プロフェッショナル・ゼミ

そして父は星になった《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:安光伸江(プロフェショナル・ゼミ)
 
「おい、バスカード貸せ~や」
 
今からちょうど2年2ヶ月前、曜日も同じ土曜日、2016年5月28日の朝、私の寝ている部屋の扉を開けた父はそういった。
 
「どっか行くん」「おお」
 
なんでも定年まで勤めて最後は課長をしていた会社のOB会らしい。私は聞いていなかったけど、ずいぶん前に案内状が来て出席の返信を出し、楽しみにしていたようだ。なんでまた急にいうんやろう、と思ったけど、いつもは私が使っている昼間(といっても9時~16時)のバスカードを貸した。
 
父の実家は貧乏人の子だくさんで、父は勉強ができたのに大学に行かせてもらえなかった。高校も工業高校に行って、卒業してすぐ働いた。本社が東京にある大企業だから、高卒だとかなり苦労したらしい。大卒のひとに反骨精神を相当もっていたらしい。だが苦労して係長になり、課長になった時、祖父(父の父)は涙を流して喜んだそうだ。よかった。よかった。学校に行かしてやれんですまんかったのぉ……そんな話を父から聞いたことがある。
 
そんな父の、大事な大事な課のOB会だ。課長! 課長! と慕ってくれる元部下もたくさん来ているはず。楽しみにしていたことだろう。
 
私は見ていなかったけど、朝からシャワーを浴び、脱いだものを洗濯して2階の居室に干していた。数年前から母が寝たきりに近くて私は母の世話で手一杯だったので、父は自分のものは自分で洗濯していた。共通のものと母と私のものは私の担当だった。
 
とにかくあの日の父は機嫌がよかった。よほど飲み会が楽しみだったのだろう。はげを気にして出かける時はいつも帽子をかぶっていた父だったが、このところなぜか髪が少し伸びてきていた。
 
「この帽子、かぶっていこうかのぉ、おいていこうかのぉ」
 
にこにこしながら私に話しかけてきた。ほんと、えらく機嫌がよかった。
 
「どっちでもええわ~ね、はよいっといで」
 
こっちも笑ってはいるものの、今から思えば「もっとかまってくれーや」という感じも、ちょっとした。父はしばらく迷っているようだったが、私は母の部屋に行き、母とぼ~っと話をしていた……ような気がする。その前に、「お母さんによう昼食べさせちゃってくれの」としっかり言われた。いつもは私が先に一人で食べて、両親はふたりでパンを食べる。今日は父がいないので、私と母が初めてふたりで食べるのだ。責任重大だ。
 
「行ってくるど」
 
玄関で声がした。帽子はどうしたのかな、とちょっと気になったけど、特に返事もしなかった。一瞬「これで最後になったらちょっといややな」という悪い予感がよぎったが、そんなこともないだろう、と母の部屋にそのままいた。
 
……そしてそれがほんとに最後になった。
 
毎週土曜日は父が1キロ先のスーパーに鮭の切り身などを買いに行くのが日課だった。朝ご飯は鮭を焼いたのと卵焼き。私は料理が苦手なので、それしか作れなかった。この日は父が出かけるということで買い出しはいかず、私が午後から行くことになった。
 
その日の父の行動を、ちょっと想像してみた。
 
伸江は見送りに出てくれんかったのぉ、このかっこいいアタマを見せられんかったのぉ、と思っただろうか。薄情なやつやのぉ、まぁええか、さっそうとした姿を課のみんなに見せてやればいい。
 
わくわくして綾羅木駅まで歩き、小銭入れから200円取り出して切符を買う。単線・2両編成の山陰線に揺られて下関駅へ。土曜日だからシーモールに買い物に出るおばちゃんたちで汽車は混んでいる。でも父は年寄りだからちゃんと座れただろう。あいつも来るかのぉ、あいつも来るやろうのぉ、楽しみやのぉ。汽車の中でもわくわくしていたに違いない。
 
下関駅に汽車がついた。大勢の人がおりていく。下りのエスカレーターに乗って、改札を出て、バス乗り場はすぐわかったかな。バスのロータリーがずいぶん変わったから、乗り場の変更もあったかな。それとも彦島方面は西口のままだったかな。私はよく知らないので実際に父がどうしたかわからないけど、きっとバスに乗るところでもちょっと時間がかかったに違いない。
 
そして私からぶんどっていったバスカードを通す。年寄りだから一度ではうまく通せなかったかもしれないな。でも大丈夫。病院に行く時に何度か使ってるから。バスに乗って、やっぱり年寄りだからちゃんと座って、杉田? だったかな? のバス停で降りた……はずだ。
 
飲み会の会場は階段の上にあったらしい。いや、屋内に階段があったのかもしれない。えっちらおっちら上って、いよいよみんなとご対面だ。
 
課長! 安光課長!
おお、○○! 元気やったか! ××もおるの!
 
そんな会話がなされたことだろう。
 
それからはきっと昼からどんちゃん騒ぎだっただろう。父が退職して20年以上たってもこうしてOB会が開ける。おいしいお酒と、おいしい料理に舌鼓をうったに違いない。めっちゃ盛り上がったに違いない。そしてお開きになる時には
 
「来年も、やるど~!」「おおおおっ!!!!」
 
と再会を誓っていた……という話を、ちょっと聞いた。
 
それが……
 
帰りの屋内だか外だか私は詳しいことは聞いていないのだが、階段を降りている時に、酔ってあしもとがふらついたのだろうか、父が転んでしまった。
 
がっっっっっっ!!!!!!!
 
アニメや漫画ならこういう効果音があってスローモーションで描かれるだろう場面が、実際に起こってしまった……らしい。
 
父は転んで後頭部を強く打った。出血もしたらしい。
 
課長! 課長! しっかりしてください!!!
き、救急車だ! 早く! 救急車を呼べ!
 
きっとこんな感じで大騒ぎになったに違いない。父は苦しんでいたかどうか定かではないが、周りのひとたちはみな心配そうにしていたに違いない。大慌てだったに違いない。
 
ぴーぽーぴーぽー
 
救急車が来た。「名前と生年月日は? 言えますか?」「や、やすみつまさのぶ、昭和○年○月○日」
 
そして父は病院に運ばれた。
 
私はというと、昼からの飲み会なのに帰ってくるの遅いなぁ、とのんきに構えていた。3時すぎだったか、とりあえず私が鮭を買ってきましょうかね、とゆめシティに買い出しに出た。鮭はゆめシティの食品館で買うより、かば田という専門店で買った方が生きがいい。切り立てのを売っていることもある。食品館の買い物のあとかば田で3~4枚選んで、袋に入れてもらったのをぶらさげながら、てれんこてれんこ歩いて家まで帰ってきた。
 
さておうちにつきましたよ、門をあけましょうかね
 
と思ったその瞬間、ケータイが鳴った。知らない番号だ。
 
「安光伸江さんの携帯ですか? 私、○○と申しまして、お父さんの会社の部下で」
 
「お父さんが階段で転んで頭を打って、いま××病院に運ばれています。救急車の中で血が止まって名前と生年月日は言えたのですが」
 
え、なにそれ
おとうさん転んだ? あたま打った?
 
もう完全に気が動転してしまった私。家に入ると、母もいましがた電話を受けたらしく、あわてていた。
 
病院に来られないかといわれたが、母は寝たきりだ。昼はなんとか一緒に食べたけど、晩ご飯も私が準備して食べさせんといけん。といってもゆめシティで買ってきたお惣菜を並べるだけだけど。病院、行かれん。
 
結局病院に行くのは県内の遠くにいる兄と、市内にいる叔父(父の末弟)に頼むことにした。私は母といっしょにいた。
 
どうしようどうしよう
おとうさんあたまうった
帰ってこられるんやろうか
 
私は意識があるものと思っていたけれど、その頃には父は意識を失っていたらしい。叔父が病院にかけつけ、兄も戻ってきた。兄は医者なので、来る前にすでに主治医の先生と電話で今後どうするかを話し合っていたらしい。
 
頭蓋骨をあける手術みたいな方法もあるにはあったらしいが、兄の判断でそういう延命治療はしないことになった。「長男」としてサインもしていた。
 
私はのんきに「お父さん帰ってきても2階じゃ暮らせんようになる、そしたら誰がどこで寝るん」なんてことを考えていたのに、兄は現実を見ているから、延命治療をしないことを決めていた。
 
このまま意識が戻らず、何日もつかもわからない状況だという。早ければすぐ死ぬし、植物人間みたいになってずっと寝たきりかもしれん。病院には母も私も行けないから、叔父の奥さんが行ってくれるかも、でもこれから何日かかるかわからん
 
「行ってくるど」といってにこにこして出かけていったのに、帰るのが遅いなと思っていたら、帰ってこなかった。2階で元気に暮らせる状態で帰るんじゃないと、うちは成り立たない。
 
そんなこんなで私は大パニックを起こした。こういう時うつ病患者はメンタルのコントロールが効かない。もっとも、私がうつ病じゃなかったとしても、突然父が頭を打った、なんて状況じゃ、パニックを起こしていたに違いないけど。
 
兄が父の着ていた服と靴を袋にいれてぶらさげて家に来た。玄関にその袋を置き、2階の父の部屋に上がっていった。「保険証どこか?」……知らん。父の部屋は父がきっちり片付けていて、私は自分の部屋もろくに片付けられなくて、父のことはほとんど知らない。どこに何があるかなんて全然知らない。だが父は几帳面だったらしく、兄は保険証やらなんやら必要なものを探し出していた。
 
次の日、日曜日には、父の妹弟と、本家の娘である従姉が、父の病室に集まったらしい。最期の別れをするために。そんな話を聞いても、私にはまだ実感がなかった。まだ、生きて帰ってくると信じていた。信じようとしていた。
 
父はもう意識がなかったらしいが、みんなが集まってくれたのはわかっただろうか。死んでもしばらくは耳が聞こえるという話だから、意識がなくてもわかっただろうか。
 
おお、みんな来てくれたか、ありがとうのぉ
伸江と春子はこんか、やっぱりこれんかのぉ
 
なんて夢の中で考えていただろうか。
 
あとどれくらいもつかわからない、長くかかる覚悟もしておかないといけない、という状況で、私は家にいた。その日は『笑点』の司会が桂歌丸から春風亭昇太に代わった歴史的な日で、「あはは」と力なく笑いながら『笑点』を見たのを覚えている。その歌丸さんも今月初めに亡くなったのだが。
 
兄は翌日の仕事があるのでいったん自宅に帰ることになり、病院には叔父が詰めていた。
 
 
伸江にわしの面倒をみさせるんは無理やのぉ
春子も寝たきりやけのぉ、二人いっぺんは無理やろうのぉ
はよぉ死んじゃらんといけんのぉ
 
そんな声が聞こえたような、聞こえなかったような
 
でも
 
はよぉ死んじゃらんといけんのぉ
 
という思いは、どこからか、風に乗ってか、伝わってきた気がした。
いつだったかは、覚えてないけど。
 
29日の夜は、頭を打ってそこが悪いんやったら、頭に遠隔でエネルギーを送れるやろうか、と、レイキのまねごとをしてみたりもした。父とはいつもあんなに喧嘩ばかりしてたのに、早く死んで欲しいなんてみじんも思わなかった。じぃちゃん生きて帰ってきて、と思っていた。
 
その日は何も連絡がなかった。じぃちゃん生きててね、と願いながら眠った。
 
翌朝早く、家の電話が鳴った。夕べのうちに亡くなって、もう葬儀社に遺体が運ばれたとのことだった。
 
亡くなったのは深夜23時20分頃。その時点で死亡退院の扱いになる。日付をまたぐともう一日入院費がかかるから、長引けば長引くほどお金がかかるから、事故からまる一日たって警察も来なくてすむようになった時点で、夜中のうちに死んだのかもしれない。
 
はよう死んじゃらんといけんのぉ
 
そう思ったのに違いない、と思った。
 
父が出かける前、かぶろうかどうしようかと迷っていた帽子は、洋間のピアノの上に置いてあった。迷った末、このアタマなら十分かっこいいだろう、と、帽子はかぶらずに出たようだ。その帽子を見て私は泣いた。
 
もし、あのとき、かぶっていき、といっていたら
 
帽子をかぶっていたら
 
頭を打ったときの衝撃が少しはやわらいで、生きていたかもしれない
 
なんてことを思ったけど、自転車競技のヘルメットでもないのに、そんなことはあるわけなかった。
 
頭を打った時にかぶっていたら血に染まっていただろうその白い帽子は、今もピアノの上にある。
 
父が亡くなって2年たち、今年の始めには母も亡くなり、もう誰も履かない下駄箱の靴はだいぶ処分したけれども、父がかぶろうかどうしようかと迷っていた帽子は、いまもまだ捨てられずにいる。
 
その後、父の湯灌の儀のあとにみた青空は、いまもくっきり思い出せる。近所の川沿いの桜並木のうち一本は父が植えたもので、その木の横を通る時はいつも挨拶する。
 
父は星になった。
母も鳥になった。
 
おれが死んだら家のことやりきるかいのぉ、と心配していたけれども
ぜんぜんちゃんとはできてないけれども
 
お父さんとお母さんが建てた家、なんとか守っているからね
 
明日で2年と2ヶ月の月命日、同じ曜日の日曜日
あの帽子をかぶってお線香をあげてみようかな。
 
お父さん、お母さん、天国で仲良くしていてね。
 
***

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