本好きはつらいよ《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:大国 沙織(プロフェッショナル・ゼミ)
私は、本が大好きな本の虫である。
過去28年間の人生、本なしには語れない。
一番読むのは、小説。発売時期を過ぎると手に入りにくい雑誌や漫画も、つい買ってしまう。社会人になってからは、ビジネス書も仲間に加わった。
本屋さんや古本市には、大きめのリュックサックかスーツケースで行くことが多い。
たくさん買いたくなっても大丈夫なように。
本との出会いは一期一会だから、逃したくない。
私の部屋には壁一面に本棚があるけれど、全然入りきらず、むしろ増える一方だ。
あちこちで、本の山がなだれを起こしそうになっている。
最近は廊下や階段まで進出し始めてしまい、家族に迷惑がられている。
本をよけようとして足を滑らせ、階段で転倒しケガをする人までいた(私だ)。
全身に青アザができてしまい、数週間は歩くのも痛いぐらいだった。
私以外にケガ人が出てもいけないし、さすがにどうにかしなければとは思っている。
けれど、愛着がある本ばかりなので、なかなか捨てられない。
以前、部屋があまりにも散らかっているので、断捨離の本を読んでみた。
困ったり悩んだりすると本に頼ってしまうのは、本好きあるあるかもしれない。
「古い本を捨てれば、より自分に必要な新しい本との出会いがある」との台詞に納得して、身を切られるような思いで断捨離を決行した。
だが、ほどなくして手放した本が無性に恋しくなってしまい、ほとんど買い戻した。
絶版のものも多くあり、取り戻すのに大変な労力を要した。
本を処分するのは、よっぽどのことがない限りやめようと、あのとき心に固く誓ったのだった。
そんな訳で、今でも私は部屋が片付かないばかりか、他の場所にまで勢力を広げ、人に迷惑をかけてしまっている。
もちろん、綺麗好きできちんと整理整頓している読書家も、たくさんいるとは思うのだけれど。
どうして私がこんなに本好きになったのかと改めて考えてみると、やはり幼い頃から本に触れていたから、ということが大きい気がする。
本との一番古い記憶は、寝る前に布団で、母が絵本を読んでくれている光景だ。
母の両側に私と妹がいる形で、毎晩私たちが眠りにつくまで、何冊も読んでくれていた。
なんなら私がお腹の中にいたときから、近所の図書館で借りてきた絵本を、読み聞かせしていたのだとか。
「娘に本好きに育ってほしい」という考えからだったそうだが、こんなに度の過ぎた本の虫になったのは誤算だったらしい。
「いくらなんでも行き過ぎだ」と事あるごとに言われる。
胎教の効果は、計り知れない。
本好きで何が悪い、別にいいではないかと思う人もいるだろう。
でも、決していいことばかりではない。
部屋が散らかる以外にも、デメリットはいくつもある。
とくに、おそらく親の立場になると困ることも多い。
子どもが本好きになるデメリットといえば(あくまでも私の場合だが)、まずは、本以外のことに興味を示さなくなることだろう。
読書しているときの私は、悪い意味での集中力を発揮していた。
頼まれても家の手伝いなどは一切しない。
呼びかけても、返事すらしない(「ごはんですよ」以外)。
どこまでもマイペースで、協調性がない。
友達の家に遊びに行っても、皆がテレビゲームなどしている横で、勝手に本棚を漁っては読書に没頭しているような子どもだった。
そして極めつきが、視力がどんどん悪くなることである。
小学校に入った頃は、一番後ろの席でも余裕で黒板が見えていたのに、次の年にはもう、メガネが必要になっていた。
成長とともに読める本の幅が広がると、読書量はさらにエスカレートし、視力も悪化の一途をたどった。
毎年、視力検査後はメガネの作り直しを余儀なくされ、そのたびに数万円は飛んでいく。
しまいには、「一日に読んでいいのは何冊まで」と制限をかけられるようになった。
何よりも大好きなものを取り上げられてしまうことほど、耐え難きはない。
子どもの私がその約束を守れるはずはもちろんなく、こっそり押し入れや布団の中で読んでいた。
そのせいか、裸眼だとほとんど何も見えないぐらい、視力が落ちてしまった。
温泉に行くと、周りの人が見るに見かねて、シャワーや湯船の場所を教えてくれるレベルだ。
けれど、毎日何冊も読まないと満足できないのも、寝る前に布団の中で読書する習慣も、今もまったく変わっていない。
私がこんなに本好きになったのは、図書館通いによるところが大きい。
子どもの頃からお世話になっている、海と山に囲まれた田舎町の小さな図書館。
私はおそらく市民の中でもトップクラスで、その恩恵にあずかっていた。
今思うとマナー的にどうなのかという感じだが、家族全員分のカードを使って、マックスギリギリまで借りていたこともある。
本棚の間を順々に歩いていると、いつも思いも寄らないような本との出会いがあった。
それこそどんなジャンルでも網羅していて、私を新しい世界へといざなってくれた。
学校に居場所がない、と感じていた私にとって、本は一番の友達だった。
そのうち、図書館にはない読みたい本を「他館にリクエストして取り寄せてもらう」という技も身に付ける。
私の異常な読書量を支えるには、図書館の存在は不可欠だった。
図書館の魅力といえば、なんといっても、「無料で」本を読み放題なところだろう。
お金のない子どもにも、貧乏学生にも、惜しみなく読書の機会を提供してくれる。
司書さんに「こういう本や資料を探していて」と言うと、全力で一緒になって探してくれる。
図書館は、どんな人に対しても、分け隔てなく優しい。
「借りて、読んで、返して」を幾度となく繰り返し、もう当たり前になってしまっていたけれど、よくよく考えるとこの懐の広さはすごい。
本を読む楽しさを教えてくれた図書館には、感謝してもしきれない。
大人になった私は、本屋さんでも日常的に本を買うようになった。
本屋さんで本を買う良さは、返却期限を気にせずにじっくり読めること、気が向いたときにいつでも手に取れること。
好きな本屋さんはいくつもあるのだけれど、個人的には大き過ぎない、こじんまりしたお店が好きだ。
もちろん大型書店は、ラインナップが豊富だったり、営業時間が長くて便利だったりと、良さはある。実際私も、お世話になることは多い。
けれど、店舗面積が小さくてもこだわって選書しているお店は、「どの本を買っても大丈夫」という、絶対的な安心感があるのだ。
今年の2月からライティングゼミに通っている「天狼院書店」もまさにそんな本屋さんで、ろくに中身も見ないで買ってしまっても、ハズレがない。
先日購入したのは、講談社現代新書から出ている、永江朗著「インタビュー術!」。
最近、飲食店の取材に行ってインタビュー記事を書く機会が何度かあったのだが、うまくまとめるのが想像以上に難しく、難儀していたのだ。
早速読んでみると、相手に会う前の心構えから、記事の構成の仕方まで、テクニック的なことにとどまらず丁寧に噛み砕いて教えてくれ、想像以上の良書だった。
よくよく見ると、15年以上も前に書かれた本で驚いた。この本に詰まっている内容を残らず吸収して使いこなす、という段階にはまだほど遠いので、これから長きに渡って私を助けてくれそうである。
このように、「本に教えられる」ことが数え切れない。
本を読むメリットは、そのデメリットに負けないぐらいたくさんあると思うけれど、「事あるごとに本に救われる」こともそのひとつだ。
もちろん失恋したときも、本に励まされる。
日本の恋愛文学の金字塔といえば、「源氏物語」ではないだろうか。
大学時代、文学部で源氏物語を専攻していた私は、世の中のほとんどすべての恋愛の型が、ここに詰まっていると思っている。
純愛、同性愛、不倫、略奪愛、近親相姦、などなど……。
源氏物語を読むと、どんな形であれ、失恋の痛みって人類普遍の悩みなんだなぁと感じる。
恋愛であれこれ悩めるのは、ある意味とても豊かなことかもしれない、とまで思う。
当時、日がな一日恋愛沙汰にうつつを抜かすことのできる貴族はごく一握りで、大多数の農民は、生きていくだけで精一杯だったのである。
身分に関係なく、誰とでも自由に恋愛できる時代に生まれた私たちは幸せだ。
メーテルリンクの「青い鳥」のごとく、すぐそばにある幸せにはなかなか気付けないものだけれど。
源氏物語を読んでも立ち直れないほど痛手の失恋は、書店員さんに頼るに限る。
残念ながらもう閉店してしまったのだけれど、京都で学生をしていた頃、よく通っていた小さな書店があった。
そこに仲良しの書店員のお姉さんがいて、行く度におすすめの本を教えてもらっていたのだ。
大好きだった彼と別れ、失恋して立ち直れないという私に、彼女は張り切って5冊ほどの本を選んでくれた。
そのどれもが恋愛関連本ではなかったのが、新鮮だった。
もちろん全て購入して、家に帰ってすぐ読んだのだが、そのうちの一冊は今でも強烈に覚えている。
水野敬也著「雨の日も、晴れ男」だ。
主人公のアレックスはポジティブに物事を捉える天才で、何があってもへこたれずに突き進んで行く。
二人の幼い神のいたずらで、彼には不幸な出来事が次々と降りかかるのだが、その対応の仕方が毎度予想を覆すほど鮮やかで見事なのである。
会社をクビになったり、家が焼けたり、妻子に見放されたりしても、凹むのは一瞬で、いつもユーモアを忘れない。
どこまでもエネルギッシュに困難を乗り越えて行く彼の姿に、元気づけられた。
以来、パワーが出ないときにいつも読み返す、私にとってかけがえのない一冊となっている。
ちなみに面白ポイントが随所にあり、吹き出してしまう可能性があるので、電車などで読むときは要注意である。
まだこの世に生を受けて28年しか経っていないけれど、我ながら豊かな人生を送れているなぁ、と思う。
それはまぎれもなく、これまで私と出会ってくれ、いつも助けてくれる本たちのおかげだ。
部屋も廊下も、日に日に豊かになり過ぎているのが悩みの種だとしても。
本好きになってよかったと一番思えるのは、おそらく「人生の主人公は、他でもない私だ!」と信じ切れることだと思う。
子どもの頃から物語をたくさん読んで育った私は、私の人生も、死ぬまで続くひとつの物語なのかもしれないと思っていた。
それぞれが、それぞれの人生の主人公。
他の誰のものでもない、私の人生。
私が主役で、全部自分で決めていいのだ。
他の誰が何と言っても、運命の決定権を握っているのは、最終的に自分なのだ。
それが腑に落ちていれば、うまくいかなくても他の何かのせいにすることもないし、「苦難があっても、人生長い目で見たら美味しい!」とさえ思えてくる。
さあこれから、また新たに、どんなストーリーを紡ごうか。
もちろん、本と一緒に……!
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