
医学は、死に対して、極めて無力な存在である。
 
自分も、いつか必ず死ぬ。いつ死ぬかはわからないが、必ず、死ぬ。
今私が死んだとしたら、私が親しくしている人たちは悲しんでくれるかもしれない。その人たちの心には、多かれ少なかれ、ぽっかりと穴が開くかもしれない。
しかし、私とその死を悲しんでくれている周りの人たちの外側にある社会は、何も変わらない。そして、私が社会で果たしていたかすかな役割は、すぐに誰かに代替されていく。
各人にとってその「死」 の意味は異なるがゆえに、はかなく、複雑なのだと思う。
 
医学を追究しても死を乗り越えることはできない。ならば、私たちは、医学を通じて目指すべきは、「死をいかに私たちが受容できるか」 なのではないだろうか?
自分の死、他人の死。それをどのように受け入れるのか。そして、それを個人として、そして社会として、どのように抱擁していくのか。私たちの心の奥底の静寂を与えるその「何か」 が、各人に見つけることができるサポートこそ、今後医療における重大な役割となっていくのではなかろうかと思う。
 
「あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。
そんな人生を送りなさい」
 
アメリカの先住民に古くから伝わるこの言葉が、私は好きだ。技術の進歩ですべてが無機質と化しつつなる社会において、いま改めてこの言葉を一層かみしめる。
 
 
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2018-04-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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