プロフェッショナル・ゼミ

36年前の危惧を取り去る作品に出会った幸せ《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:山田THX将治(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「そんなの有りかよ!」
有楽町駅前の映画館に掛かる、次回作のポスターを見て私は大人気(おとなげ)無い声を上げてしまった。次にこの映画館で上映される『最後のランナー』という作品の前売り券を買いに出た時だ。そのポスターに添えられた、‘本作品の前売り券は御座いません’との注意書きを見たからだ。
悪い予感はあった。いつも映画の前売り券を買う、‘チケットぴあ’で
「この作品の前売り券は御取り扱いが有りません。多分、制作されていないと思います」
と言われていたのだ。また、この作品を上映する映画館自体が、日本全国でわずか5館だけだったことも、私をびくつかせていた。
 
何をそんなに怖がっているかというと、私の昔からの習性に他ならい。
観賞した映画のプログラムと前売り券の半券は、全て保存しているからだ。それまでもたまに、前売り券が発行されなかった(『スター・ウォーズ』のエピソード7・8)り、プログラムが制作されていなかった(比較的小規模の作品)りした映画は有った。その時の感じた“絶望感”は、積み上げて来た‘積み木’を途中でくずされた子供と同じで何もかもを捨て去りたい衝動に駆られてしまう程だ。
その上、『最後のランナー』の公開日は7月14日で、私はと言えば‘引っ越し作業’が最高潮に達する時期と同じだったので、もし上映期間が短かったら観逃がす可能性もあると恐れたのだ。
 
何故にそこまで、小規模公開でしかない『最後のランナー』に私がこだわってしまうかというと、ひとえに主人公が昔公開された名作の登場人物だったからだ。
エリック・リデル。
この名を聞いて、‘ピン’と反応なさる方も多いことだろう。1982年8月、日本で公開され、その年のアカデミー作品賞に輝いた『炎のランナー』の登場人物だ。
『炎のランナー』は、1924年に開催されたオリンピック・パリ大会で奮闘する、英国陸上選手団を描いた作品だ。第一次世界大戦が終了したばかりの当時は、21世紀の現代と違い、スポーツ、特にオリンピックにおける“アマチュアニズム”と“エリート意識”が、大いに幅を利かせていた時代だった。当然、大会関係者や各国のオリンピック委員を始め、選手の多くが‘貴族階級’に属する者が多かった時代だ。
そんな中で、“ユダヤ人”という、いわれなき差別を受けて来た一人の若者ハロルド・エイブラハムスは、努力して名門のケンブリッジ大学に入学し陸上選手となる。ハロルドの好敵手として、宣教師の息子で当人も生粋のクリスチャンである‘元ラグビー・フットボール選手’が、スコットランドからやって来る。その‘元ラグビー選手’がエリック・リデルだ。
事件が起こる。パリ大会の陸上100m決勝が、日程変更で日曜日に行われることになったのだ。敬虔なクリスチャンのエリックは、“神の安息日にスポーツは出来ない”という理由で、100m予選の出場を固辞する。陸連委員の説得も効かない。当時のマスメディア(特に新聞各紙)が、怒涛の批判をエリックに対してしてくる。そこで、‘400mハードル競争’で銀メダルを獲得した‘貴族’のリンゼイ選手が、自分が持っている‘400m競争’の出場権をエリックに譲ると提案する。これで、一先ずの決着を見る。真のエリート精神を垣間見たと、私は感じた。
競技の結果は、一人で米国の3強豪と100mを争ったハロルドも、初めて400m走り切ったエリックも、堂々と金メダルを英国にもたらした。特にエリックの記録は、当時の世界新記録だった。二人のゴールシーンは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
こうして、ヴァンゲリスの名曲と共に、『炎のランナー』は映画史上に残る名作となった。
 
幼稚園の年長時に“東京オリンピック”を経験した私は、他の世代では類を見ない‘スポーツ馬鹿’・‘オリンピック馬鹿’に成長してきた。しかも、映画というコンテンツに出会ってからは、そこに‘映画バカ’の称号も付け加えられた。
そんな私だからこそ、この『炎のランナー』は、自分のオールタイムで最も大事な作品の一本となっていた。
『炎のランナー』を初めて観た時のことは、いまだに忘れない。
アカデミー作品賞受賞作ということで前評判が高く、ロードショー公開館の日比谷みゆき座(当時)は、平日の昼間にも拘らず満員だった。
1982年当時のロードショー館は、シネマコンプレックス(シネコン)全盛の現代と違って‘入れ替え制’では無かったので、前の回の終映後に自分で空席を探さなくてはならなかった。私が場内に入ると、前の回を観ていた多くの人達が席に残っていた。私はその頃、映画を最前列で観ていたので、最前列通路側の席をそれでも何とか確保することが出来た。
開映を待つ間、席で本を読もうと開いてみたが集中出来なかった。映画の前評判を聞き過ぎて、期待と興奮が高まっていたのだろう。その内、冬でも無い(8月です)のに‘ガタガタ’と身体が震え出す程だった。
『炎のランナー』は、期待通り、いや期待以上の感動を私に残していった。終映後、しばらく席から立てなかった。この感動に、いつまでも浸っていたかったからだろう。多分、私と同じ感動を受け止めた方が多かったので、いつまでも席が空かなかったのだろう。
 
私が、『炎のランナー』から受けた感動の中で特に印象に残ったことは、作品のラストで流れた、登場人物たちのその後を伝えるテロップだった。選手達は皆エリートだったので、議員や弁護士、医者やジャーナリストへと転身していったという。
その中でただ一人、エリック・リデルは宣教師として出生地である中国に戻った。そして、‘1945年、赴任先の中国で死亡’とテロップが表示された。
「1945年の中国で亡くなったということは、もしかして日本の軍隊に殺されたのでは」
私の心がざわついた。日本人として、悲しい気持ちにもなった。
それ以降、私にとって『炎のランナー』は、大きな大きな感動を残してくれたと共に、“危惧”というか‘小さな心のしこり’も残していった。もう、36年前のことである。
 
この夏、『炎のランナー』の続編的作品として、『最後のランナー』を観ることが出来た。映画のクオリティへの言及は、私が映画の専門研究者では無いのであえてしない。何故なら、史実である自伝的作品なので、作品の評価では無く人物評価となってしまうからだ。
ただ、これだけは強調したい。
『最後のランナー』は私の、“36年前の危惧”を取り去ってくれた。
エリック・リデルが、何故宣教師になったのか、何故中国にこだわるのか、何故常に前向きに生きていたのかを、映画の冒頭で短くそして的確に描いていた。
そして、‘陸上選手’であったこと、‘元ラグビー選手’であったこと、そして常に‘弱い者の味方’であったことも描いていた。
そしてエリックは、日本軍の収容所に抑留はされたものの、‘虐殺’された訳では無かったことも描いていた。
私は、安堵した。
36年前に、最も恐れていたことが無かったと確認出来た。
宣教師エリック・リデルは、宗教家の鑑の様に進んで収容所に残り、決して“希望”を失わず、最後の一日まで人生を全うしていた。
 
『最後のランナー』の原題は“ON WINGS OF EAGLES”という。直訳すれば、‘わしの翼に乗って’とでもするのだろうか。
こんな事も思い付いた。
『炎のランナー』の冒頭、“心に希望を、踵に翼を持った若者達の物語”とのナレーションが入る。ということは、もしかしたら、『炎のランナー』の真の主役はエリック・リデルなのではないかと。
何故なら、“希望”・“翼(WINGS)”というキーワードが、36年の年月を経て公開された‘続編的’作品で重要な役割を果たしているからだ。
そういえば以前、『炎のランナー』の原題“CHARIOTS OF FIRE”の見慣れない単語“CHARIOTS”を辞書で調べたことがあった。一般的意味としては、“二輪馬車”だそうだ。映画『ベン・ハー』で競争する馬車がそれだ。
ただし、もう一つの意味に“神の乗り物”というのもあった。ということは、ここからも『炎のランナー』の主人公は、エリックだったと考えられることを思い出した。何といっても、エリックは“神”に仕える宗教家だからだ。
 
小規模で公開された『最後のランナー』。
プログラムも、前売り券も、特集した雑誌も無い。私の手元に、‘記念’として残しておけるのは、当日券の半券と僅かな情報しか載っていない‘チラシ’のみだ。丁度、‘ペライチ’の痕跡しかない。
ロードショーで観た方は少なかったろう。当然、話題になることも無いだろう。
 
しかし、だから敢えてこう考えよう。
少ない情報で『最後のランナー』を記憶することは、私に対して課せられた“神”と“エリック・リデル氏”からの命題だと。
そして、数少ない『最後のランナー』を“エリック・リデル氏”そして、『炎のランナー』と絡めて語り継ぐことが、私の使命だとも感じた。
 
映画を観る事は、本当に楽しい。嬉しい。
こうして、自分にしか出来ないかも知れない感動が出来るのだから。
 
きっと今日もまた、映画を観に行ってしまうだろう。
 
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