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誰も泣かないお葬式


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記事:きくち ともこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
同居していた父方の祖母は、亡くなるまで数年の間、入院生活をしていた。
 
当時私は、着替えやその他の入院生活に必要なものを届けるため、そして食事の介助をするためにたびたび入院先に通っていた。
 
祖母が亡くなったのは私が10歳の時だから、通っていたのは小学校低学年の時からということになる。
 
それほど私はおばあちゃんが大好きだった!
 
と思われるとちょっと困ってしまう。
祖母に会いたくて行っていたわけではなく、親に言いつけられて行っていただけだから。
 
そもそも私は祖母から可愛がってもらった記憶がまったくない。
どうやら祖母は、孫だからと言って特別な感情が湧かない人だったようだ。
祖母を好きになるような思い出は皆無。
 
気が付いたら入院していて、私はその病院に通うことになっていた。
私にとってはそんな感じだった。
 
忘れられない出来事はただ一つ。
 
それは入院先の病院で食事の介助をしていた時のことだ。
祖母が 「サンボンマッカ」 を取ってくれという。
 
サンボンマッカ?
何のことかわからなかった。
なんだろうサンボンマッカって!
 
これのこと?
 
といくつか手に取って見せても違う、という。
 
「サンボンマッカがわからないのか!」
祖母はイラついて怒り出してしまった。
 
困ってしまい、病室を出て公衆電話から家に電話をしてみた。
母からその「サンボンマッカ」とは、おそらくフォークの事を言っている、と聞いてびっくり。
 
祖母独特の言い方が小学生の私にわかるわけがない。
そんなに怒らなくてもいいだろうに。
 
母はその話を思い出すたび笑うのだけど、私にとっては呆れた出来事でしかなかった。
 
介助してあげてもねぎらいの言葉一つない。
祖母はいつだってそんな風だった。
好きになれるわけがない。
 
病状が悪化してからはさすがに小学生の私が役に立つ場面はなくなり、病院にお使いに出されることもなくなった。祖母は家に戻ることはなく、入院先の病院でそのまま亡くなった。
友達と一緒に学校から帰る途中、ばったり会った近所の人が
 
「おばあちゃん、亡くなったのよ。これから大変ね」
 
と教えてくれて、祖母の死を知った。
思わず友達と顔を見合わせて、ため息が漏れた。
 
結局、祖母を好きになる機会は訪れないまま、お別れすることになったのだ。
 
祖母が亡くなっても悲しくなかった。
悲しくないから涙は出ない。
いとこ達だって誰も泣いてはいなかった。
大人たちも誰も悲しんでいるように見えなかった。
 
私の見ていないところで涙していたかもしれない。
でも、悲しみに包まれる、というより、祖母が亡くなったことで、これからやらなくてはならない諸々の事柄に思いを巡らせることに忙しいように見えた。
 
私が初めて経験するお葬式は、誰も悲しんでいないように、私の目には映っていた。
なんだか少しだけ、祖母が気の毒に思えた。
 
その後、私が誰かのお葬式に参列するようになったのは随分大人になってからだ。
 
お葬式では皆悲しんでいた。
私も、母方の祖母が亡くなった時は悲しくてたまらなかった。
仕事の関係で、長年お世話になった方が亡くなったときには親類でもないのに号泣してしまった。
 
でもやっぱり、あまり悲しんでいる人がいないように感じるお葬式もある。
10年以上も高齢者施設に入って亡くなったという、夫の親戚のお葬式では誰も泣いていなかった。悲しみよりは重荷を下ろしたような雰囲気に包まれている。
 
あの時と一緒だ。
祖母の事を思い出す。
 
悲しくないわけではない。
それまでの大変な出来事の積み重ねがあまりにも大きくなってしまったのだろう。
 
誰も悲しませないでこの世を旅経つ。
これはある意味残されるものにとっては幸せなことなのかもしれない?
いや、本当にそうだろうか。
 
父には何人も姉や妹がいるのに祖母の付き添いにくる叔母は限られていた。
皆近くに住んでいるのに付き添いに現れるのは決まった叔母だけ。
その意味が理解できたのは大人になってからだ。
 
だから、私の心の奥の方には祖母のようになりたくない、という気持ちがずっと眠っている。
長患いで周りを困らせたくない。
変に長生きせず、皆が悲しんでくれるうちにさっさと死んだほうがいい。
誰も悲しんでくれないお葬式なんて嫌だ……
思い出すたびそう思う。
 
そんな私だが、とあるネットの投稿で「人は亡くなった時、葬式を見ればどんな人生だったかわかる」という言葉を目にしてどきんとした。
 
私が祖母の死を悲しく思わなかったのは、祖母を好きでもなんでもなかったからだ。
祖母との良い思い出が少しでもあったなら悲しかったに違いない。
 
分かり切っている事だったけれど、改めて考えさせられた。
お葬式で誰も泣いてくれなくても構わない。笑ってでもいいから
「もう会えなくて寂しい」
「また会いたかった」
そんな風に思って見送ってもらいたい。
もしも、見送ってくれる人が誰もいなくても、先に行って待っていてくれる人がいたらいいな。
そう考えれば、この世から消えることもそんなに怖いことでも悲しいことでもないように思えてくる。
 
それから、いつ最期を迎えるかなんて誰にもわからないけれど
長生きすることになったらせめて可愛い老人になりたいものだ、と思う。
あの人には近づきたくない、そう思われてしまうのは残念すぎる。
 
可愛い老人になることを目指そう。
長生きが嫌だった私も、この密かな目標があれば、年を重ねていくことを楽しみに過ごせそうだ。

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2018-05-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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