ゴミ屋敷には「いいね!」が足りない。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:ほしのまみ(ライティング・ゼミ日曜コース)
「おばあちゃん、お花買ってきたよ」祖母は今年で98歳になる。これまで大きな病気にかかることもなく、びっくりするほど元気な人だった。それが去年の夏に台所で転倒。骨折して即入院。なんとか退院はできたものの、すっかり弱々しくなってしまい、今では父と母の介助なしに生活することはできない状態だ。食べ物もあまり多くは食べられないので、実家に帰る時の手土産は、花と決めていた。
「あら、きれいねぇ」祖母はその日もプレゼントした花を喜んでくれた。よかったなぁと思いながら、それが入っていた紙袋を捨てようとした時、
「紙袋、とっておいて」と祖母が言い出した。
「え? 同じようなのいっぱいあるよ」
実際、実家の納戸にはデパートの紙袋やら包装紙やらが十分過ぎるぐらいストックされている。第二次世界大戦も関東大震災も経験した大正生まれの人間だ。物を大切にするのはよくわかる。けれどこれではゴミ屋敷の主になりかねない。なんの変哲もない紙袋だ。とっておくほどのものではない。
「邪魔になるから捨てようよ」と言ったが、祖母は譲らなかった。
「とっておいてちょうだい」
その時わたしは、つい先日の出来事を思い出した。
大学の新学期を前に、息子が部屋の大掃除をした。
「これ全部、ゴミだから捨てといて」
部屋の前には、45ℓのゴミ袋が5袋並んだ。室内はすっきりし、心なしか本人もすっきりしたように見える。
「はいよ」と持ち上げた透明なゴミ袋の中に、10枚ほどのタオルを見つけた。
それは高校時代、息子が部活で使っていたタオルだった。家族で使うタオルとは別にして、洗濯後は彼の部屋の衣装ケースにしまっていた。
通学鞄の中にぐしゃっとしまいっぱなしになったタオルを見つけては、
「洗濯機に入れてって何度言ったらわかるのよ!」と小言を言いまくった日々も今では懐かしい。どのタオルもそれなりに使ったので、ふんわりもしてないし、ところどころ糸がほつれたりもしている。けれど、穴が空いていたり、汚れたりしているわけではない。
「これ捨てちゃうの?」
「いらないからね」
「じゃあ、ぞうきんにするから貰っていい?」
「やめろよ、ぞうきんばっかじゃん」
確かに息子の言う通りだった。家族で使うタオルの棚にも、新しいタオルを下ろした時に「ぞうきんにするから」と言って捨てずに残したタオルが、そのままギッシリ並んでいた。
わたしは片付けが得意ではない。正直に言えば苦手だ。それでいて、ミニマリストになりたくて、断捨離もしたし、ときめくかときめかないかで部屋の荷物を仕分けしたことだってある。でも気がつけば元の木阿弥。
理由はわかっている。物が多すぎるのだ。なのにまた、ぞうきん候補とは名ばかりの、くたびれたタオルを仕舞い込もうとしていた。
目の前の祖母の少しさみしそうな顔を見て、その時の自分を思い出してしまった。祖母とわたしは同じだった。なぜ祖母は紙袋を、わたしはタオルを捨てられなかったのかが、わかった気がした。
息子を産んでから今までの20年、わたしには母親としての生きる価値があった。生まれたばかりの赤ちゃんは、母親がいなければ死んでしまう存在だ。絶対的に必要とされていた。わたしの承認欲求は満たされまくっていた。
それはまるで、すべての投稿が確実に「いいね!」される状態だ。けれど、彼の成長とともに「いいね!」は減っていく。わたしがよかれと思って差し伸べた手は「いやだね!」だったり、スルーされたりすることが多くなっていった。
息子の青春時代のタオルは、わたしの母業真っ盛り時代のタオルでもある。頑張った息子と、それを支えた母としての日々は子育て最終期の「いいね!」だったはず。それがただのゴミになる。タオルに自分の姿を重ねていた。
祖母にとっても、おいしい煮物をつくったり、庭の草木の手入れをしたりしていた日々には「いいね!」がたくさんあったはずだ。家族からも「いいね!」、自分のなかでも「いいね!」が押される日常。それは、骨折した日を境に変わってしまった。
祖母の目の前にある紙袋は、花屋の店先から家までの短い役割を終え、直後にわたしにゴミ扱いされた。ゴミになったら「いいね!」はもらえない。そんな様子に祖母は自分を重ね、さみしさを感じてしまったんじゃないだろうか。紙袋をしまっておきたいんじゃない。紙袋をゴミにしたくなかったんだ。
「おばあちゃん、よく見たらこの紙袋カワイイね。今日、帰りに荷物入れて帰ってもいいかな?」
祖母はにっこり微笑んで「いいわよ」と言った。
人間はいくつになっても「いいね!」をされたい生き物なのだと思う。誰かに「いいね!」と言ってもらえる瞬間は、生きている喜びを感じる瞬間になる。
本当にわたしが祖母にプレゼントすべきは、花ではなく、そういう瞬間なのかもしれない。今度遊びに行ったら、おいしい煮物の作り方を教えてもらおう。
とはいえ、わが家のぞうきん候補は定員オーバーだ。母親としての「いいね!」を失った程度の切なさで、モノが捨てられないゴミ屋敷の主にはなりたくはない。だからこそわたしは今、こうして文章を書いている。
新たなる「いいね!」を求めて。
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