プロフェッショナル・ゼミ

好きってなんだ!?《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:近藤頌(プロフェッショナル・ゼミ)

「好きになるってなんなんだろうね」

今年の5月、東京は渋谷、代々木公園界隈で『東京レインボープライド2018』というセクシャルマイノリティー(性的少数者)の祭典のメインイベント「東京レインボーパレード」があった。今年は37グループが各々行列を作ったわけだが、ぼくも、とある団体の先頭を走る“フロート”と呼ばれる軽トラックの装飾を手伝いそのまま歩いたのだった。
そしてこの度、そのフロート装飾ボランティアメンバーでの打ち上げが開かれたのだが、どこからともなく聞こえてきたのがこの言葉だった。

セクシャルマイノリティーの基本的な考え方に、3つの性というのがある。
1つ目は体の性。
2つ目は心の(自認する)性。
3つ目は好きになる性。

ぼくはこの説明をセクシャルマイノリティーを知るための勉強会で受けたのだが、その時に少なからず疑問が残った。
“好きになる性”ってなんだろう。
いや。それは言葉の通りなのだろうけれど、ぼくのそれまでの経験としては、「性」と聞くとどうしても結びついてしまうのが「性欲」であった。

好きになることと性欲を感じることというのは違うことなのだろうか。
なんとなく違うということはわかる。けれどどう違うのか。ぼくの中で憤然としないものが残った。

“好きになる性”という考え方はセクシャルマイノリティーを考える上では揺るがしようのない大切な柱となっている。
しかしこれを初めて聞いたとき、ぼくは思ってしまったのだ。

きれいに言い換えただけなのではないか。

「性欲」と銘打ってしまうと敬遠する人が必ず出てくる。嫌悪感を感じる人が少なからず出てくる。
そうなってしまうと、小学生や中学生、高校生といったまだ偏見のない真っさらな世代にわかってもらう為の試みが企画の段階で頓挫することになる。嫌悪感を抱く人たちに阻まれることになる。そんなハシタナイこと教育上よくない、といった具合に。伝えることすら困難になってしまう。
伝えることができなければこの先ずっと、“セクシャルマイノリティーは変わった性癖の持ち主”ということで片付けられてしまう。分断されてしまう。

そこで、だれもが共感しやすいであろう「好き」という感情を持ってきて、セクシャルマイノリティーも結果は違うかもしれないけれど、その辿るプロセスは同じであるということ。つまり、「好き」になった相手がたまたま同性だった、自分では選べない底から湧いてくる感情を向ける相手がたまたま同性だった、ということをまずは明示したかったのではないか、とぼくはその「性欲」の話をなんとなく避ける風潮から感じたのだった。

「好きになるってなんなんだろうね」

私の場合……。
と、ある人が口を開き始める。

「私の場合、なんていうのかな、子宮がキュって反応したとき。あ、私この人好きかも、って思うなあ。でもこういうこと言うと、男女問わず、えぇ、って引かれる。なに言っちゃってんの、みたいな。でも、私はそうかなあ」

「俺は胸がキュってなったらもう好きかも」

「僕はもう忘れちゃったな、そんな胸がキュってどういうときになるんだっけねぇ」

ぼくの「好き」ってどういうことをいうのかなぁ。
追加したハイボールが、テーブルにドンっと置かれた。

ぼくが「好き」で思い浮かべるのはやっぱり彼女のことだろうか。
彼女というとややこしいが、要するに元彼女である。
彼女は高校のひとつ下の後輩で、学生時代は付き合うということには特にならず、ぼく自身もそこまで気にしていなかった。
けれどお互い高校を卒業し、何度か会っておしゃべりしているうちに、心地いいなあ、と思うようになり、こちらから告白した。
ぼくとしての決定打はこの「心地よさ」だった。一緒にいて気が楽、というありがちといえばありがちな理由からだった。
告白をして1週間経ち、OKの返事をもらった。
後々聞いてみればあちらもお試しみたいな感覚だったらしい。合わなきゃすぐ別れればいいや、と。
自分もある意味同じだった。
これでもしダメだったら間違いない、と。

そんなこんなでぼくたちは付き合い始めた。
ぼくとしては2人目であったが、1人目の相手とは手もつながずに、いや手をつなごうともしなかったからが故に自然消滅。だからぼくとしては本格的な“お付き合い”は彼女が初めてだった。
手もつなぎ、デートも重ね、キスもするようになる。
さて、いよいよ、という段に自然となる。なにせぼくとしても真剣ではあったわけだから、しないわけにはいかない。
抵抗はあったが同時に興味もあった。もちろん、好意は持っていたし、今では思い出せない(確か自分にも非のある)喧嘩もできるようになっていて、ぼくは彼女に愛着というには軽い何かを感じ始めていた。

ぼくは、ちょっと、希望を持ち始めていた。
これは、もしかしたら、できるかもしれない。
ちゃんと、できるかもしれない。

しかし、現実は不動だった。

いざ、彼女を、豪勢に装飾されたベットに寝かせ、一枚一枚丁寧にその衣をとり、彼女の芯に触れようと勢い迫っても、ぼくの肝心のあそこは全くの反応を示さなかった。
その時彼女はぼくに気を遣って励ましたものだった。
初めての時って、緊張してできないってよく聞くし、気にしてないよ、と若干棒読み気味に。

そうね。
そうなんだけど、そうじゃない。
そうじゃない理由もある。思い当たる節がありすぎる。

ぼくは、たぶんその時には、彼女のことが「好き」になっていたのだろう。
ありのまま話すことをその時ふと決意したのだった。

ありのまま。
ぼくにとっての、ありのまま。
それを話してしまうときっと、この関係はもろく崩れてしまうだろう。それでもぼくは言いたくなった。彼女に誠意を見せるつもりで。ぼくはそのベットの上で、人生で初めて裸になったのだ。
そういえば、だれにも言ったことはなかった。
俗にいうカミングアウトというやつか。
彼女が要するに、ぼくにとっては初めてカミングアウトした相手ということになった。

ぼくの体は男である。
心もぼくのことは男であると認識している。
しかしぼくは、ぼくのあそこが反応するのは、なぜかは知らないが男なのだった。

これには彼女もドン引いていた。
じゃあどうしてわたしと付き合おうなんて言い出したのか、と怒りすらあらわにした。

どうして?
それは「好き」かもしれないと思ったからではないのかな。

一般的な人ならここで別れるものだと思うし、ぼくもこれまでかなと思っていた。しかし、さすがというべきか、なぜか彼女はぼくを捨てることはしなかった。
様子を見るという猶予期間をおそらく設けて、見定めてみようと思ったのだろう。ぼくとの関係はその後も続くこととなった。
なんだかんだいって仲はいいのである。仲がいいというのはまた不思議な感じだが、とにかく一緒にいて心地いいのである。
ただそれだけの感覚だけがぼくたちをつなぎとめてくれていた。

そんな関係が続いたある日、鎌倉へ旅行をしにいった時の夜。
ぼくたちは初めて、お互いにお互いを思いやりながら溶け合うことに成功した。
ぼくはたしかに、この日のために準備はしていた。準備。自分に課した禁止令。そう。つまりは、溜めておいたのだ。かれこれ1ヶ月は溜めていたと思う。たいした根性というか、必死だったというか。一途というか。
しかし溶け合えた理由は他にもあるような気がした。
ぼくは不思議に思った。
なんだか、性欲とは違うところから性欲に語りかけてきて作用したような、なにか心臓のあたりから性欲に根を下ろしていく温度の流れがあったような、そんな感覚があったのだ。

それからというもの、コツを掴んだのか、溶け合える頻度は多くなった。不満のカスが確実に残っていることはお互い感じていただろうけれど、それを気にさせない満足感がぼくの胸には広がりつつあった。

しかし、彼女とは別れた。
彼女も別れてみたかったのだと思う。他の男性がどんなものか、知りたいと思うのは当然の欲求である。
それを止める権限はぼくにはなかった。ないとしか言いようがなかった。

「好きってなんなんだろうね」

もうこの打ち上げの中だけで、何回この言葉を聞いただろうか。
あまりにも打ち上げが盛り上がったために、ぼくは終電を逃してしまった。

「誘うわけじゃないけれど、俺のうちに泊まってもいいよ」

ある人の声がぼくの内臓に響いた。
ぼくは、歩けば帰れる、と思っていた。2時間くらいはかかるだろうが。けれど、それにも関わらず、その言葉を聞いた途端、本当にただの興味本位で、ぼくはその人のおうちに、お邪魔することを選んだ。
男の一人暮らし。いやいや、ぼくもだが。
部屋に入って、なんだか急に恥ずかしくなってきた。
これは、お邪魔しにきて本当によかったのだろうか。
変に胸がドキドキしてきた。

ここでも「好きとは?」の話になった。
その人は経験豊富な人で、いろいろな話を聞かせてくれた。
初めて自覚した時期。
初めての相手。
嫌に思った経験。
どうしてカミングアウトするに至ったか。
今の心境。

そういえば。
初めてぼくは同性愛の人と真っ向から話をしているな、と自覚した。
そしてぼく自身も、同性に欲を感じる者のひとりとしてこの人の話を聞いているな、と自覚した。

「シャワー浴びてきなよ」

内心照れた。
あそこも否応なく反応する。
けれどその人にはなんの意図もないことを声色から確認する。
顔は見れず。そそくさと浴室へ退散。
なんとなく、鍵は閉めた。
ふう。
とりあえず、何事もなく時間は過ごせそうだ。
ぼくは安心していた。
シャワーを浴び終わり、短パンを借りる。
当然のことながら、ベットはひとつ。

「添い寝だけどごめんね」

これまた照れた。

「お邪魔しまーす」

ぼくもよくわからないことを言ってしまう。
血流が熱を持ち始めていた。
眠れるか、気が気でなかった。
顔をちょっとあげると、その人の横顔が見える。
きゃー。である。
全くタイプではないが。
付かず離れずの距離。
これは、ぼくは一体、どうなっちゃっているんだろう。
自分の境界線が押し広げられて、部屋の隅々まで神経が張り巡らされている。
ちょっとその人が寝返りを打とうものなら、ぎゅっと身を硬くしている自分に気づく。

眠れるわけがない。

そのまま時間だけが過ぎていく。
暖色系の間接照明が出来過ぎていた。
窓から見える空が白んでいくのがわかる。
眠りたいのに、眠れない。
目を閉じても、その人の吐息が耳に響いてしまって余計に意識してしまう。
困ったものである。
まさかこんなことにはなるとは、と思いつつしっかりこの日は休みを取っているのだから、我ながら確信犯としか言いようがない。

ぼくはどうしたいんだろうか。

そう思った時、胸の中になにやら怪しい感情が芽生えるのを感じた。
だんだん頭がぼやけてくる。
ぼくはこの人と溶けることができるのだろうか。
あって間もないこの人と、会って2回のこの人と、たいした関係の築けていないこの人と、ぼくは溶け合うことができるのか。
ぼくの柱が傾き始める。

太陽が昇ったのか、空が見慣れた色をしていた。
雲のない、一色しかない、のっぺらぼうの空だった。

「手、つないでもいいですか」

トイレから帰ってきて、また眠ろうとするその人に声をかけた。
その人もなにやら感じているのか、抑えた声で、いいよ、と言う。
ぼくはなにも思わなかった。
なんとなく、手をつないでみる。
両手でその人の手を握った。
片方の手だけ指と指を絡ませる。
恋人つなぎというやつか。我ながら積極的だ。考えてみれば、あの彼女と別れて以来、してこなかったつなぎ方だった。
しばらく手をつないだままお話をする。
会話が途切れる。
ぼくはそっと、その人の指に唇をつける。
自分の手の脈がはっきりと流れている。
指と指の間に鼓動が行き通い始めるのを皮膚で聞いた。

おお。これはどうなるのかな、なんて完全にぼくは他人事だった。
相手が動く気配はない。

「くっついてもいいですか」

なにを言ってしまっているのやら。
その人はさっきよりもくぐもった声で、いいよ、と言う。
ここぞとばかりにぼくはその人の掛け布団の中に入り込んだ。
うひゃー。これが密着か。
ぼくはもうノリノリだった。
つないでいた手をにぎにぎし、口元に運ぶ。指に愛着を重ねた。
そして一言。

「触ってもいいですか」

なんてこった。
その人が頷いたのを確認してつないでいたところをほどき、秘境へと手を染めていく。
意外と柔らかい。というのが第一の感触だった。
いや、その人が30代後半という肉体的なこともあるのかもしれないが、そうか、歳をとるとこうなるのか、とわりと冷静に血は巡っていた。
にしても大きくはなってくれている。
ぼくに対して熱量を持ってくれているということでもあろうから、嬉しいといえば嬉しい。
しかしぼくは、その人の喜ぶ場所を探す楽しみに浸りながらも、同時になにか胸の奥の方に石ころみたいな異物感があることを意識し始めていた。靴に入った小石がその大きさに相反してやけに痛く意識させられるみたいに。

相手の反応に、体の反応に、どこか演技を感じていたのだろうか。
それはあからさまな大げさとか、いやらしい声とかそういうことではなくて。なにか、乗り越えられない壁を前にしている感じ。
ぼくは、ぎゅっと、頭を抱きしめられながら、手や舌を満遍なく使い刺激をし続ける。
そしてふと、ぼくはぼくの胸の中にある小石が、急激に冷めきっていくのを悟った。
その冷たさが、ぼくとその人との間に、混じり合うことのない膜をつくり始めた。分厚い分厚い膜。声も届かない厚い膜。
それでもぼくはやめてはならない気がして、運動を続けた。そう、それはもはや運動以外の何物ではなかった。

その人は尽き果てた。
思った通り、無理に出したようなキレの悪さ。
ぼくを、正確に言えばぼくの頭部を、ぎゅっと抱きしめながらの果て。
なのにどうしてこんなにも満たされないのだろう。
手についた液体を洗い流しながら、ぼくの胃は砂利を食べたようだった。
ぼくの胸の中にできた小石が石になり、岩となって食道を塞ぎにかかる。
ぼくは感じてしまったのだ。
ただ抱き合うだけでは、絶壁を感じるだけなのだと。
1人でいる時には感じる必要のなかった他人との壁、触れ合えないという現実、吐き出せない小石。
2人でいると、ただあり合わせの2人だけだと、2人だからこそ浮き彫りになるこの孤独を、この日、ぼくは直に感じてしまった。

ぼくはもう、この人のうちには行かない。極力会わないように避けもすると思う。

「好きってどういうことなんだろうね」

そんなの、わからない。
わからないけれど、確実に言えるのは、ぼくは今回のこの人のことは好きではなかった、ということ。そして別れた彼女のことは好きだった、ということ。
たしかに「性欲」という観点は「好き」というものとは別物のようらしい。
それがわかっただけでも、今回の体験は後悔に値しないと言えるかな。と、自分を励ましている。

ある人を好きになる。
時間がかかるのだ。ぼくの場合は。
時間がかかってもいいのだ。
怖くても面倒でも、時間をかけてこその孤独の共有というものだ。
それがわかっただけでも、今回のことを、よしとしたいのだ。

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