泣かなかったのではない、泣けなかった。何かが壊れるのが怖かったから。
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記事:西嶋祐子(ライティング・ゼミ平日コース)
「大丈夫、早く帰りー。みんな待っちょるやろ」
「また明日くるけー」
それが、母と交わした最後の会話となった。
会社帰りに、
入院中の母のところによってから家に帰ることは、
毎日の日課の1つとなっていた。
その日は、親戚が家に集まっていて、
私が帰るまで、ごはんを食べずに待っているだろうからと、
母は、私に、早く帰るよう言ったのだ。
5分も病室にいなかったと思う。
家に帰ってから、
母が元気だったことを伝えながら、
みんなでご飯を食べた。
食卓を囲む人数が多い事以外は、
いつも通りの夜だった。
余命が限られていることは、
母も私たちも知っていた。
でも、命の期限までには、もっと時間があるはずだった。
真夜中に電話がなった。
こんな時間に電話があるなんて。
電話相手の心当たりは、1つしかない。
予想通り、病院からだった。
父と叔母が、病院へかけつけた。
私は、どうしても、足が向かわなかった。
払っても払ってもぬぐいきれない悪い予感しかなかった。
その後すぐ、母が亡くなったことがわかった。
さっき病室で、また明日ねって話したばかりなのに。
なんで。
今日に限って、5分もいなかったし。
なんで。
もっと残された時間はあったはずなのに。
なんで。
何をどう解釈しても
私が納得できる答えは、見つからなかった。
思っていた以上の早さで、
その日はやってきたのだ。
覚悟をしているのと、
その日が本当にやってくるのとでは、
こんなに違うものなのか。
私は、覚悟をしているつもりでいたが、
それは、うすっぺらくて、
この言葉にできない気持ちを、
どうにかできるほどの力は
全くもっていなかった。
葬儀までの間は、
悲しみにくれる暇もなく、
ただただ1つ1つを決めなくてはならなかった。
短時間で事務的に進んでいく作業。
なんてこんなに残酷なのだろうと思っていた。
母が、その日を選んだからなのか、
いつもはいない親戚が
家にいてくれたことが、せめてもの救いだった。
私はあの時、
悲しみの回路を
自分でぶちきったんだろうなと今は分かる。
「あなたが泣かずに葬儀会場にいて、驚いた」
何人もの人に言われた。
泣かなかったのではない。
泣けなかったのだ。
泣いたら、何かが壊れると思っていた。
その場に、立っていられなくなると思った。
それが、あのときの私にできる精一杯だった。
そして、そのまま、目の前の日々を、
ただひたすら過ごしている私がいた。
テレビで
小さなお子さんが亡くなった後、
何年も子供部屋をそのままにしているお母さんを
観たことがある。
その時は、
そういう事情もあるんだな
くらいにしか思っていなかったが、
私も、同じような状態だったと思う。
「私のものを捨てないで。死んだからって、すぐ捨てられたら、さびしい」
母が言った言葉が忘れられず、
その言葉を守るということが、
私の義務のように感じていた。
そうすることで、後悔や悲しみに
とらわれずにいられたのだと思う。
そして、それは、
母の想いにとらわれたままの私でいるということでもあった。
それを母が本当に望んでいたかどうかはわからない。
とはいえ、何年もたつと、
自然と物もいたんでくるもので、
私は、母のものを
捨てるかどうかの選択をする機会が増えてきた。
私は、まだ
やってはいけないことではないかと
1人もんもんとしていた。
最後の砦が崩れるような寂しさもあった。
不思議なことに
これは、母からのメッセージではないかというようなことが
起こりはじめた。
あるときは、親戚の口から、
またあるときは、初対面の方の口からも、
なぜか母の話が出てくるようになった。
そして、私は、母のものを捨てることにした。
泣きながら、捨てた。
私は、
気が付けば、涙が出るようになっていた。
少しずつ
悲しみを感じられるようになってきていた。
ああ、私が戻ってきたなと思った。
母が亡くなってから10年近くの時が流れた。
仕事で、
私と同じような経験をされた方の
お話を伺うことも、たびたびある。
目の前の方の
声にならない声や
言葉にならない想いを
代わりに言葉にすることもある。
悲しみを癒すワークや
テクニック的なことも
もちろんあるにはあるのだけれど、
無理に忘れようとしなくてもいいと
私は思っている。
忘れよう忘れようとすればするほど、
忘れられないものだし、
悲しむことが、悪い事でもない。
受け入れられるようになるという
その人にとってのタイミングは
みんな違うから。
私も母が亡くなった悲しみが
全てなくなったわけではない。
だけど、そのことがあったから
出逢えた方もたくさんいる。
母が、逢わせてくれているのかなとも思うのだ。
お墓の前で手を合わせていると、
必ず、背中に優しい風が吹く。
ああ、母からの応援メッセージだなと感じて、
涙が目に浮かぶ。
今年も、もうすぐ母の命日が来る。
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