プロフェッショナル・ゼミ

素敵な嵐が見たい!《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:一宮ルミ(プロフェショナル・ゼミ)
 
「台風は、九州に向かって北上しており、その後進路を東向きに変え、四国、近畿地方に上陸する予想です。関東地方も台風の影響を受ける可能性があります」
テレビのニュースも、インターネットの情報も、ほとんど同じだった。
 
ある年の8月末。夕方になると少し秋の香りがしはじめていたが残暑はまだまだ厳しい。そんな中、今年何個目かの台風が、またしても日本列島を襲おうとしていた。
 
いやな予感はしていた。
この雨の多い時期に、野外なんて大丈夫かと。
もし、台風が来たら、どうするんだろう。飛行機もバスも電車も動かなくなるのに、7万5千人がどうやって集まるのだろうかと。
 
予感は的中した。台風は日本にやってくる。
 
私は、数日後、東京に行くことにしていた。野外で行われるあるイベントを観に行くために。
それは、国民的アイドルグループのコンサートだった。会場は国立霞ヶ関競技場。人生初のアイドルのコンサート。
 
子供の頃、遠足の日を指折り数えたことはないだろうか。
運動会が楽しみだったことは?
生まれて初めてディズニーランドに行く日のワクワクを覚えていないだろうか。
夏休みの家族旅行や海や山に行く日が待ち遠しかったことは?
大人になっても、趣味のゴルフの日は、目覚まし時計がなくても起きられるとか、マラソンが大好きな人が、大会を楽しみに練習に励むような気持ち。
私にとって、アイドルのコンサートに行くのはそれと同じなのだ。
子育てに仕事に忙しく、自分の時間もなかなか持てない日々の中で、家事をしながらや、子供が眠ってから、彼らをテレビやDVDで見る時間が唯一の憩いの時間だった。仕事でしんどい思いをした日も、子供のことが心配な夜も、彼らの笑顔をみて、一緒に笑い歌えば、ちょっと胸がきゅんとしたりして、元気になった。
一度でいいから、彼らを近くで見てみたい。彼らをリアルに感じながら、一緒に歌い笑い弾けてみたい。そう切望するようになって、数年がすぎていた。
 
「チケット、当たった!」
今日も残業かと、気分がどんよりしていた夕方、妹からスマホにメッセージが届いた。
私はスマホを見つめたまま固まった。一瞬、意味が分からなかった。数秒後、息を吹き返して思わず「うわっ」と小さく叫んでいた。顔がにやけた。
プラチナチケットと言われる彼らのコンサートのチケットが当たった。チケットは抽選。当たるかどうかは全く分からない。
そのチケットが当たったのだ。
 
「私、9月2日金曜日、夏休みもらいます!」
即座に上司に休みを申請した。夏休みは7月から9月までに5日取れる。そのうちの1日をこの日のために大事に取っておいた。残り4日の夏休みを、子供の学校行事に使い、家族サービスに使い、お盆の帰省に使って、自分のための休暇は、この日だけで十分だと大事に大事に取っておいた。
 
まだ保育園の娘と小学校低学年の息子の面倒を見てもらうため、実家の母や夫の機嫌を損ねないように、愛想よく細心の注意をしてその日までやってきた。仕事だって、その日に予定が入らないよう、仕事が増えないようあの手この手で調整してきた。
ホテルと航空券を予約し、広い東京のどこにあるのかさえ分からない国立競技場までの行き方を、何度も何度もネットで調べて、頭に叩き込んだ。
それなのに、台風は容赦なく近づいている。
 
「台風は、勢力を増しながら、北上しています」
南の海の暖かさを栄養にして台風はどんどん大きくなっていて、最大級の警戒が必要だと言っている。
 
テレビ、ネット、ラジオ、新聞、あらゆるメディアの台風情報を四六時中チェックした。
職場でも、仕事に関わる天気の情報を集めるふりをして、こっそり関東地方の天気予報もチェックした。
どこかに「台風の進路が変わりました」という情報を出しているところがあるんじゃないかと必死に探したが、見つからなかった。
 
台風は、コンサートの当日9月2日に関東に上陸するという。
このままでは、東京に向かう飛行機が飛ばない。
はあ、生まれて初めて、本気で行きたいと思ったコンサートだったのに。
私と彼らには縁がないのだろうか。それに国立競技場は数年後に建て替えられるそうだ。ここでのコンサートが見られるチャンスは、もう二度とないかもしれないのに。
私の心もどんどん曇り空になってきた。
 
航空会社のサイトをチェックすると、9月2日の徳島発東京行きのフライトは「欠航になる恐れがあります」と注意書きがされていた。
いよいよだめだ。
気分は遠足の日の天気予報が「雨」と言われて落ち込んでいる小学生だった。てるてる坊主を100個くらい作ったら、台風は消えるだろうか。
 
ピンポーン。
コンサートまであと数日となった日の朝、出勤し、始業時間までゆっくりしていたら、スマホがメールの到達を知らせた。
タイトルは「コンサート情報」だった。
ああ、とうとう中止か。がっかりしながら、文面を目でなぞっていた。
「台風接近のため、延期と決定いたしました」
コンサートは中止ではなく延期になった。延期後の開催日は、2日ずれて、9月4日の日曜日。チケットは、2日のを持っていけば入れてくれるという。
4日ならば、きっと台風はもう通りすぎているはずだ。コンサートの主催者もそう期待したのだろう。
行ける! コンサート行けるぞ!
 
スマホを見つめながら、出勤してきたばかりの上司の席に駆けて行った。
「夏休み変更します!」
勢いに圧倒された上司が
「え、ええ、わかりました。ど、どうぞ」
と、ぽかんとした顔で、答えてくれた。
よし! 次は、ホテルと飛行機だ。
 
昼休みが来るのが、待ち遠しかった。
この間にも、ホテルはどんどん埋まっているかもしれない。飛行機はもう満席になってしまったかもしれない。時間が気になって、仕事が手につかない。
12時の昼休憩のチャイムがなると、一目散にオフィスの近くにある旅行センターへ向かった。
「飛行機とホテル変更してください!」
航空券とホテルの手配は、旅行センターのベテラン社員Hさんにお願いしていた。コンサートのせいで、ホテルの空きが少ない状況だったのに、会場に近いいいホテルを予約してくれていた。それなのに、延期になって、キャンセルしなければならないのが心苦しかった。
Hさんは、私が事情を話す前から、こういった。
「台風のこと、ニュースで見て心配してたのよー。一宮さんの行くコンサートどうなるかと思って」
私が、コンサートは月曜に延期になったこと、ホテルと航空券の変更が必要であることを告げると、
「台風が理由なら飛行機の変更はキャンセル料なしでできるから。ホテルも同じところを取ってあげるから、まかせといて!」
まるで、自分の事のように、目を輝かせ、さっそく予約用のパソコンの画面に向かってくれた。
ものの数時間で、飛行機の変更とホテルの予約が完了した。
よし、これで、ホテルも航空券も大丈夫。
 
そのはずだった。
 
スイスイ進んでいた台風の速度が見えない何かに押し戻されるように、突然落ちた。
 
もともと関東に接近すると言われていた9月2日の朝、台風は未だ九州で停滞していた。徳島空港を往来する飛行機は欠航にならず、四国にはしとしとと雨が降っているだけだった。関東地方には雨さえ降っていなかった。
「これ、コンサートできたんじゃない?」
と、思えるほど台風の影響はなかった。
 
台風は、当初の予定から大幅に遅れ、やっと3日の土曜に四国に到達した。
3日の土曜日は朝から大雨だった。
台風特有の湿った強風が吹いていた。台風が近づいている時の雨は断続的に降る。
ざあと勢いよく横殴りの雨が降ったと思ったら、急に止んで小ぶりになる。またしばらくするとバケツをひっくり返したような雨がざあと降る。それが繰り返され、だんだんと風は強さを増し、雨の降りも激しくなってくる。
航空機は朝から全部欠航となった。路線バスもJRも運休。四国に架かる橋は全部通行止めとなった。
 
ちょっと待って!
私が取り直した飛行機のチケットは、4日月曜の午前7時半に徳島を出発する始発だ。
徳島空港からの始発に使う飛行機は、マラソンの折り返しのように、前日の最終便として徳島に来た飛行機が使われると聞いたことがある。
3日が全便欠航になったら、4日の始発で飛ぶ飛行機がない。欠航だ。
「私たちが乗る飛行機が欠航になるかもしれない。どうしよう」
不安になって妹に、泣きついた。妹は、
「とにかく、朝、徳島空港まで行って確認するしかないよ。欠航になったら、次の便で行こうよ」
なぐさめてくれるが、最悪の妄想が膨らむ。
もし、次の便が満席だったら? この台風で、日本中の飛行機のダイヤが乱れて、徳島なんて乗客も少ない地方都市への飛行機なんか欠航でいいやって航空会社に思われちゃったら?
この際、特急と新幹線を乗り継いで行った方が確実だろうか。
でも、このまま四国に架かる橋の通行止めが解除にならなかったら、陸から行くこともできない。
それにもし、この台風のせいで自分の家が洪水で浸水したり、暴風で壊れたりしたら、一大事だ。飛行機が飛ぼうとJRが走ろうと、もう行けない。
いっそ、雨も風もひどくなかった2日の金曜に東京へ行っておけばよかったのだろうか。
徳島から東京までの500キロは、なんて遠いんだ。
 
竜巻のような風と土砂降り雨が、窓の外で暴れている。
私の心も同じように不安の嵐が吹き荒れていた。
「お願いだから、台風が何事もなく、過ぎてくれますように。飛行機が飛びますように」
長い長い、祈るだけの9月3日だった。
 
風雨の音と、飛行機のことが気になって、なかなか寝付けなかったが、夜中にやっと眠れたようだった。目が覚めると、外がうっすら明るくなっていた。あれほど暴れ狂っていた暴風や雨の音が全然していなかった。時計を見ると午前4時。飛行機は午前7時半発なので、そろそろ起きて支度を始めなければ。カーテンを開けると、晴れていた。
 
昨日までの嵐はどこへ行ったかと思うほどに静かだった。
すぐさま、航空会社のサイトをチェックする。
「徳島発東京行き午前7時30分、定刻通り」
と書かれていた。飛行機は遅れることも、欠航になることもなかった。まるで何もなかったかのように。
 
そして、飛行機は東京へ向かって飛んだ。
 
国立霞ヶ関競技場の会場は満席だった。7万5千人の観客が集まった。
国立競技場には、関東沖を進む台風の余波であろう、湿った風が吹いて、会場にぐるりと立てかけられた何十本もの旗が、パタパタと旗めいている。風に吹かれたグレーの雲が猛スピードで過ぎて行く。
競技場の観客席の一番てっぺんにある聖火台の近くの席で、それを飽きずに眺めていた。
 
そして、9月4日月曜日、午後5時30分、時間ぴったりに彼らは国立競技場の巨大セットの上に姿を現した。
聞き慣れた曲のイントロが流れた。キラキラの彼らの笑顔、それから7万5千人というとてつもない人の歓声と7万5千個のペンライトの光の渦。そんな素敵な嵐の中に、私は胸を熱くして、身を投じた。
 
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