おいしい煮物になれますように!《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:久保明日香(プロフェッショナル・ゼミ)
5月1日に人事部から社内メールが届いた。
私の会社では毎年5月に上司と自己申告の面談を行う決まりになっている。そこで使用する自己申告書の本年度の雛形が送られてきたのだ。これまでとこれからの仕事についていくつか記入事項があるその雛形には毎年、自分の長所と短所を書く欄がある。
人の長所と短所は1年そこらじゃ変わらないと思っている私は毎年、この欄には同じことを書いている。長所欄には「真面目なところ」、短所欄には「臨機応変な対応が取れない」と。
だけどその週末、5月の1週目の土曜日、ライティングゼミのプロフェッショナルコースの最終回にこんなことを言われた。
「真面目には書けてるんだけど、馬鹿出来ないんだよね。鼻水が垂らせない。そこが弱点だよね」
「まだ殻を破りきれていないみたいな」
その日は最後の講義ということで、講義後にちょっとした座談会があった。私も通信を繋いで座談会の様子を流していた。そして話題はプロゼミ受講者それぞれについてとなり、私に関して三浦先生はこう述べていた。その意見に対し、他の受講者も納得しているようだった。
私はパソコンの前でフリーズしていた。何も反論が出てこない程、その通りだと思ったからである。というのも、私は毎日、誰に対しても当たり障りのない人、「普通の真面目な人」でいようと気をつけながら生活をしていたからだ。二十数年間、そうすることで自分の身を守って生きてきた。そんな生き方を選んだのはかなり前、小学校三年生になった五月の頃だった。
親の仕事の都合で小学校三年生の時に転校することになった。
新しい友だちができるかどうか不安だったけれど、元気に明るく過ごせば自ずと友達はできるだろう。そう信じて新しい小学校に登校し、先生に連れられて教室へと向かった。
「久保明日香です。よろしくお願いします!」
元気よく挨拶を済ました。好印象だったと思う。休み時間は早くクラスに馴染めるように積極的にみんなに話しかけた。みんなに笑ってもらえるように時には少し、オーバーにおどけてみることもあった。そのときはそれが正解だと思っていたし、日を追うごとにクラスに馴染んでいると思っていた。
だけど、違ったのだ。
ある朝、教室に入ろうとすると、クラスメイトの声が聞こえた。
「久保キング、でかいし、元気で目立ちすぎじゃない?」
「あいつ、俺らより絶対強いよ」
「もおー、やめなよ。もうすぐ登校してくるよ」
一部の男女が笑いながら話題に上っている『久保キング』とはどう考えても私のことだった。キングとはおそらく、キングコングから来ているのだと思う。私はこの頃、人よりも縦にも横にも大きかった。だから『キング』。
明るく元気よく、を心がけていたのだがそれがキングに拍車をかけたのかもしれない。結果、“急に現れた大きな目立つ奴”として煙たがられていたのだ。
陰でそんなあだ名がつけられていたことが悲しかった。
小学生という小さな社会の中でよそ者が出しゃばることは許されなかった。
出る杭は打たれるのだ。
もう陰口を言われたくない。だったらどうするべきか、必死で考えた結果、見つけた答えが「普通の、真面目な人になること」だった。
そう気づいたその日から私は極力、クラスで目立たないように努めた。体格が大きいことと転校生であることはどう頑張っても変えられない。だからその他の部分を抑えていくしかなかった。元気の度合いを人に合わせ、自分から話しをするのではなく、輪に入って話を聞くようにした。おどけることをやめ、人の話を受けてみんなと同じタイミングで笑うようにした。ぐらぐらと湧き上がってくる自分自身に蓋をすることで窮屈さを感じていたが、やむを得なかった。
だけど段々、クラスのみんなが私に対して構えていた空気を感じなくなった。私がクラスの中での違和感ではなくなった証だった。
中学校に上がって、生徒の母体数がぐんと増えた。知らない人が増えたため、人間関係を新たに構築する必要があった。だけど、小学校の4年間で「普通に、真面目な人になること」が体に染み付いていた私は今までどおりの態度を取ることで難なく環境に馴染んでいった。
「これでいいのか?」と疑問が浮かぶこともあったが、その度にその気持ちに蓋をした。
だけどある日、押し込みすぎた気持ちが、溢れて漏れ出てきてしまった。
『高さ20センチメートルくらいの銅像を作る』という美術の授業でのことである。
「まずは針金で人の骨格を作り、それに粘土で肉をつけていきます。人間をきゅっと小さくしたように体の部位によって太さを意識して粘土を貼ってくださいね。ポーズは何でも構いません。仁王立ちでも万歳でも、小道具を粘土で作ってもOKです。好きなポーズにしてください」
先生から指示を受け、一斉に作業に取りかかった。
このような創作系の授業は大抵、クラスの中心人物のアイデアに寄ってくる事が多い。
案の定、「俺、素振りしてるところにしよーっと」とある野球部員がいうと、他の野球部員もみんな素振りの銅像を作り出す。
女子もそうだった。「ラジオ体操とかは? みんなでちょっとずつポーズ変えていこうよ」こう声を掛け合い、同じようなものを作ろうとするのだ。
だけど私はこのとき、どうしても創りたい銅像があった。
当時私は、映画『ロード・オブ・ザ・リング』にはまっていた。その中に出てくる“エルフ”という種族が戦いのときに弓矢を引くシーンがかっこよくて大好きで、記憶に鮮明に残っていた。そしてその弓を引く瞬間を自分で創り上げたいという気持ちを抑え込むことができなかったのだ。だから私は悪気なくラジオ体操のポーズ制作のお誘いを断ったのだがそれが間違いだった。
銅像になるのであれば、外国人モチーフのほうが絶対にかっこいい。みんなもきっとびっくりするだろうな、と出来上がりを想像しながら黙々と創っているうちはよかった。
だけど授業を重ねる度に、みんなとは一風変わった銅像ができてくる。並べて保管しているとそれは一目瞭然で、弓矢を引いている私の銅像は明らかに目立っていた。
まずい! と気づいたときには時すでに遅し。女子たちが陰口を言い始めていた。
「何あれー! 弓、持ってるんだけどー?」
「人と違った物をつくって、点数稼ごうとしてるんじゃない?」
クスクス笑いともにそんな声が聞こえる。タチが悪いことに、先生には聞こえないけれど私には聞こえる音量で言ってくるのである。あぁ、やってしまったと思いつつ、形もほとんど完成形に近づいているため、今更後戻りなんてできなかった。チャイムが鳴り、反省をしながら片付けていたその時、廊下側の窓の向こうから声をかけられた。
「久保のそれってさ、もしかして『ロード・オブ・ザ・リング』のレゴラス? 俺はね、ハリーポッターが箒に乗ってるところ、つくってる!」
声をかけてきたのは小学校の時に同じクラスだった、家が近所の上村だった。移動教室で美術室の横を通ったらしい。彼は面白くて明るく、運動神経も良い。いつも輪の中心にいて、男子からも女子からも人気があった。
「やっぱり銅像作るなら外国っぽい方が良いかなと思ってさ。できたら見せてよ。俺のも見せるから! あー俄然やる気出てきたー!」
そう言って去っていった。
さっきまで陰口を行っていた女子も、それを遠巻きに見ていた男子も当然、私と上村のやり取りを見ていた。「あぁ、また目立ってしまった」と思ったのだがそんなことはなかった。
次の美術の授業から、誰も陰口を言わなくなった。銅像づくりは順調に進むようになり、クラスメイトも私の銅像の出来上がりが気になるようになってきたようで、チラチラと視線を感じるようになった。クラスの中で出ていた私という杭が打たれなくなったのは上村が私の気持ちを代弁し、私の杭をヒョイッと彼と同じところまで引っ張り上げてくれたからだろう。
上村は裏表なく、自然体で人と向き合い、堂々と意見を述べていた。そこからは素直な気持ちが感じられ、人々は彼の意見に納得していた。一方、私は「何あれー!」と言われたときにまずいと思って黙ってしまった。そうすると何を考えているのか相手には伝わらない。当然、理解もしてもらえない。
ぽんっと杭が突き出ていれば、誰も打つことができない。人がつまずいてしまう程度、ちょっとだけ出ていると違和感を感じ、煙たがられて打たれる。
もし、あのとき私が、目をキラキラと輝かせて銅像に対する熱い想いを述べていたら何かが変わっていたのかもしれない。
平穏に生きていくために、目立たないように「普通の、真面目な人」に成り続けてきたけれど、人工的につくられたそれが「違和感」だと捉えられるのであれば、生き方そのものを見直さなければならない。なぜならばプロフェッショナル・ゼミの時に言われた「馬鹿になる」や「鼻水を垂らす」というのはきっと、今までの私の生き方と対局にあるからだ。
しかし、二十数年間かけて体に染み付いたものは簡単には変えられないかもしれない。ありのままをさらけ出そうとしても無意識のうちに自分自身の気持ちに蓋をしてしまうかもしれない。
だけど少しずつ、自分のペースで蓋を器からずらしていこうと思う。
幸い、天狼院書店はそれができる環境が整っているように感じている。
というのも私が天狼院書店で出会った人達は「違和感」や「出る杭」を煙たがったりしない。むしろライバルや同志のそれを大切にし、共に成長させようとする心の広い人ばかりだからだ。いつか人工的につくられた私ではなく、ありのままの私が姿を現したときも、温かく迎え入れてくれるだろう。
今回、「ここが弱点だ!」と言われて、私に足りないものが見えてきてよかった。
いつか馬鹿になって、鼻水が垂らせる、そんな私になれたとき、蓋の取れた器の中には時間をかけてじっくり煮込んだ美味しい煮物が出来上がっているに違いない。
そんな日を夢見て、これからも書き続けよう。
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