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プロフェッショナル・ゼミ

選べる幸せと、選べない幸せ 《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:ほしの(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「あぁ、ダメでしたか……。どうしたらいいんだろう……」
わたしがアラブの富豪だったら、目の前のお客さんに札束を差し出し、
「これで家を買いなさい」と言ったかもしれない。
けれど、わたしは薄給の不動産屋のしがないおばさん。目の前の青年、Aさんに返す言葉がなかった。Aさんに希望の部屋を貸してあげたい。けれどそれは叶わないかもしれない。
 
先日Aさんは、希望通りの部屋の内見を無事済ませ、うちの店で申し込みを入れたのだが、大家さん側から「連帯保証人を立てないと部屋を貸せない」と言われてしまった。理由はAさんは学生であり、収入はバイトだけであるためということだった。
今回の大家さんの回答は予想されたことだった。Aさんには、学生さんの賃貸契約には連帯保証人が必要なことが通例であり、一般的にはご両親のどちらかにお願いするものであることを説明した。
「連帯保証人は立てられないんです……」
となれば、契約することはできなくなってしまう。
続けて、Aさんは言いにくそうに打ち明けてくれた。
「実は母親はずいぶん前に亡くしているのですが、父親から暴力を受けていて……」
そういう事情があったのか。
目の前のAさんはとてもしっかりしている学生さんに見えた。勉強とバイトを両立して頑張っているのも内見時の雑談で伝わってきていた。わたしにも同じ年頃の息子がいるので、その頑張りと、今知った彼の生活環境を思うと胸が痛かった。
 
連帯保証人が立てられない場合、保証会社を利用するという手がある。保証会社とは借主の事情で賃料が未払いになった場合、それを肩代わりして大家さんに支払ってくれる会社である。大家さん的には家賃の取りっぱぐれがなくなる。借主的には、連帯保証人の手続きなどめんどうなことを家族や知人に頼む必要がないというメリットがある。もちろん保証会社との契約時、借主はいくらかの費用を支払わなければならないが、それでもこういうご時世なので、利用者は増加傾向にある。
 
当然Aさんにも、保証会社の利用を考えた。けれど、その頼みの綱の保証会社からも学生であることを理由に連帯保証人を立てて欲しいと言われてしまったのだ。連帯保証人が立てられないから、保証会社を利用しようとしているのに、だ。
「ご両親のどちらかでいいですよ。その場合の収入の制限も比較的厳しくないですから」
いとも簡単に、保証会社の担当は言い切った。
それができないから、困っているんじゃないか!
声を荒げてしまいそうになるのをこらえる。
 
その時思い出したのは、「選択肢について」のヨガの先生の言葉だった。
「今の世の中はたくさんの物やサービスで溢れている。それは幸せに見えるけれど、逆に不幸だとも言える」
先生は続けた。
「たとえば、これから食べる夕食。イタリアンもあれば和食もあって、和食の中には高級懐石もあれば、立ち食いそばもある。立ち食いそばに決めたとしても、たくさんの店もある。決めてから、やっぱりあっちにすればよかったと後悔することもある。わたしたちはそんな選択を常に迫られ、それはとても疲れることだ」
 
食べるものに限ったことではない。たとえば、新宿に行こうと思ったら、いろんなルートがある。検索して最短コースや最安コースを選ぶ。暇な1時間があれば、テレビを見るのか、本を読むのか、昼寝をするのか、選ぶ。選択の連続である。
選択のための時間や労力は、まとめたら1日あたりどれくらいの量になるのだろう。
 
選択は1日だけの話ではない。人生の選択もまたしかりだ。特に女子には人生を左右する選択を迫られることが多いように思う。結婚するかしないか、仕事を続けるか辞めるか、子供を産むか産まないか。そしてそれを「いつ」にするか。
「どの選択をしてもいいんだよ。どの選択が正しいわけでもなく、そこに優越はないのだから」世の中はそう言いながら、ある時は子供を産めといい、ある時は働き続けろといい、女子は迷い続ける。自分は何を選べばいいのか、選んだ後には、その選択は間違いではなかったか、と自分に問うてしまうこともある。
一昔前は、女は結婚して子供を産んで、育児に専念するのが当たり前、それが正しく、それが幸せと言われていた。むしろその頃の方がわたしたちは幸せだったのではないか、とさえ思えてくる。
 
部屋探しにきたAさんもまた、部屋を借りて一人暮らしをするという人生の選択肢があると思ったわけだ。その計画のためにバイトをして、初期費用をコツコツ貯めてきたという。実際に賃貸物件として募集されている空室は、都内に山ほどある。
なのに、その選択が目前で潰えようとしている。Aさんにとって二十歳になって親元を離れるとう計画は、つらかった日々の希望だったにちがいない。
 
ふと思う。もし、今でも日本の常識が、どんなに理不尽であっても子供は親の言うことを聞くものだという選択肢のない時代だったら、住む場所など自分で選べない世界だったら、Aさんは今回のような希望は持たず、その希望が打ち砕かれることもなかったのではないか。
 
「なんとか方法を考えてみますから」
Aさんを目の前に、そう言ってしまったものの、正直どうしたらいいのかわからなかった。
契約するための、他の手段はないだろうか。
賃料をまとめて前払いすることで、大家さんに納得頂くという方法も時にはある。けれど、Aさんにそれだけのまとまったお金はない。
Aさんの許可を得て、大家さんに事情を説明することも考えた。けれどこれも良し悪しがある。そういうことならばと大家さんが力をかしてくれることもあるけれど、入居後、トラブルになりそうだと逆に断られてしまうこともあるからだ。
 
保証会社が融通を効かせてくれないから悪いんじゃないかと、半ば恨み節が出たところで、そういえば最近営業に来た他の保証会社があったことを思い出した。保証会社は一つではない。大家さんが納得してくれれば新しい保証会社で契約を結ぶことができるはずだ。
社長に相談してみる。
今まで使ったことのない保証会社である。しかも店に挨拶に来た営業のおにいさんはちゃらっとしていて、その審査もゆるめで、悪い言い方をすればいい加減で、保証のための費用だけ高いという会社だった。
正直なところ、うちの店の中ではいい印象はもっていなかった。けれど、Aさんの希望を叶えるためには、トライしないという選択はない。もちろん、保証会社に好印象は抱いていないものの、会社組織としてはちゃんと動いているわけで、大家さんにも迷惑をかけることはないだろうという社長の判断もあった。
逆に言えば、これ以外の選択肢はもう残されていない。
 
営業のおにいさんが置いていったパンフレットを引っ張り出してきて、電話をかけた。
「実は、今回のお客様は学生さんで収入はアルバイトだけなんですが、連帯保証人が立てられないんです」
おそるおそる、けれど直球で切り出してみる。
「あ、べつにだいじょぶですよーっ」
軽い。軽すぎる。
心身ともに脱力した。とてもとても気持ちのいい脱力だった。
 
「ほんとですか! ありがとうございます!」
保証会社からの回答を伝えると、Aさんはそれはそれは嬉しそうな様子だった。
この世に保証会社が一社ではなかったことを、心からありがたいと思った。
 
選択肢がたくさんある世界は迷いが多い。よけいな夢や希望を追いかけてしまうこともある。そしてそれらは叶わないことも多い。選択できるように見えて、選べないたくさんのモノやコトがある。現実の厳しさを思い知らされる。
けれど、それでもわたしたちは最善を手にしようともがき、ある時は戦いながら選択しようとする。それはとても疲れることかもしれないけれど、女の幸せがひとつで、親子のあるべき姿もひとつだったころは、戦うことは許されなかったはずだ。戦わずして受け入れるしかなかった時代、選択肢がない時代、それは最初から負けをのむしかない世界だったことだろう。
選択に迫られ続ける日々は疲れるし、戦えば傷つくこともあるし、後悔することもある。それでもやっぱり選べるかもしれない、ということは幸せなことだ。
 
ヨガの先生はこうも言っていた。
「現代は迷いが多いけれど、山奥に引っ込んで仙人みたいには暮らすっていうわけにはいかないはず。ならば、この世界でバランスをとって暮らしていこうじゃないか」
 
この世界を、選択肢が少なかった大昔に巻き戻すことはできない。そこに戻す必要もない。迷いは多くても「選べる」ということは、時間をかけてわたしたち人類が獲得した幸せのひとつなのだから。
もし「選べる幸せ」を、素直に幸せだと思えず、逆に苦しいと感じる瞬間があったら、その時は、自分のバランスが崩れてしまっているのかもしれない。
そんな時は深呼吸して、Aさんの笑顔を思い出してみようと思った。
 
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