おじいちゃんの夢は叶うのか《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:ほしの(プロフェッショナル・ゼミ)
祖父の患っている病気がガンで、その余命が3ヶ月であることを母から聞かされ、わたしは思わず吹き出してしまった。あろうことか笑ってしまったのだ。激しいショックを受けると、人間は感情がとっちらかってしまうらしい。わたしは高校一年生だった。
祖父の子どもは男の子ふたりだ。長男がわたしの父で、次男はわたしの叔父である。本当は女の子が欲しかったらしく、子どもができたと聞いて、はりきって女の子の名前を考えたらしい。だが、一人目は男の子。まぁ一昔前のことだから男の子もひとりは必要だというわけでそれはそれとして、望みは二人目に託された。けれど、二人目も男の子だった。叔父には悪いけれど、祖父は正直がっかりしたらしい。
そんな祖父の初孫は女の子だった。その喜びようは周りが引くレベルだったらしい。過去に考えて使う機会がなかった女の子の名前は、そのまま即採用とはならなかったけれど、むげにもできず漢字一文字だけ女の子はもらうことになった。その女の子がわたしである。
目に入れても痛くないというのは、祖父のためにあるような表現だった。孫娘は溺愛されまくり、誕生日や入園式などのイベントには必ず熱烈な手紙が綴られることになった。そしてその手紙の書き出しは必ず「ぼくのダイヤモンドへ」からはじまった。ダイヤモンド呼ばわりされるのは、幼いながらに分不相応だと感じ恥ずかしかったけれど、祖父にとって宝物だった。わたしはたぶん後にも先にも、これほどまでに誰かに愛されることはないだろう。
祖父は勤めていた大手家電メーカーを退職してから、書斎にいる時間が長くなった。もともと読書が好きで歴史が好きだったのだが、その頃から特に中国史と哲学を熱心に勉強していた。わたしはちょこちょこ書斎に遊びに行った。ドアをノックすると、祖父の優しい声が聞こえる。いつだって答えは「どうぞ」だった。扉を開けると壁一面に分厚い本が並んでおり、その一角の机に向かっている祖父はメガネを外しながら振り返る。わたしは部屋に入る部屋の中央のソファーに腰掛ける。そして祖父から勧められるのを待って、机の上のガラス瓶に入ったジェリービーンズを口に運ぶ。難しい本の背表紙はどれも茶色っぽく、圧倒的に色がない書斎にあってジェリービーンズだけが賑やかだった。祖父自身もジェリービーンズが好きだったようだけれど、今思えばわたしのためにいつもそれを絶やさないようにしておいてくれたのかもしれない。
「おじいちゃんなに書いてるの?」
「歴史のお勉強だよ。全部書けたら読んでくれるかい?」
「漢字が多くて読めないよー」
「じゃあもっと勉強してもらわなきゃ」
「やだ〜」
勉強をして欲しかったのはたぶん本気で、やだと言ったのもわりと本気で、そんなたわいもない会話を繰り返していたような気がする。なにを話したのかあまり覚えていないところをみると、祖父は勉強中の難しい話もしてくれていたのかもしれない。そしてそれを聞くのは楽しかったけれど、わたしにはちゃんと理解ができなかったのだろうとも思う。それでも祖父と過ごす時間そのものが楽しかったのだ。
祖父は学んだことを自分なりにノートにまとめ、覚えたてのワープロにそれを打ち込んでいた。後から聞くところによれば、その作業はいずれ本にするためのものだったようだ。今ならブログや手軽な自費出版、様々な研究成果や考えを発表することもできるけれど、当時は執筆したものを世の中に出すのは簡単なことではなかった。
勉強熱心な祖父をすごいなぁと尊敬し続けていたが、思春期を迎えるとそれとは別に、わたしに対する過剰な愛情が鬱陶しく思えるようになってきた。
ある日、友達とディズニーランドに行ったのだがついつい楽しくて羽目を外し、パークを出る時間が予定より遅くなってしまったことがあった。このままだと家に着くのは21時を過ぎてしまう。20時に帰ると約束をしていた。そもそも我が家は門限が厳しかったので、子どもだけでディズニーランドに行くことも最初は反対されていた。
「ごめん。遅くなっちゃって。今からみんなで帰るから」
おそるおそる母に電話を入れた。
「ちょっと! 約束が違うわよ!」
予想通り怒られた。いい加減うちは厳しすぎるんだよと心の中で文句を言いつつも駅からの道を急いだ。
交差点を曲がり家が見えてきた時、門の前に人が立っているのが見えた。祖父だった。祖父はわたしの姿を見つけると声もかけずに先に家に入ってしまった。怒られたわけではなかったが、かえってその無言の心配していたぞというオーラが重くて重くてたまらなかった。小さい子供じゃあるまいし。
心配されるのも、褒められるのも、自分に関心を向けられているという意味では全く同じで息苦しかった。居間でテレビを一緒に見ていて話しかけられても、わざと聞こえないふりをすることもあった。そうこうしているうちに、いつしか書斎に遊びに行くこともなくなっていった。
祖父が入院したのはそんな頃だった。今まで大きな病気をしたこともなかったのに、体調不良をきっかけに精密検査を受けると、あっさり大腸ガンが見つかった。その時点ですでにガンは身体中に転移していた。
医師からの余命3ヶ月の宣告は寝耳に水だった。こんなことになるなら、どうしてもっと優しくできなかったんだろう。テレビを見ながら「面白いね」と相槌を打つくらいなんてことなかったはずなのに、どうしてわたしはあんな態度をとってしまったんだろう。
日に日に痩せて力を失っていく祖父を見ながら、自分の馬鹿さ加減に腹が立った。医師の宣告は残念ながら正確で、3ヶ月とすこしで祖父は息を引き取った。
通夜と葬儀を終え、わたしは祖父の書斎を訪ねた。ノックする必要のなくなった扉を開ける。久しぶりの書斎はなにも変わっていなかった。机の上にはノートとワープロと、ジェリービーンズが並んでいた。勝手にガラス瓶を開けてジェリービーンズを食べた。いつもと変わらない甘い香りが広がるのに、そこに祖父だけがいない。
ひと月が過ぎた頃、家族みんなで祖父の遺品の整理をした。書斎の引き出しの中からは、ここ数年わたしへの出されることのなかった手紙がたくさん出てきた。書き出しは「ぼくのダイヤモンドへ」だ。もうすぐ高校生になろうとしているあか抜けないわたし。祖父にはこれっぽっちも優しくできなかった意地の悪いわたし。ダイヤモンドの要素はゼロだった。こんな手紙、本当に恥ずかしすぎる。涙が止まらなかった。
最後に書かれたと思われる手紙には、大学進学を控えたわたしへの励ましと、祖父自身の夢が書かれていた。
「ぼくは若い頃、文筆家になりたいと思っていました」
文筆家になりたいと思っていた祖父だが、いちサラリーマンとして定年まで会社勤めをし家族を養った。もしも、祖父のガンが治っていたら。もしも、勉強ノートが完成していたら。たぶん数年後には自費出版をしてその文筆家という夢は小さいながらも叶っていたにちがいない。
わたしは祖父の手紙を読みながら、祖父が叶えられなかった出版の夢を引き継ぐことを誓った。大学生になったら中国史を少しばかり勉強して、このノートとこのフロッピーのなかの文章まとめて本にすればいいのだ。本だって書斎にたくさんあるのだから。
そして勉強嫌いのわたしはなんとか大学生になった。が、そもそも歴史が嫌いで、漢字が苦手で、つまり全く祖父の書いた文章に興味が持てずに、友達や彼氏と遊んで過ごし、あの日の誓いは立ち消えていった。いつかやろうという気持ちは、先延ばしにしたまま、気がつけば大学を卒業していた。
卒業してからも、祖父のノートはわたしの部屋の押し入れにしまってあった。結婚して実家を出た今、ノートはどこにあるだろう。もうワープロは壊れてしまい、フロッピーを読み込む機械すらない。いまだに祖父のことを思い出すたび、やらずじまいの宿題を思い出す。
祖父の夢は叶わなかった。わたしが叶えてあげることもできなかった。
「ごめんなさい」
でも近頃、こんな風に思うようになった。
祖父は若い頃、文筆家になりたいと思っていた。わたしも若い頃ライターになりたいと思っていた。祖父がそうであったように、わたしの夢もまた頓挫して、違う職業についた。けれどその先も祖父と同じように、ものを書くということにチャレンジしはじめた。あの頃の祖父はワープロに、今のわたしはパソコンに向かってキーボードを叩いている。
これはもしかしたら、祖父の夢はまだ続いているということなんじゃないだろうかとわたしは思うのだ。祖父の伝えたかったことは、実家の押し入れの隅に眠っているかもしれないけれど、その伝えたい熱はわたしが受け継いでいるんじゃないだろうか。
わたしもまた祖父と同じようにライターになれずに人生を終えることになるかもしれない。病気になるかもしれないし、その才能のなさに嫌気がさしてしまうかもしれない。
けれどこうして今日、5000字を目指して書いた祖父との思い出は、プロフェッショナル・ゼミに提出することで、他のゼミ生や天狼院のライターの方に読まれるチャンスを得る。感動をあたえられたら一番いいけれど、そうでなかったとしてもなにかしらの影響を、それが大した大きさでなかったとしても、つまらん文章だなぁというものであっても、読み手のこころを揺らす可能性があるのだ。
人間が死んで土に帰り、それが養分となって草木を育てるように、祖父とわたしの熱は、どこかで気がつかないうちに誰かの養分となって、誰かの花を咲かせる小さな助けになるかもしれない。
わけ知り顔で「夢は叶わないものだ」という人がいる。わたしも子どもではないし、少しは世間を見てつもりだから、「願えば夢は必ず叶う」なんて言う人を、能天気を通り越して、無責任な人だなぁと思ったこともあった。
けれど、それはやっぱり間違っているんじゃないだろうか。
たとえば、過去にオリンピックの陸上競技で世界新記録を出したいと願った少年がいたとする。その少年は努力する。けれど少年の記録は世界に届かないレベルで終わってしまったかもしれない。彼の夢は叶わなかったように見える。
それでも、彼の子どもが、彼の教え子がボルトだったかもしれない。もしかしたら、彼の友達の友達の友達の知り合いがボルトかもしれない。
もっともっと間接的に、少年の影響で陸上競技を好きになり、世界新が出た競技場で声援を送ったか人物がいるかもしれない。その声援がボルトを奮い立たせ、世界新へと導いたかもしれない。
誰かが本気で追いかけた夢の熱量は、時間を超え、空間を超え、大きくなったり小さくなったりしながら、消えることなく次へとバトンタッチされているんじゃないだろうか。
祖父の描いた夢の熱量は、消えることなくわたしに届いた。わたしもまた新しい熱量をそこに注ぎ込んで、暑苦しいくらいに新たな夢を描いている。誰かにわたしと祖父の熱を届けたいと思った。もちろん、今はまだ誰かの夢の養分になるのではなく、その大半を自分のふところで燃焼させて文章を書き続けたいと思いながら。
なーんて、できなかった宿題の壮大な言い訳をつらつらと書きなぐってしまったなぁなんて思いもある。
それでもたぶん天国の祖父は笑って許してくれるはず。
祖父はわたしのことが大好きだったのだから、わたしの夢を自分の夢のように応援してくれていることだろう。
今度こそ、誓いを破るわけにはいかない。
夢は叶うし、叶えなきゃ。
今はまだ真っ黒な石炭かもしれないが、磨いて磨いて磨きまくって、いつか本物のダイヤモンドになりたいと思った。
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