飛行機と言う名の夢の世界に行きたい!《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:一宮ルミ(プロフェッショナル・ゼミ)
「僕、飛行機に乗ってみたいな」
4歳になる息子が、飛行機の図鑑を見ながらポツンと言った。
ゲーム以外に好きなものを語らない彼が、飛行機に乗りたいと言ったことが耳に残っていた。いや、本当に飛行機に乗りたかったのは、私だったのだろう。
4歳と2歳の子供たち。まだまだ手がかかる。4歳の息子は、3歳半までオムツが取れず、やっと取れたと思ったら、大好きなゲームに夢中になるとトイレに行くのが間に合わず、お漏らししてしまう。夜のオムツも取れない。夜中におしっこに起こしても、やっぱり朝にはおねしょしている。この子はいつになったらオムツのない生活になるのだろうかと不安に思っていた。2歳の娘は、わがまま盛り。あれがイヤ、これがイヤ。言い聞かせても、言い聞かせても、自分の思ったようにしか行動しない魔の2歳児。3月末に生まれた彼女は、保育園のクラスでも一番年少。家族の中でも一番小さい子。彼女は彼女なりに、同じクラスの子や兄についていくために、早く大きくなろうと必死なのだろう。でも、その必死さが、親の私にはわがままに見えた。
仕事も4月から変わった。今までやってきた仕事に加えて、あたらしい職場には今までにないたくさんの制度や決まりがあった。それを一つ一つ覚えなければならない。その上に多くの人と調整が必要な仕事だった。相手を不快にさせないように気を使いながら、自分の提案と相手の希望を調整する。どんなに気を配っても、相手を不快にしたような気がして不安だった。気を抜くとつい余計なことを口走って、誰かを怒らせてしまうのではないかと、いつも神経がすり減るような気がした。慣れない仕事にミスも多くなって、毎日通勤の車の中で、自分のダメさを責めていた。仕事に行っても、帰ってきても、心が落ち着く暇がなかった。逃げ場がなかった。
その年の夏、とうとう私は倒れてしまった。病名は「急性腎盂炎」
恥ずかしい話だが、膀胱炎のばい菌が、腎臓に達して起こる病気だという。定時で保育園のお迎えに行くため、トイレの時間も惜しんで、仕事をしていた。体がだるいと思いながらも、無理をしたら、とうとう40度の高熱と、腎臓の激痛でダウンした。病気になったおかげで、休養が取れ体は回復したけれど、心はまだ休まっていないような気がしていた。
どこかへ行きたい。ここから逃げたい。一体こんな生活はいつまで続くのだろう。先の見えない暗いトンネルの中にいるようだった。
夫にこのことを説明したかった。ちゃんと説明すれば、理解してもらえることは分かっていた。でも、うまく言葉にすることができなかった。言葉にならないモヤモヤとして、私の心の奥に、ゴミのように溜まっていた。それはいつの間にか表にもじわじわと現れ始めた。
夫に「いつも帰ってきたら不機嫌そうにしてる。もうそんな顔を見るのが嫌だ」と言われるようになっていた。
「飛行機乗りたいって言うのよ」
夫に、息子が飛行機に乗りたいと言っていたことを話した。
「それはまた難しいことを言うなあ。まだ、お漏らしするのに、飛行機だなんて。それに飛行機代だってかかるし。難しいよね」
夫の意見はもっともだ。でも、私はその願いを叶えてあげたいと思った。多分、それは自分のためだった。
私は飛行機が好きだった。
初めて飛行機に乗ったのは、フリーターだった23歳の冬だった。友人と旅行に行くことになり、飛行機に乗ってみたいとお願いして、行き先を東京にしてもらった。そこで初めて飛行機に乗った。
始発の飛行機は、日の出とともに空に飛び立った。朝日に照らされた街の景色が美しくて、今も忘れられない。富士山を見下ろしたこと。機内食のサンドイッチが美味しかったこと。羽田空港が恐ろしく広くて綺麗だったこと。東京タワーを見下ろしながら、東京の夜景の上を飛び去ったこと。どれも、鮮明に覚えている。それ以来、空の旅は大好きなことの一つ。空の旅は夢の世界。
あの夢の世界に逃げ出したい。そう思った。だから、息子をダシにしてでも、飛行機に乗ろうと思った。
でも、この気持ちを素直に夫に言うことができなかった。自分のために子供をダシに飛行機に乗ろうだなんて、いい母親のすることではないと思ったから。きっと夫には理解されないだろうと勝手に決めていた。
「飛行機乗るのは難しいよねぇ」
夫の意見に同意したふりをして、数日が過ぎた。
私の心の中で、飛行機に乗りたい気持ちは消えるどころか、どんどん膨らむ。
嫌なことがあれば「飛行機に乗って空の旅に出ればきっとこの気持ちも消える」と思ったし、東京で面白そうなイベントがあると聞けば、「これをネタに飛行機乗っていけばいいかも」なんて思ったりした。
要は、飛行機に乗りたいのだ。
私はずるい。息子にやたら飛行機の図鑑を見せて「乗りたいねぇ」と言わせてみたり、テレビで空港や飛行機が映し出されると「ほら、飛行機だよ!」なんて、完全に洗脳させている。
そこまでして乗りたいんなら、もう乗ればいいじゃないか!
土曜日の晩、とうとう乗りたい気持ちが風船のように弾けた。
「飛行機乗って、東京に行ってきていいかな」
夫に、意を決して聞いてみた。
「え? 子供も連れて行くの?」
「お兄ちゃんは乗りたいって行ってたから連れて行ってあげようかと。下の子はまだ小さいし、お願いしていい?」
断られるだろうか。ドキドキしながら、夫の言葉を待った。
「まあ、行きたかったら行ったらいいんじゃないの。下の子はみてるよ」
思いがけなくあっさりと承諾してくれた。
それでも私は迷っていた。
航空会社のインターネット予約の画面を開き、予約ボタンを押すかどうか迷っていた。時間は午前1時だった。始発の飛行機が飛ぶのは午前7時半。あと6時間半だ。
予約ボタンをクリックしかけては、やめるを繰り返していた。
本当にこんな自分のわがままのようなつまらない理由で、何万円も使って飛行機に乗っていいんだろうか。逃げ出したい、夢の世界に行ってみたいなんて子供みたいな理由で。この飛行機代があれば、美味しい食事を家族で楽しめるかもしれない。自分や家族のおしゃれな洋服やバッグや靴が買えるかもしれない。近場なら、車で家族旅行に行けるかもしれない。それなのに、たった1日の日帰りのために、正規料金で飛行機のチケットを取ろうとしている。普通なら無駄遣いだろう。とんでもない浪費するダメ親だ。
息子だっていい迷惑だ。ダシに使われた挙句、無理やり早朝に起こされて、なにもわからないまま飛行機に乗せられて。お漏らし対策に「トイレ、トイレ」と母親に喚かれる。かわいそうな話だ。
やめておいた方が無難だろう。
ここで止めれば、まだ間に合う。夫には「やっぱりやめた」と言えばいい。
何もなかったかのように、寝て、起きて、朝ごはん作って、掃除して、子供の相手をして、近くのショッピングモールでランチして、買い物して、帰って夕飯を作って、子供をお風呂に入れて、いつ終わるともわからない寝かしつけをして、一緒に眠ってしまえばいい。そうすれば、また月曜が来る。簡単なことだ。
でも、もし、ここで飛行機のチケットを取らず、乗ることもなかったら、私の気持ちはどうなんだろうか。それで、すっぱり諦められるのだろうか。
きっと明日の朝、空を飛ぶ飛行機を見上げて
「あの時、予約ボタンを押していれば、今頃空の上だったんだよな」
って思うに違いない。
テレビで飛行機や目的地の東京を見るたびに「やっぱり、行けばよかった」と思うだろう。飛行機代を、食事代や洋服代にしても、うれしくないような気がする。
今、ここでやりたいのは「飛行機に乗ること」なのだ。
家族のためにではなく、自分のためにやりたいことは、それしかなかった。
いいじゃないか。自分のやりたいことを優先させる時があったって。今まで、自分を後回しにしすぎていたんだ。だから、もやもやが晴れなかった。体を壊した。どこかでいい母親、いい妻、いい嫁、いい社会人であろうとしすぎていたんだ。たまには、枠の外に出てみてもいいじゃない。それで、自分が素直に機嫌良くなるのなら、きっと家族や周りの人のためにもなると信じよう。
思い切って、「予約」ボタンをクリックした。
予約を終え、時計を見たら、午前5時を回っていた。
慌てて息子を起こし、準備をし、家を出た。
飛行機は時間通り、出発した。夜が開けたばかりの空は、オレンジ色だった。空は快晴。どこまでもオレンジ色だった。
「ただいま、富士山上空を飛んでおります」
アナウンスが入った。
飛行機から見下ろす富士山は、オレンジ色のスカートを広げた美しい女性が座っているようだった。その神々しい姿に息を飲んだ。
「富士山だよ」
と息子に言うと、ちらっと富士山を一瞥したが、またC Aさんからもらったシールに夢中になってしまった。まあ、4歳児にはそんなもんか。
飛行機はどこまでもどこまでも、軽やかに飛んで行く。
快晴の空は、その青さを増していく。
窓にへばりつくように外を眺めていた私の心も、青く澄み渡って行くのだ。
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