プロフェッショナル・ゼミ

「とにかく書け」と言われて書けるんだったらとっくに書いてるよ。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:櫻井由美子(プロフェッショナル・ゼミ)

天狼院書店のプロフェッショナル・ゼミを受講している。6月17日に初回の講義があったあと、第1回目の課題提出は6月23日の土曜日。わたしの39回目の誕生日だった。
初めて提出したわたしの文章は、三浦さんの前に見事に砕け散った。
2000字の文章を書けるようになったとしても、5000字を書けるようになるためには成長の崖を超える必要がある。5000字の射程を手に入れることは簡単じゃない。
ライティング・ゼミで散々そう聞かされていたけれど、わたしはそれを自分ごととして捉えられていなかった。
2018年2月開講のライティング・ゼミを受講していた。ライティング・ゼミを受講し終わったらそのあとはどうしようか、プロフェッショナル・ゼミを受けようかどうしようか、と迷っていたころ。あれはたしか最後の週の課題を提出しようかという頃だったと思う。天狼院スタッフであり、ライティング・ゼミのフィードバックを担当してくれていた川代さんから「プロゼミに興味ありませんか? 入試だけでも受けてみませんか」と声をかけて頂いた。
もちろん天狼院は商売でゼミをやっている以上、声をかけてくれることは川代さんにとって、天狼院にとって、営業の意味合いを持つのだということはわかる。わかっている、んだけれど。それでもうれしかった。見込みがあると思ってもらえているように感じて、こそばゆい感じがした。
プロゼミは、入試を受けて合格しなければ受講できない。だからわたしは迷っていた。
プロゼミの入試概要にはこんなことが書いてある。
「入試は、プロとしてやっていくだけのモチベーションやスタミナが見受けられるかどうか、5000字という長い射程を書ける見込みがあるか、ライティング・ゼミで勉強した基本が身についているかどうかをはかる試験です」
それを見たわたしは、怖くなった。
わたしがプロゼミの入試を受けたとして。もし、合格できなかったら? それってつまりわたしには見込みがない、書く才能がないと言われるのと同義ではないのか? 
入試を受けさえしなければ、「受ければ合格出来たかもしれない」という可能性を残しておける。わたしだってやればできるんだよ、ただやらなかっただけで、出来なかったわけじゃないよ、って言い訳出来る。
そう思った。入試を受けないという選択にだいぶ傾いた。
でもやっぱり、「それってどうなの?」「結局怖がってなんにもやらないままで本当にいいの?」という声が心の中で響いていた。
そうだ。まずはプロゼミの講義の日程をチェックしよう。たしか週末の夜だった気がする。
もしすでに夫の出張が入っていて娘を託せなかったら、あきらめよう。そう思った。せっかくプロゼミを受講するならば、通信での受講ではあるけれど、リアルタイムで講義を受講したいと思ったからだ。
スマホでプロゼミの日程をチェックした。3日間。どれも日曜日の17時から21時半までの時間帯だった。すぐにそのページを閉じて、夫とスケジュールを共有しているカレンダーアプリを開いた。3日間ある講義の日はどれも空いていた。
わたしには2歳の娘がいるから受けられない、という言い訳も出来なくなった。
もう一度ライティング・ゼミを受けて基礎をしっかり固めて、プロゼミはそれから受けるのでも遅くないんじゃない? そう考えたりもした。
でもそれからほどなくして、2018年6月に開講する次のプロゼミを最後に、プロゼミは終了するということが天狼院から発表された。いつか受けよう。その逃げ道も断たれた。
それでもやっぱり怖かった。
「受講してみたい!」「面白そう!」という自分の中の直感と、でももし入試を突破出来なかったらいやだという不安との狭間で決断を先延ばしにしていたわたしに、「入試だけでも受けてみませんか?」という川代さんからのメッセージが届いた。
メッセージに背中を押してもらい、やってみようという方に傾いたわたしは、入試を受けることに決めた。第1回目の講義が目前に迫って来ていて、もう迷っている時間はなかった。入試を受けてダメだったらもう見込みなしなのかと思うと怖かったけれど、とりあえずやってみようと決めた。川代さんだって「受けてみたら?」って言ってくれたんだし。いくら営業だっていったって全然見込みないひとにまで声をかけるほど悪人でもないだろうと思った。そう信じたかった。
2時間で記事を書く。直前に電話でテーマを伝えられ、そのテーマに沿って自宅で記事を書いた。それまでライティング・ゼミで2000字の文章を書くのに四苦八苦していたのに、このときは1時間が経過した時点で2000字を超えていた。火事場の馬鹿力ってすごいなと思った。
必死に書き上げた記事で、わたしは合格した。
合格したということは、見込みがあるってことなんだよね?
わたしはそう思っていた。
だって、プロゼミの入試はプロとしてやっていけるだけの見込みがあるかどうかをはかる試験で、わたしはそれに受かったんだもの。ってことはわたしはプロとしてやっていけるだけの見込みがあるってことだよね? そうだよね?

第1回目に提出した課題に、講師である天狼院書店店主の三浦さんからフィードバックがついた。それを読んで初めて、ライティング・ゼミのときにもらっていたフィードバックは何枚かのオブラートで包まれていたことを理解した。
三浦さんのフィードバックはもっともだった。自分でもそう思う。そう思う、だけど。だけど書けないから困ってるんじゃないか。どうしたらいいんだよ。
プロゼミの入試に受かったからって、5000字の文章が自動的に書けるようになるわけじゃない。
少し時間をおいて落ち着いて考えてみたら当たり前のことなのだけれど、入試に受かったわたしは見込みあるってことなんだよねと思い込んでいたわたしはものすごく落ち込んだ。
同じくプロゼミを受講しているメンバーの記事に次々とついていくフィードバックを見ながら、この辛口の三浦さんが絶賛する記事はいったいどんな文章なのだろうかと気になって、ある記事を開いてみた。
関西在住のメンバーが、先日の地震の際のひとこまを切り取って文章にしている記事だった(久保明日香「現代のマッチ売りが得た灯火」)。
冒頭からひきこまれた。緊張感があって、読み進めるごとに頭の中でどんどん文章が映像になり、映画が進んでいくようなそんな描写だった。
三浦さんのフィードバックに続いて、ほかのメンバーからも次々に賞賛の言葉がかけられていく。それを見ながら、わたしだって地震にあっていたら良い記事が書けたかもしれないなどといちゃもんをつけたくなっている自分に気づく。賞賛の言葉をかけることも出来ず、余震にくれぐれもお気をつけてという思いやりすら持てずに、ただ卑屈になり、たらればばかり言っている情けない自分に、さらに落ち込んだ。
本当はわかっている。
たとえわたしが今関西にいて、彼女と同じように地震にあったとしても、今のわたしにはそれを5000字の文章に仕上げるだけの力はまだない。
あれだけの大きな地震を経て、日常生活を送りながらこれだけの文章を仕上げることは簡単じゃない。そう思ったら、こんなひとにかなうわけないじゃないかとますます落ち込んだ。

途方にくれた。
どうしたらいいんだ。
「とにかく量を書け」
そう言われても、全然書ける気がしなかった。なにをどう書けば良いのかわからなくなってしまった。

夫の転勤を機に仕事を辞めて専業主婦になり、現在は2歳の娘を育てるわたしだが、大学在学中からの数年間司法試験を受験していた。
勉強を始めてから合格するまでに6年かかったのだが、そういえばあの頃も今と同じように途方に暮れていたことを思い出した。
わたしが受験していた頃、司法試験は合格率数パーセントの狭き門と言われていた。
試験範囲は広く、やるべきことは膨大にあるように思えた。
周りは皆敵に見えたし、合格する人は特別な才能を持った人たちだと思った。
このまま勉強を続けていったとしても、わたしが合格できる保証なんてどこにもない。何回受けたって受からないかもしれない。
そう思いながら日々の勉強に集中できるだけの強い精神力をわたしは持ち合わせていなかった。
大学時代の同期はとっくに就職し、着々と社会経験を積んでいく。結婚して、子どもを産んで、マンションを買って、そうして着実に人生の階段を進んでいくそんな時期に、わたしは実家に寄生し、受かるかどうかもわからない試験を毎年受け続けた。結婚式の招待状も、家族が増えましたという写真付きの年賀状も、届くたびに、おめでとうという気持ちとともに足踏みばかりしている自分のみじめさが際立った。
今、あのときの自分に声をかけるとしたら。

つべこべ言わずに勉強しろ!!!

これに尽きると思う。
受験時代のわたしは、とにかく集中出来ていなかった。このまま続けていても受からないかもしれない。受からなかったらどうしよう。そんなことばかりを考え、その結果、勉強しているようで実は集中して勉強できている時間は少なかった。
受からなかったらどうしようと不安になる。その結果やる気が起きず勉強量が減る。だから合格出来ない。
わたしの受験時代は、シンプルに書くとそういうことだったんだと思う。

「とにかくやってください」「基礎を徹底してください」
受験時代に耳にタコができるくらい聞いたこの言葉を、プロゼミの最初の講義で三浦さんが言った。
とにかく書く。たくさん書く。基礎を徹底して、書く。それが大事だと。

頭では理解出来る。
たくさん書くのが大事だ。書けば書くほど、どんどん書けるようになっていく。それはそうだろう。
受験時代のわたしだって、とにかく勉強することが大事だということくらい理解はしていたはずだ。
それでも出来なかった。だから時間がかかった。
だけど、なぜだろう。ある時期からわたしは勉強に集中することが出来るようになった。とにかく量をこなすことが出来るようになった。
何年分か正確にはもう忘れてしまったけれど、択一式の試験については20~30年分の過去問を1問2分とか3分で計算して、その時間内でひたすら問題を解いた。たとえば民法なら1問2分として、1年20問×2分で40分。40分×30年分で1200分。20時間で30年分の過去問を1回まわせる計算だ。1日10時間勉強するとして、民法の択一式の過去問30年分は2日で終わらせられる。こんな具合に淡々とこなしていくことが出来るようになった。
なぜだろう?
そう考えたとき、思い浮かんだのはロースクールの存在だった。
わたしが司法試験に合格したのは平成20年で、ちょうど司法試験制度改革の狭間だった。昔からあった旧司法試験から、ロースクールという専門の大学院を修了したひとたちが受けられる新司法試験へ移行する過渡期で、どちらの試験も並行して進行していた。
わたしは予備校で模擬試験なんかを受けながら自習室で勉強しながら旧司法試験を受験し続けていたのだけれど、旧司法試験での合格者数がどんどん減っていくなか、ロースクールに通いながら新司法試験を受けるほうがあるいは合格の可能性は高いのではないかと思ったのだ。
ロースクールに入って一番良かったのは、みんなも自分と同じように完璧じゃないということを体感できたことだった。
自分で勉強していて分からなかった部分をクラスメイトにきいてみる。そうしたらみんなも同じようによく分かっていなかった。なんだ、みんなも分かってなかったんだ。そう思ったら、すごくホッとした。周りはみんな自分よりすごく出来るひとたちだと思っていたからわたしは全然自分に自信が持てずにいたし、合格できる気がしなかったのが、みんなも似たようなものなんだとしたら、わたしだって合格できるかもしれないと思えた瞬間があった。
前年まで箸にも棒にもかからない成績だったわたしが旧司法試験に合格したのは、ロースクールに入学したまさにその年だった。

みんなもわたしと同じように完璧じゃなくて、みんなもわたしと同じように書けない書けないともがきながらそれでもなんとか課題を提出しようとくらいついている。
果たしてプロゼミでわたしはそう体感出来るだろうか。
その体感があればきっと、書くことに集中できるような気がするのだ。余計なことを考えずに、淡々と書き続けることが出来るような気がするんだ。
始まったばかりだからまだなんとも言えないけれど。今はまだみんなの方がラクに課題を仕上げているように見えてしまっているけれど。わたしよりもすごく才能があるように見えるひとたちの集まりに思えるけれど。
このゼミが終わるまでに、わたしだってプロとしてやっていけるかもしれないと思える瞬間を迎えたい。そんな希望をいまわたしは持っている。

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