メディアグランプリ

「出入り禁止」+「塩の洗礼」が教えてくれた、人とのコミュニケーション


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高林忠正(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「おまえじゃない!」
 
一呼吸置いて
「てめぇなんて出入り禁止だ!!!」
 
白い粒が飛んできました。
スーツにかかりました。
 
小さな白いもの
 
「これってもしかして……(塩)?」
そうです。私は塩をまかれてしまったのです。
 
すぐに診察室のドアを閉めました。
 
そのまま待合室のソファーへ。
 
MRたちの視線が私に注がれているのがわかりました。
 
 
どうしよう……
 
持参したパテックフィリップ(腕時計)のパンフレット、
これをお渡ししないといけないのに……
 
固いだけのソファー、ベージュ色の内装、ドアの開閉音。
 
「失礼します」の声とともに、MRが診察室に入るのが見えました。
 
 
 百貨店に入社して2年目の春のことでした。
 
 1年目は、バーゲン会場での呼び込みが中心でした。
2年目になって、VIPのお客さまを対象とする営業(家庭外商)に変わりました。外出するときもあれば、お客さまがご来店されることもあります。
 
 その日の朝、私は上司から、パンフレットをお届けするように指示されました。
行き先は、阿波踊りとして有名な東京都杉並区高円寺の北口からほど近い住宅街。
お客さまは、歯科クリニックを開業されていた江川(仮名)さまという方でした。
 
 電話でご都合をうかがったところ、「昼休みにしてくれ」と言われました。
 
 だったら、早目にうかがった方がいいだろうと、勝手に判断してしまいました。
しかし、これは私の早合点でした。
 
 江川さまのクリニックの昼休みは、12時から午後2時まででした。
11時50分ごろに到着した私は、受付の女性に挨拶をしたのち、ひとまず待合室のソファーに腰を下ろしました。
 
 午前中の最後の患者さんの治療が終了したのが12時半ころでした。
待合室は私一人となりました。
 
 そろそろかな
と思っていたものの、何の音沙汰もありません。
 
 しばらくして、クリニックの玄関のドアが開きました。
紺色の背広にアタッシュケース姿の20代後半のビジネスマンでした。
彼は何も言わずに待合室のソファに座りました。
 
 2〜3分して、さきほどと同じような紺の背広姿のビジネスマンが入ってきました。
さらに後を追うように、また1人、また1人。1時近くにもう1人来ました。
製薬メーカーの営業、いわゆるMRの人たちでした。
 
決して広くない待合室に、私を含めて背広姿の男性が6人座っていました。
置いてあった週刊誌を読むわけでもなく、沈黙の時間だけが過ぎていきました。
 
 1時を15分ほど過ぎた頃だったでしょうか。
ドア越しに診察室から「おぅ、いいいぞ」という声が聞こえました。
 
 ようやく自分の番だ! と思いました。
「いつもお世話になっておりま〜す」とノックもそこそこに診察室のドアノブを開けた途端……
 
そして、塩の洗礼。
 
私の番ではなかったのです。
 
 ぼーっとしたまま待ち続けました。気がつくと誰もいなくなっていました。
 
それでもパンフレットだけはお渡ししました。
ただ、その後どうやって会社に戻ったか? 帰る途中で昼食を摂ったか、上司に何と報告したか?
まったく記憶にありません。
 
大変なことをしでかした……
 
自分はもう、今の仕事は続けられないのかもしれない。
 
 塩をまかれた経験は、消すことができないものとなりました。
 
「白いつぶが飛んでくる」
私にとって澱(おり)のような記憶として残りました。
 
それからの私は、お客さまを前にすると、「またやっちまうんじゃないか?」という恐怖心が沸き起こってくるのです。
また上司から指示されると、「うまくやれるかなぁ」とばかり考えるようになってしまいました。
 
 3週間ほど経った頃、受付から電話が入りました。
「お客さまがご来店になっています」とのことでした。
営業に変わったばかりの私にとって、そのときはまだ懇意にしているお客さまはいませんでした。
私を訪ねてくるといえば、身内か学生時代の知人しかいません。
いったい、だれが来たんだろう? と思いました。
 
 受付には50歳くらいの男性が立っていました。
私を見るなり、「おまえ、おれを覚えているか?」とひと言。
 
 誰だろう?
それも、いきなりこんな口調で……
と思っていたところ、「あっ!!」と声が出てしまいました。
 
 そうです。
江川さまだったのです。
その日はクリニックの休診日でした。
 
 ええ……おれって出入り禁止だったんじゃなかったっけ……
 
私が持参したパンフレットの時計を買うためにお越しになったのです。
 
「先日は申し訳ございませんでした」とお詫びしたものの、またなにか言われるんじゃないかとビクビクしていました。
 
それでも、時計コーナーに案内すると目がキラキラと輝いてくるのがわかりました。
 
あの日とは打って変わって、柔和な表情をしています。
 
 
なによりもエグゼクティブそのものでした。
なぜか親しみも湧いてきました。
 
 江川さまがお帰りになられたあと、ようやくあの日を振り返る余裕が生まれてきました。
 
あの日最優先したのは、MRとの商談だったのです。
プライベートはそのあとのこと。
当然といえば当然です。
 
 そんな先さまのご都合を考えることなく、自分本位の判断をしてしまったことに気づきました。
それでもご来店いただいたのは、過去の先輩たちが培ってきた信用があったからこそです。
 
 人には人の順番があります。その順番とはその人が持っている前提によります。
コミュニケーションを取るとは、相手のフィールドに入ることを意味します。
それは、その人の順番を尊重することから始まります。
 
 その後私は、江川さまにご指名いただけるようになりました。
 
「出入り禁止」が教えてくれた人とのコミュニケーションです。

 
 
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2018-05-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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