メディアグランプリ

生後1か月で切腹した娘


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中 伸一 (ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「神さま。御心ならば、この子の手術が成功しますように。執刀して下さる先生をはじめ、手術に関わるすべての方々をあなたが守り、良い働きができるようにお導き下さい……」
妻との長い祈りが終わると、ほどなく看護師が娘を迎えに来た。私たちも娘を載せたストレッチャーの後ろをついて行く。
手術室の入り口で、
「頑張ってね」
と既に薬で眠っている娘に声をかける。
 
8年ぶりに授かった娘は、乳を飲んでは噴水のように吐くようになった。原因は、「腸回転異常症」。腸の巻き方がおかしい奇形だ。巻き方がおかしいところで小腸がひねられる「腸ねん転」がおこると、乳の通り道が塞がってしまう。そのために吐いていたのだ。放置していると栄養不足になるだけでなく、腸ねん転の状態が続くと壊死が起こり、腸が腐っていく危険がある。一度壊死が起こると、何度も手術して壊死した部分を取り除く場合が多く、若くして亡くなることにもなりかねない。今のうちに、腸ねん転が起こらないように手術する、ということになった。
手術はそれほど難しいものではないが、命にかかわる病気であることは、間違いなかった。生後1か月にして開腹手術という、大きな試練に娘は直面していた。
たぶん大丈夫。でも、もしかすると、生きている娘を見るのはこれが最後かもしれない。
 
ベテランの執刀医は、
「開けてみないと分かりませんが、壊死が起こっていなければ、2時間で終わりますから」
と力強く宣言した。固太りの身体が頼もしい。改めて外科医って肉体労働者だと気づく。
扉の向こうに娘と医師たちは姿を消した。
 
私たち夫婦は、そこからまっすぐコンビニに向かった。スタミナ弁当とデザートを買い込んで病室へ戻る。テレビをつけてバラエティ番組を見ながら、ガッツリ食った。テレビの話にツッコミを入れながら、たわいのない世間話をしているうちに、電話が鳴った。手術が終わったのだ。
私たちは、再び手術室へと急いだ。
 
結果は良好だった。執刀医からモツのように鮮やかなピンク色をした腸の写真を見せられ、私たちは安堵の溜息をもらした。続いて娘が出てきた。細い腕に点滴がつながれている。その体は、とても小さく見えた。こんな小さな体で手術によく耐えたものだと、ほめてやりたかった。
 
 
 
私たち夫婦が、手術室に送り出した後、普通に過ごしていたと言うと、たいてい驚かれる。
「心配で、食事もノドを通らないのが普通でしょう? 信仰があるから、肝がすわっているんですね」
そんなコメントをもらうこともある。妻にそのことを言うと、
「そりゃ、心配だったわよ。でも、そのことを言い続けるのはやめようと思ったの。だって、どんなに心配して、仮に断食したとしても、結果に何の影響もないじゃない。手術が終わってからが私の出番だと思ってたから、今できることは、しっかり食べて体調を整えること。それが自分のベストを尽くすことだと考えてたの」
と、さも当然のように言う。
 
手術室に入ってしまった後というのは、飛行機が離陸した後と同じだ。
飛行機の中で一睡もせず、機内食も食べずに心配し続けたとしても、安全に着陸するか、墜落するか、という結果には何の影響もない。既に命はプロのパイロットの手に預けられている。だったら、その場はパイロットを信頼して、到着した後の本来の目的に意識を集中した方がいい。大半の人はそう思っているから、呑気にビールを飲んだり居眠りしたりしているのだろう。
もし悩んだり心配したりするとしたら、飛行機に乗る前だ。乗ってしまった後では悩む意味がない。
 
手術も、必要性とリスクを知って決断するまでは悩んでいいけれど、手術室に入ったら、プロである医師たちにすべてを任せるほかない。
手術中に気をもんだ挙句、支える立場の家族が疲れ切ってしまったら本末転倒だ。手術の内容にもよるけれど、その後のことも考えて、心配もほどほどにすべきだと、妻は言った。
さすが外科系が大好きな現役看護師である。母親としての覚悟に加えて、プロの医療従事者の視点もあるから、そんな考えになったのだろう。妻に惚れ直したのは、言うまでもない。
 
 
予想通り、麻酔が覚めてからが、妻の闘いのはじまりだった。娘は常に空腹でギャンギャン泣いた。でも、開腹手術後だから、絶食期間が終わっても、飲ませられる乳の量は初日で1回たった10ミリリットルに制限されていた。かわいそうでも、規定の量を守らなければ命にかかわる。24時間、あらゆる方法で娘をあやし、なだめ、気をそらし続ける日々が続いた。毎日ほんの少しずつ乳の量が増やされ、約1か月後、娘は元気に退院した。
 
その時の反動か、娘は兄姉より食欲旺盛で、今では体も学年では大きい方である。本人にとっては、生後すぐに生死の境をさまよったなど、想像もできないようだ。
でも、娘の腹にはバッチリと手術の痕がある。まるで切腹したように横一文字に大きく刻まれた傷跡を見るたびに、この子は生きているだけで丸もうけなんだ、と思える。
そして、娘を治療してくれた頼もしい医師たちを思い出す。彼らからは、技術とチームワークに裏打ちされた自信がにじみ出ていた。だから、私たち夫婦も腹を決めてすべてをお任せできたのだ。
 
娘には、時折手術のことを話す。手術して、腸ねん転は起こらなくなったが、普通の人とは違う腸の巻き方であることには変わりがないからだ。将来、娘が医者にかかった時に、自分で説明できる必要がある。これから本人の成長に合わせて、手術した体のことを理解させていきたい。
それと同時に、執刀してくれた医師たちの頼もしい姿も伝えたい。いつか娘も社会人として、「任せて安心」と思わせるプロの仕事ができるようになってほしい。そんな願いとあわせて……。
 
腹の手術痕のために、娘は年頃になっても、たぶんビキニが着られない。ちょっとかわいそうだ。けれど、父親としては、そんな露出は控えてほしいから、ちょうどいい。何より、自分の命を救ってくれた人がいることを、痕を見るたびに思い出してほしい。そう思っている。

 
 
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2018-05-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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