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プロフェッショナル・ゼミ

年齢を重ねて来た 齢を気にしたことは無かった でもこの歳になった今、やっと気付いた《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山田THX将治(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「山田さーん。いくつ位から、体力や気力の衰えって感じるものなの?」
天狼院での何かのイベント中、休憩時間に三浦店主から問われた。いつにも増して、子供の様な言葉使いだったと記憶している。
三浦店主と私は、約20歳離れている。勿論、私が年上だ。
正直なところ、何歳になっても‘衰え’を感じては来なかった。もっと言えば、いつの頃からか、“年齢”を言い訳にしない様に心掛けて来た。
 
「いや、全然感じたこと無いよ」
問い掛けて来た三浦店主に、私も子供の様な言葉使いで返答した。
「もう、40歳を超えたんだけど、いつまでこのまま出来るのかなと思って」
「いくつになっても、基本は変えられないから、多分三浦さんも私みたいに還暦になっても、同じことを言ったりしたりするんじゃないの?」
二人にとっては、当然の会話だった。男同士、特に中年を過ぎた辺りからの男性は、往々にして“どちらが若いか”で競い合ったりする。まだ、ポジティブな方だ。
これが“自分の病気自慢”が話題になったりするといけない。丁度、景気の悪い業種の経営者が集う‘異業種交流会’の様に、単なる‘傷の舐め合い’や‘みんな景気が悪いから、何となく安心’みたいな、“負け犬根性”が漂ってしまうから。
 
いつも忙しく、そして楽しそうに仕事をしている天狼院の三浦店主であるが、私の第一印象は、
「俺より自由にそして楽しそうにしている、珍しい奴がよくぞ居るものだ」
だった。
 
そう最近、三浦店主のSNSへの書き込みに“900連勤”とあった。普通に考えれば、正気の沙汰ではない。しかし、その続きに“または900連休”と有ったのだ。これは正確に書くと、“900連楽”だろう。
なかなか理解して頂く事は出来ないだろうが、三浦店主にとって連続して休みなく続けている‘仕事’とは、楽しくて楽しくて仕方のない事なのだろう。これは、事業を営んでいる者なら一度は経験する症状だ。私にも有る。正確には、有った。
経営者なので勿論、悩むことも多い。むしろ、悩むことの方が多い。特に、金銭面での苦労は、誰かが助けてくれることではなくすべて自分で解決しなければならない事なので、一人で抱え込まなければならない。そんな時、前を向くか俯く(うつむく)かで、他者からの評価が決まったりする。
私なら、そんな時は一度立ち止まり、自分の‘立ち位置’を見直してしまう。
その点、三浦店主は立ち止まらず走り続けることを選んでいる。見習わなければならない点だがそれ以上に、立ち止まらず走り続ける姿が、私には“自由”で“楽しそう”に見えているのだと、最近になって思い当たった。
これは多分、立ち止まってしまった私だから感じる点かも知れない。または、顧客からの要望を、一身に受けて立つ一種の“使命感”の表れであり、そこが私には“羨ましさ”となって見えているのかもしれない。
 
三浦店主の口癖に“フルスロットル”が有名だ。
「今日も全開(全力)で走り抜けよう」
の意思の表れだと感じる。
この“フルスロットル”は、“フルアクセル(アクセル全開)”とは、意味は同じでも少し印象が異なる。どちらかというと、自動車ではなくオートバイでよく使われる用語だからだ。
‘アクセル’はペダルを右足で踏み込むものなので、全開状態が自然な形(足の)となる。
一方、‘スロットル’は主に使われるのがバイクなので、‘スロットル・グリップ’を握った右手首を極端に手前へ倒す形にしなければならない。バイクのスロットルを操作したことが有る方は分かると思うが、実に不自然で時に苦痛を伴う。
 
勿論、三浦店主は‘苦痛を伴う形’を意味して“フルスロットル”を使っている訳では無かろう。そうでなければ、傍(はた)から見た時の“楽しそう”感が出て来る筈がない。
ただ、若い方々は、時に‘苦痛を伴う形’を維持してみるといいと思う。
何故なら、スロットルもアクセルも、始終全開にしているとスロットル・ワイヤーやアクセル・ワイヤーが伸びて、操作可動域が広がるからだ。
その上、スロットル・バルブの開閉操作自体も軽くなるからだ。
即ち、全力で何かをしなければならない時の、絶対値が上がるだけでなく、自分をピークに持って行く時間を短く出来るからだ。反対に、若い時に“フルスロットル”を経験しないと、自分の絶対値が低くなってしまうと思うのだ。
丁度、アスリートとはいかないまでもそこそこ運動する人の例だと分かり易い。若い時に、身体に、特に筋肉にある程度の‘負荷’を掛けておかないと、筋力も関節の可動域も心肺能力だって、ポテンシャルが低くなってしまう。体力の絶対値は、歳を重ねてからでは向上出来ないからだ。しかも悪い事に、誰にでも起こる‘ポテンシャルの低下’は、若い時に鍛えておかないと、その加速度が格段に速くなってしまう。
だから、若い内は恣意的に自分を“フルスロットル”状態にした方が良いと、還暦が近付いた私は思ったりしている。
 
若い時を振り返って、‘~しとけばよかった’と思うことが多いと聞いたことが有る。‘~だったから出来なかった’(殆どが若さ故)と聞いたこともある。
しかし私は、どちらも実感が無い。自分の思った通りのことをして来たとしても、それが必ず好結果となった確証が無いからだ。それに、人間は誰でも“その時点”で最良の選択をすると思うし、少なくとも私はそう信じている。これは、人生の結果の出始めた今だからこそ気付いたことだ。
また、若いからだけではなく、出来なかったことの理由なんて、いくらでも思い付くし、だいたい出来ない言い訳から考える人は、仕事の出来ない人間だと相場が決まっている。これは経験則なのだが、理屈なんて何でも付いてしまうのだ。
 
だから逆に、歳を重ねて出来ないことを考えたこともない。考えたところで、気持ちがネガティブになるだけだからだ。
だからその逆に、年齢が上がって可能になったことを考えることにしている。これは実感なのだが、年齢が上がってくると勝手に周りの人が、‘上目遣い’で見上げてくれるのだ。何となく‘責任感’を感じるが、悪い気分にはならない。それに、‘齢相応’の行動をせざるを得なくなる。多少、肩が凝るけどね。
だけどそのまた逆に、自分の志向を押し付けることが無い様に気を付けている。何故なら、歳を重ねて経験を積むと、数多く‘痛い目’にも合って来たし、‘危ない橋’を何度かは渡って来た。正確には、渡らざるを得なかった。人間何故か、‘危険’を経験すると自分をセーブすることで、‘危険’から遠ざかろうとする。“熱さに懲りてなますを吹く”というやつだ。こうした、‘ビビりな私’は決して若い方々の手本にはならないし、目標にもしてほしくない。
 
このところ気になっていることだが、歳を重ねてくると必要以上に早く自分をセーブしてしまうことが有る。嫌な事・悪い事に出くわさない様にと考えてだ。
だからどんどん、ブレーキの踏み方が早くなってくる。上手にもなってくる。踏み方自体は、上手くなっているのだが、ブレーキとアクセルは同時には踏めないので、必然的に“フルスロットル”状態から遠ざかっている。
こうなると、アクセルの踏み方を忘れてしまいそうで、恐怖感すら感じる。
だから最近、かなり意識的に・意図的に自分のアクセルを踏み込む様に心掛けている。また、その必要性も感じている。私が意外と、怠け者だからだ。
自分のスロットルを開くと当然、色々な意味で‘速度’が上がる。高揚感もある。
三浦店主の「衰えを感じるの?」発言は多分、現在が高揚感の有る絶頂期を迎えていると感じているからこそ出た質問だと思う。40代前半までが絶頂期という理論に、異論を挟むつもりはない。実際、‘知力+経験+体力(筋力)+気力+記憶力’の絶頂期は、30代半ばから40代前半がピークだろう。
‘体力+気力+記憶力’は、若い時の鍛え方で意外と維持するものだ。私は今でも、衰えを感じたことは無い。“歳”を言い訳にする時は、一種のジョークで本音ではない。
‘知力+経験’は、歳を重ねれば重ねる程、向上を図ることが出来る事柄だ。
だから改めて、若い時の“フルスロットル”が必要だと、今になって痛感する次第だ。
 
齢を重ねると、良いことだってある。
今まで経験しなかったこと、知らなかったことを、経験できたり知り得たりする機会が累積することだ。こうした経験が、歳を重ねれば重ねる程、結構大切なのではないかと、最近になって感じ入っている。
こうして天狼院で、ライティングを学んでいることがその一つだ。
私の場合、ライティングに関しては、若い時に十分訓練して来なかったことと、その必要性が無かったこと、そして圧倒的に読書量が足らなかったことで現在の筆力向上がはかばかしく無い。
しかし、今になっての学びで、筆力向上が‘亀の歩み’の様に遅くとも‘決して後退してはいない’と言い切れることが、貴重で大きな経験となっている。
これはやってみないと判らないが、10年後、‘古希’間近になった私と今の私のライティング力を比べた時、出来れば10年後の私が圧倒してもらいたいと思っている。
勿論、希望的観測なのだが。
 
テレビの番組では無いが、私が考えるプロフェッショナルとは、
「その人が、“その時点“で持っている“全ての”物を“常に”全部出し切ることが出来る人」
だと考える。
この天狼院ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース受講生となって早2年になろうかとしている。この2年間、ほぼ毎週にわたって5,000字のクライマックスを求めて来た。振り返った時、正直なところ筆力は、私が想定した程には向上したと言い切れない。私が思うプロフェッショナルに、徹し切れなかった2年間の結果だと思う。
でもしかし、誰よりも‘書きたい’気持ちは持っている。多分、ライティングを学んで来た経験で得たものだろう。今後も続けていきたい。
 
私はもう、還暦近い初老の者だが、まだまだ本質的に稚拙だ。ライティングに於いては特にだ。
ということは、まだまだ‘未開の地’があるのだろう。
そこを、もっと上を目指していきたいと、強く強く感じた。
 
天狼院ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース新期を受講するにあたって。
 
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