“自立”という言葉の裏に隠れた罠
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記事:中川文香(ライティング・ゼミ平日コース)
「早く自立したい」
ふと気付いたときには、そう思うようになっていた。
いったい、いつ頃からなのだろうか。もう思い出せない。
田舎の町に生まれた。
父がいて母がいて、両親の両親、つまり祖父母も健在な、何不自由無い幼少期を過ごした。
男兄弟はいなくて、私は一番上のお姉ちゃんだった。
「お姉ちゃんだから、しっかりしなさい」
「あなたは、大きくなったらお婿さんをもらって、家を継ぐんだよ」
「家に残って、お父さんとお母さんの面倒見ないとね」
そう言われて育ってきた。
結婚なんて、まだまだ何年も先のことだけど……
10代の私は「そんなもんなのかな……」と思いつつ、小さな違和感を持って親戚のおじさんおばさんの話をにこにこして聞いていた。
大学に進学する時期になり、私は家を出る気満々だった。
“言うことを聞くいい子”に疲れてしまったのだと思う。
その頃にはもう”早く自立したい”と思うようになっていた。
“自立する”というのは”ひとりで生活できる”ことだと思っていた。
当然のように、両親や祖父母には反対された。
「なぜ、地元の大学に行かないのか」
「わざわざ外に出て、大変な思いしなくても家から通えば良い」
両親はそうやって説得にかかったが、わたしは頑として聞かなかった。
どうしても、どうしても、家を出てみたかった。
そして、今、この大学進学のタイミングで出なければ、ずっと地元で過ごすことになるだろうという予感がしていた。
外の世界を見ない内に、そこに留まることを決めるなんて絶対にしたくなかった。
一度、外に出てみてから考えれば良い。そう思った。
言い出したら聞かない私の性格を分かっていたのだろう、最終的には、私は県外の大学へと進学した。
はじめての一人暮らし。
でも、私はどこか引け目を感じていた。
周りには、奨学金を借りて進学している子がたくさんいた。授業の合間にアルバイトをして、生活費を稼いでいる子もたくさんいた。
私はというと、実家から仕送りをしてもらい、何の苦労もせずに大学生活を送らせてもらっていた。
全然、自立なんか程遠い。
まわりの子は自分の足で立っているのに、どうして私は一人で立てないんだろう。
もっと頑張らなきゃ。
そう思った。
就職したのは、地元の会社ではなかった。
両親は、戻ってこないことに落胆しているようだった。
でも、私はひとりでどこまで出来るか、やってみたかった。
就職してからは、とにかくがむしゃらに働いた。
専門学校や、大学で専攻して職務内容を学んでくる人たちもいる中で、私はズブの素人からのスタートだった。
負けたくなかった。
「女の子だから、いいよ」
と言われるのが嫌で、
「大丈夫です、出来ます」
と言ってなんでもやってきた。
出来ないと投げ出すのが悔しくて、自分なりにわかるまでやった。
怒鳴られても絶対に泣くもんか、と思った。
そうやって努力していった成果なのか、だんだんと責任あるポジションを任されるようになってきた。
お客さんからも、なんとなく信頼してもらえているような感じが伝わってきた。
やっと、認めてもらえた。
そう思った。
けれど、徐々に体に不調が現れるようになっていた。
気がつくと、30歳目前だった。
地元の両親は「いつ、仕事やめて帰ってくるの?」と帰省の度に投げかけてきた。
「そろそろ結婚のことも考えたら?」とも。
なんだか、上手く行かなくなっていた。
色々と任せてもらえて楽しかった仕事も、徐々に負担が苦痛に思えてくるようになっていた。
仕事のきつさに合わせるように、プライベートもごたごたし始めた。
つらいことは重なるって本当だ。
でも、その時の私にはそんなことを考える余裕すらなかった。
仕事辞めよう。
そう決意した。
でも、次が決まらないまま辞めるのは怖い。
準備を始めていた矢先に転職話が舞い込み、そこにお世話になることにして私は仕事を辞めた。
次の仕事は、前職に増して忙しかった。
文字通り休む暇も無く、前職時代に崩していた体調はあっという間に悪化し、精神的な面でも限界ギリギリだった。
そして、無職になって、実家に出戻った。
実家に戻って一年数ヶ月経つ。
ありがたいことにすぐに職を見つけ、今は健康に働いている。
ここまできて身にしみて思ったのは、「自立する」というのは「一人で頑張る」と必ずしもイコールではないこと。
真っ直ぐに自分の足で立つためには、しっかりとした地面が必要で、そこに下ろす根も必要だ。
ただ、地面の上に立つだけでは、雨風に耐えて踏ん張ることが出来ない。
そして、固い地面は、広がる根は、自分ひとりの力では作り上げることは出来ない。
困ったときに頼れる誰かや、何かが、自分の周りの地面を強固なものにし、時には水を与え、根をはる手助けをしてくれる。
人間、ひとりでは到底、生きていけないから。
そして、無理をしたら、必ずどこかでリターンが来る、ということ。
どれだけつらいと思っても「はじめからやり直し」ボタンなんて無くて、常に「続きから始める」なのだということ。
そうやって、色々痛い目もみて、ようやく自分の道がわかってくるということ。
それが最終的に自立につながるのだろうということ。
今、私はまた新しい道を模索している。
今度は、共に進もうとする仲間もいる。
自分の体の声にも、耳をすませている。
次こそは、一人で頑張ったりしない。
そう思っている。
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