宇宙人との夏休み《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:たけしま まりは(プロフェッショナル・ゼミ)
1997年の春、わが家に宇宙人がやってきた。
宇宙人の名前は「マリ」という。マリはわが家の主であるチエの孫にあたる。チエは私のパートナーだが、チエの娘と孫との血のつながりはない。
マリの「本当のおじいちゃん」は5年前に病気で亡くなった。
私の立場を一言でいうと、チエの再婚相手だ。しかし籍は入れていないし、私はチエの持ち家に住んでいるので正確に言うと「後夫」というのだろう。
チエと出会ったのは特別養護老人ホームだ。チエは施設の職員として働いていて、私がチエを見初めて交際を申し込んだ。
再婚・同居に至るまではそう長くかからなかった。なにせお互いシニア世代。「お迎え」が近いのだから、ぐずぐずしている暇はない。
ふたり暮らしはそれなりに上手くいった。私は調理師免許を持っているので、洗濯や掃除はチエ、料理は私、という家事分担が自然と出来上がった。チエは私の手料理をすごく気に入ってくれた。前夫を亡くしてから、料理をする気がとんと失せていたらしい。
65年の人生を振り返ると、まぁいろいろと大変なこともあったが、今は幸せである。
チエとパートナーになって一年ほど経った後、チエから「娘が離婚して、孫と一緒に“出戻り”する」と告げられた。私はこれまでになく緊張した。いくらチエの娘と孫とはいえ、私にとっては赤の他人。それに彼女たちからすると「お父さんじゃない人」「おじいちゃんじゃない人」が実家にいたらさぞかし驚くことだろう。
それに、理由はそれだけじゃない。
私は60歳の時に病気で両脚を失った。
バージャー病という原因不明の難病。手足の動脈が詰まり、先端から徐々に壊死していく病気だ。病気が発覚した時には脚を切断するしかなかった。商売道具の手が無事だったのは不幸中の幸いだったが、完全車椅子生活・介助者が必要な暮らしは想像以上に手間とエネルギーがかかるものだった。
もともと喋るタイプではなかったが、病気をきっかけにさらに口数が少なくなった。私の家族は私の介護を持て余し、すぐに施設に入れた。無口な私とは正反対によく喋るチエを見ていると明るい気持ちになれて、そういうところを好きになった。チエは仕事柄私の介助も完璧にこなしてくれる、最高で、最良の、最後のパートナーだ。
さて、そんなチエの娘と孫は、私のことを受け入れてくれるのだろうか。
「……はじめまして」
チエの娘の背中にかくれつつこちらをじっと見つめるマリは、どんな気持ちを抱いていたのだろうか。
私はチエから「義理のおじいちゃん」だと紹介された。小学校に入ってまもない子が「義理」なんてわかるのだろうか。そして、マリは私の下半身に釘付けになっている。両脚のない人なんて初めて見るからそりゃ驚くだろう。
私も私で愛想よく返事ができなかった。チエとチエの娘は離婚話に夢中でそれどころではなく、私とマリの間に漂うなんとなく不穏な空気は少しも感じとれないようだ。
4人暮らしがスタートすると、家はかなり賑やか、いや騒がしくなった。
チエは今までよりいっそう喋る。チエの娘もかなり喋る。マリは母親にかまってほしくてひたすら「ママ! ママ!」と話しかけている。高い声が家じゅうに響き、ひよこの群れが泣きわめいているみたいだった。私の声はかき消されんばかりだった。
4人暮らしで予想外だったのは、マリが学校からまっすぐ家に帰ってくることだ。私が小学生の頃は、外が真っ暗になるまで帰らなかったし、帰りたいとも思わなかったのだが……。
マリは家に帰るとすぐにテレビをつけて、お気に入りのテレビ番組にかじりつく。基本はアニメ。一時間ほどテレビを観たあと、夕食の時間までずっとマンガを読む。たまに公文の宿題を「あーわかんないー!!」と騒ぎながら取り組んでいる。私はそんなマリを尻目に黙々と食事の支度をする。
チエもチエの娘も夕食の時間ギリギリまで仕事で家に帰ってこない。
2~3時間ほど私とマリは二人きりの状況になるのだが、マリはずっとひとりで時間をつぶしている。
まぁ、私も同じ状況なのだが。それにしても、だ。
マリはこの家に暮らすことに慣れただろうか。
ずっとひとりでさみしくないんだろうか。
新しい学校では上手くやれているのだろうか。
家にまっすぐ帰ってくるということは、友達がいないのではないだろうか。
次から次へとマリに聞きたいことが浮かんでくるが、私からは聞けない。
一緒に暮らしているとはいえ、実の孫ではないからだ。
私は亡き前妻との間に娘はいるが、孫はいない。マリを実孫のように思ってはいるものの、やはり遠慮してしまう。
マリは何を考えているのかわからない子どもだ。
別に暗い子というわけじゃない。話せば明るく振舞ってくれるし反抗もしないいい子だが、時おり見せるさみしげな表情に不穏なものを感じる。
新生活に慣れず不安なのだろう。
両親の離婚、引っ越し、転校と急な環境の変化が続いてしまったから、それも仕方ないことだとマリに少し同情する。
しかし、孫という存在が、こんなに得体の知れないものだとは思わなかった。
会話をしても、本当に意思の疎通がとれているのかわからない。
まるで宇宙人だ。
しかし、私も私で相変わらず無愛想なままだ。チエみたいに軽やかに話せたら良いのだが、どうにも私にはそれができない。
マリは私のことを宇宙人だと思っているのではないだろうか。
私とマリのふたりきりの時間は、得体の知れない宇宙人同士、見えないバリアを張ってお互い何かを守っているような感じだった。
私とマリとの距離感は絶妙なまま、マリは夏休みに入った。
いつもは学校へ行く時間にもマリが家にいるようになり、いままで以上にふたりきりの時間が増えた。
さすがにその頃には友達ができたようでちょくちょく出かけることはあったが、それにしても家にいる時間が圧倒的に多かった。
マリは暇をもてあまして、ちょくちょく私に話しかけてきた。
「じぃちゃん、あの鳥はなんて言うの?」
「あれは、シジュウカラだよ」
「ふ~ん」
鳥に興味を持ったから聞いたというよりは、あまりにも暇すぎて聞いてみた、という感じの聞き方だった。シジュウカラという鳥の名前を聞いても特に興味はそそられなかったようで、マリは分厚いマンガ雑誌を手に取りマンガの世界に入ってしまった。
マリは気まぐれに観葉植物の水やりや犬の散歩を手伝うことはあったが、どれもすぐに飽きてマンガの世界に戻っていった。
マンガに飽きたらテレビ、テレビに飽きたらマンガ、時おり私に話しかける、そんなループがマリのなかにできあがっていて、私とマリの距離感は縮まらないままだった。
しかし、唯一バリアが解かれる瞬間があった。それは食事の時だ。
夕食はチエやチエの娘も一緒だから明るい、いや騒がしい食卓になるのだが、昼食のときは私とふたりきりなので、夜とは打って変わってシーンとしている。
夏になると私はのどごしが良い冷やし中華をよく作った。
きゅうり、トマト、ハム、錦糸たまごの鉄板トッピングに、隣家からもらったスイカものせてみる。
スイカに塩をかけたら甘味が増すのだから、冷やし中華に入れてもまずくはないだろう。
うん。まずまずの味だ。
「昼飯できたぞ~」と声をかけると「は~い」という明るい声が聞こえる。
「いただきます」と言い合ったのち、マリは無言で冷やし中華をすする。
私も無言ですする。
ズズッ。ズゾッ。ズズーッ。
うん。夏は冷やし中華に限るな。食べやすいし、何より作るのが簡単だ。
マリをちらりを見る。マリはスイカを丁寧によけて、麺をすすっていた。
おや? と思ったが、マリはきちんと残さず食べた。
まんざらでもなかったのだろう。それ以来、冷やし中華にスイカトッピングはわが家の定番になった。
夏は体調を崩すことが多く、手間のかからない冷やし中華を作ることが増え、気が付けば週に2~3回は冷やし中華を作っていた。
マリは「え~、また冷やし中華?」と言うことはあっても残さず食べた。
昼食の時間は会話が無いからといって、気まずい空気が流れているわけではない。
なんとなく、居心地の良い感じ、リラックスした感じがあった。
「ごちそうさまでした」
洗い物を手伝うことはないが、「いただきます」と「ごちそうさま」は必ず言う子だった。
4人で暮らすようになって、私とマリが一緒にいる時間が誰よりも多かったのだが、いつまで経ってもマリはやはり私には心を開いている感じがしなかった。
チエやチエの娘には「うるさいなー!」と反抗的な態度をとるのに、私に対しては、いつもどこか遠慮しているような感じがあった。
マリにとっても、やはり私は得体の知れない宇宙人なのかもしれない、と改めて思う。
心は開かれていないし、血のつながりはない。
とはいえ、それでも、「義理の孫」は可愛いと思った。
この子の成長をいつまで見られるだろうか。
できれば、振袖姿が見られるまでは生きていたい。
それからずいぶん時は経ち、宇宙人は28歳になった。
わたしは毎年この季節になると、夏休みに延々食べさせられた冷やし中華を思い出す。
あまりにも冷やし中華が続きすぎて、わたしはあれ以来冷やし中華が苦手になった。
最初にスイカがトッピングされているのを見たとき、心の中で「やめてくれー!」と叫んだのだが、料理を手伝うわけでもないのに文句を言うのははばかられて我慢して食べたのだ。それ以来冷やし中華にスイカトッピングが定番になって、ますます言えなくなってしまった。
もはやトラウマだが、冷やし中華はじぃちゃんとの思い出の味だ。
わたしにとって「おじいちゃん」は「義理のじぃちゃん」だ。「本当のおじいちゃん」はわたしが2歳の時に亡くなったから、まったく記憶にない。
とは言え義理のじぃちゃんのことを思い出そうとしても、これまたまともな会話をした記憶がない。ましてわたしは家の手伝いを一切しなかったわがまま娘だったし、新しい生活に順応するのに精一杯だったから、じぃちゃんやばぁちゃんの配慮や優しさをまるで当然のことのように受け取っていた。じぃちゃんのことを思い浮かべると、真っ先に出てくるのは冷やし中華の味だった。
冒頭の話は、わたしの記憶と想像で作ったじぃちゃんのストーリーだ。
28年の短い人生でそれなりに培ってきたものを総動員して、わたしがじぃちゃんの立場だったらこう思うだろうというものを作り上げてみた。
初めてじぃちゃんと会ったとき、両脚がなくて、本当にびっくりした。
けれどばぁちゃんの介助が完璧だったからか、日常生活で困ることなど何もなさそうだった。遠出や買い物は難しいけれど、犬の散歩くらいならじぃちゃんは自分で義足を履いてひとりで行っていた。ふたりきりでいるとき、わたしもばぁちゃんみたいに介助しないといけないんじゃないかと身構えていたが、じぃちゃんは身の回りのことは自分でほぼ何でもできるすごい人だった。
料理人として自分の道を進み、大変な難病を乗り越えてきたじぃちゃんからすると、気まぐれで、家のことを何も手伝わないくせにずっと家にいて暇そうにしているわたしは本当に得体の知れない宇宙人だと思われていたんじゃないだろうかと思わないではいられない。
じぃちゃんのことを思い出したのは、成人式の時の写真が出てきたからだった。
わたしは今年、交際10年になる恋人と結婚する。10年の歴史を振り返ってみようと写真アルバムを開いたら、成人式の時の家族写真が出てきたのだ。
そのころじぃちゃんは入院していた。脚を切断して以降、通院や合併症の治療のために病院にはずっとかかりきりだった。
わたしの記憶のじぃちゃんはもっとふっくらしているのだが、写真のじぃちゃんはかなり衰弱していた。じぃちゃんのまわりには、ばぁちゃんと、ママと、振袖姿のわたしが写っている。
じぃちゃんに振袖姿を見せられてよかったなぁ、と思う一方で、わたしのもうひとつの「晴れ姿」も見て欲しかったなぁ、と思う。
じぃちゃんは成人式の一年後に亡くなった。
わたしはその頃大学の卒業研究に追われていた。じぃちゃんが亡くなったとママから伝えられたときは、実家にいた時のことを思い出して夜中に泣いた。けれどお葬式の日が研究発表の日と重なり、遠方にいるからということもあってお葬式には行かなかった。
厳密に言うと「親族」にはあたらないから、お葬式に言っても複雑な立場だったかもしれない。だからママもばぁちゃんも帰ってこいと強く言わなかったのだろうけれど、お葬式に行かなかったくせに、晴れ姿を見てほしいとか何言ってんだと自分でツッコむ。
しかもわたしは料理嫌いなばぁちゃんに似て、じぃちゃんから料理を教わることなく家を出た。
結婚間際の今になって、あぁ惜しいことしたなと悔やむ。そしてどこまでも自分勝手な自分に呆れる。
冷やし中華も出来合いのものをただ作るのではなく、じぃちゃんなりの隠し味がひそんでいた。しかし残念なことに誰もレシピを教わらなかったから、もうその味を再現できない。
9月に実家に帰るときに、台所でも覗いてみようかとふと思った。
もしかしたらじぃちゃんがレシピを書き残してくれているかもしれない。たぶんばぁちゃんは、じぃちゃんの聖域だった台所を片付けていないだろう。
時期はちょっとずれるけど、お墓参りにも行こう。
お供えにスイカを持って。結婚すること、あの時言えなかったことを伝えようと思う。
じぃちゃん、宇宙人はとうとうお嫁に行きます。
じぃちゃん、冷やし中華にスイカはマズかったよ。
お葬式に行かなくて、ごめんね。
いつまでも自分勝手で、ごめんね。
わたしのことを優しく見守ってくれて、本当にありがとう。
じぃちゃん、大好きだよ。
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