プロフェッショナル・ゼミ

1枚の戸籍が教えてくれたこと《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:青木文子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 
「あの、この戸籍のもう一つ前のものがあるはずなんですが」
「いや、もうそれは廃棄になっちゃったからないよ」
こんな遠くまで来たのに、やっぱりないかぁ、と心の中でつぶやく。
 
「そうですか、やっぱりもうないですか。では廃棄証明だけ下さい」
ここは市役所や町役場の戸籍の窓口。そんなやりとりをして窓口をあとにする。
 
誰かが亡くなると、その相続手続きのためにはその人が生まれてから死ぬまでの戸籍を全て揃える必要がある。その人の名義の自宅の土地や建物。銀行の預金。その手続には戸籍をすべて揃えなければ行けない。その手続きを司法書士としてお手伝いすることがある。
 
戸籍というと多くの人には少し縁遠い存在かも知れない。自分の住民票を役所の窓口でとったことがある人は多い。でも戸籍をとったことがある人はあまりいないはずだ。そして、そもそも自分の戸籍のある場所=本籍地を知らない人も多い。どんなに引っ越しをして住民票が移っても、戸籍は転籍という手続きをとらないかぎりはそのままだ。だから例えば今あなたが東京都杉並区に住んでいたとしても、戸籍は親の出身地の遠方の土地であったりする。
 
あなたは自分の家系図を見たことがあるだろうか。時代劇などで出てくる場面。奥からうやうやしく持ってきた桐の箱をあける。そこに朱の袱紗に包まれている巻物。巻物を広げると先祖代々の名前が書かれている。清和源氏の何代目、とか、〇〇藩主から数えて何代目とか。なんだかちょっと由緒正しい、そんな気持ちになったりする。少し前に「あなたの家系図つくります」というビジネスが流行ったことがある。一時期よく新聞の広告に載っていた。先祖をたどって調べて、先祖代々の図を時代劇の巻物のようにします、というビジネスだ。どうやってこのビジネスが先祖を調べるかというと、それは戸籍をたどることで調べる。
 
戸籍というのは今では日本と台湾にしか存在しない仕組みだ。家単位で人の記録がされている書類、と考えてもらえばいいだろうか。戸籍にはその人の出生とか、結婚とか、離婚とか、養子縁組とか、そういったことが書かれている。仕事柄、いろいろな戸籍を見る。ある時みた戸籍には、その人が結婚を4回して、離婚を3回したという記載があった。正直びっくりした。下手なドラマよりもドラマティックな人生を垣間見たような気がした。しかもたどっていくと、その4回の結婚は同じ相手だった。きっと何か事情があったのだろうけれど、順番にみていって、結婚して離婚をしてを繰り返して、4回目の結婚も同じ人だったとわかったときにはちょっとホッとした。
 
先程、亡くなった人の戸籍を全て揃える必要がある、と書いた。ほとんどの人は生まれてから死ぬまでの戸籍が何枚もある。
 
「え?どうして1枚じゃないの?」
日本では戸籍が何回か書き換わったことがあるからだ。昭和や平成で何回か戸籍の書く様式が変わっているからだ。書くフォーマットが変わったと言えばいいだろうか。フォーマットが変わると、その度に新しい様式に戸籍が書き直される。書き直される以前の古い戸籍はそのままで保存される。だから1人の人の生まれてから、死ぬまでの戸籍を集めると、ある人は3枚に渡っていたり、ある人は5枚に渡っていたりする。
 
明治時代の戸籍などは筆文字でしかも小さく達筆に書かれているので、何が書かれているかを読み解くのに頭を抱えることがよくある。あまりに読めないと、該当の役場に行って窓口の人に聴いてみるのだが、もちろん窓口の人もわからない。
「これ、一体なんて名前の人でしょうね?」
「う~ん、今ひとつわからないですね」
達筆すぎる字を書いた当時の人達が恨めしい。そして、様式が変わると戸籍は書き直される。平成に入ってからはコンピューターでの書き直しになるからいいが、昔はもちろん手書きでの書き写しだ。なので、書き写し間違いなどがよくある。例えば最初は二女だった人が、次の書き写しの時に間違いで三女になっていたりする。そんな戸籍をみつけると
「あれ? 途中にもうひとり子どもが生まれている?」
と必死になって調べることになる。あちこち調べて、ただの書き写し間違いとわかったときのぐったり度は、かなりのものだ。
 
今から5年ほど前のことだ。相続の仕事である人の戸籍をたどっていた。中部地方の方だったが、何回か転籍をしていて、戸籍があちこちの地方に分かれていた。戸籍はその戸籍がある役場でしかとることができない。あまりに遠方の場合は郵送で戸籍を取得することになる。お金の代わりに小為替を同封して送る。するとあちらの役場がその戸籍を同封の返送用封筒で送り返してくれるのだ。でもその役場ですべての戸籍が揃うとは限らない。今度こそ、この役場でこの人の出生から全部戸籍がそろうかな、と思って郵送してみても、
「この方は〇〇歳の時に△△市から転籍されていますので、そちらで続きをお取り下さい」
そんな付箋がつけられて戸籍が戻ってくる。すると、今度はその△△市へと戸籍を送ってもらう請求をすることになる。
そんな何回かの各地との郵送の往復のあと、その人の戸籍が九州方面のある市にあることがわかった。早速、郵送で戸籍を送ってもらうように請求の郵便を出した。
 
戻ってきたのは土日をまたいで翌週だった。こちらからの返送用の封筒が事務所のポストに入っていた。その日は別々の相続の仕事で別々の市役所から送られきた封筒が、合わせて3つほどポストに一緒に入っていた。
 
ペーパーナイフで封筒を開けて、三つ折りになっている戸籍を綺麗に伸ばす。そこからは戸籍に何が書かれているかを読み解く仕事だ。順番に封筒を開けて順番に戸籍を読んでいく。順番に読んでいくうちに、九州地方から帰ってきた戸籍の番になった。戸籍を見ていくと、確かに今回の相続の手続きをしている人が生まれた記載のある戸籍だった。やれやれ、これで出生からの戸籍が揃った。とすこし安堵した気持ちになっていたときだった。
 
その人の戸籍がすこし変わっていることに気がついた。その戸籍は戦争中の戸籍だった。戦争中の戸籍は、現在の戸籍のように家族ごとの戸籍でなく、一族全員が一緒の戸籍に載っている形の戸籍だ。
 
みてみると、その戸籍で生きている人がその人だけなのだ。他の人には全て死亡の記載があった。もちろん年配の人が死亡の記載があることはよくあるが、そうではなかった。同じ戸籍の中で、世代の違う複数の人が亡くなっている。その中には1歳前の生まれたばかりの赤ちゃんもいた。結婚したばかりの40代の女性もいた。戸主と言って一族の長にあたる70代の男性も。そしてその中でひとりだけが生きている。
その戸籍が変わっているとなぜ意識に引っかかったのだろう。順番に見ていって気がついた。その亡くなった日付が全て一緒だったのだ。日付をあらためてみた。そして気がついた。日付は昭和20年8月9日、場所は長崎市。
 
長崎の原爆が落とされた日だった。
1枚の戸籍の向こうに、風景が見えた。その風景は、今まで私が長崎の原爆として見聞きした映像のつぎはぎだった。でも確かに風景が見えた。戸籍を握りしめてしばらく時間が経っていた。自分が時空を越えてどこかに行っていたように感じた。気がつくと、いつもと変わらない、私の十畳あまりの小さな司法書士事務所のデスクに座っていた。
 
その年の8月9日。この戸籍のことを思い出して私はツイッターに投稿をした。
 
「相続の仕事で戸籍を取得することがある。数年前、ある方の戸籍を辿っていって取り寄せた一枚に釘付けになった。同じ戸籍の中で、世代の違う複数の人が同じ日に亡くなっている。1歳前の赤ちゃんも40代の女性も70代の男性も。日付は昭和20年8月9日、場所は長崎。その日、そこで起こった出来事。」
 
このツイートは特にだれかからリツイートがかかるわけでもなく、タイムラインの下の方にこのツイートは流れていった。
それでも毎年、8月9日になると、この戸籍のことを思い出さずにはいられなかった。3年経った8月9日。このツイートを探し出して、自分でリツイートをかけた。
 
朝、リツイートをかけてしばらくした頃だった。スマホからひっきりなしに音がなり始めた。なんだろう? ピロン、ピロン、と音がなり続けている。スマホがこわれたか? と一瞬思った。それほど頻繁な音だった。スマホを見てみると、この告知音はツイッターの告知音だとわかった。8月9日の戸籍のことを書いたツイートに、次々にリツイートがかかっている。このひっきりなしになるピロン、ピロンという音はツイートへのリツイートを知らせる音だった。結局3年前のツイートに、あれよあれよという間に450以上のリツイート、200以上のいいねがついた。
 
8月9日の戸籍を私が手にしたことは何かの偶然だった。でもその戸籍は時空を越えて私に何かを伝えてくれた。その戸籍が伝えてくれたことを書き記したくて書いたツイートは3年間だれからも反応がなかった。でも3年経ってリツートした時に、思いがけない多くの人たちに伝わっていった。時空を越えて広がっていく波紋。
本は書かれることで時空を越えて誰かに言葉が届く。私達は本を読むことでずっと昔に生きた人たちの言葉を聴くことができる。自分の知らない昔の人の著書が、届けてくれるメッセージ。
 
ある日の司法書士事務所の片隅で誰かに伝えたいと強く思ったこと。それを伝えたくてツイートの文字にしたこと。1枚の戸籍が時空を越えて私に伝えたことは、また文字になることと偶然の重なりでて多くの人に伝わっていったのだ。
 
眼の前の人に伝わる、伝わないと思うことがよくある。それは今という時間の中の水平な世界なのかもしれない。時に伝えたいことは時空を越えて伝わることがある。それは垂直に伸びた時間軸。突然思いもよらないところとつながる扉が開く。私達が生きているのは水平の時間軸だけでなくそこには垂直な時間軸があるのだ。1枚の戸籍はそのことを教えてくれた。
今年ももうすぐ8月9日だ。私はまたあの戸籍をみた瞬間のことを思い出すのだろう。そして、自分の生きている時間の水平軸と、そこから高く、そして深く上下に伸びる垂直の時間軸の向こうに思いを馳せるのだと思う。
 
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