忘れてはいけない、走れメロスの気持ち 《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:射手座右聴き(プロフェッショナル・ゼミ)
あー。あの約束生きてたのか。
先輩からメッセージが来た時、正直そう思った。すっかり忘れていた約束。そういえば、8月7日なら空いている、と伝えていた。今日は早く家に帰れそうだ、と思ったところにメッセージはきた。
青山に19時半。少し遅れるかもしれないので、先に入って欲しいということだった。目的地は、表参道の交差点から小さな道をくねくねと入ったところ。10分くらいは歩きそうだ。グルメサイトのリンクを見るとそんな感じだった。
今日気が進まない原因は、そもそもこのお店にあった。
実は、7月に、当日キャンセルのようなものを食らったのだ。お客の我々は行く気まんまんだった。しかし、予約時間になったとき、お店から大幅な変更を打診されたのだ。
19時で予約していたのだが、すぐには入れない、と言われた。
我々も大人だ。1時間までは、待った。ビール1杯150円が売りの居酒屋で待っていた。20時を過ぎた頃、あと1時間待ってほしい、と連絡があり、我々は断念することにした。初めての店を、さすがに2時間は待てなかった。残念ながら、縁がないんだろう。と頭を切り替えて、その居酒屋で先輩と楽しく飲んだ。
そもそも、行こうと思ったきっかけは、FB友達が働いていたからだった。
「ごはんやさんで働き始めました」と女将風の写真をアップしたのを見て、
どんなお店だろう、と興味を持った。そこで、彼女と仲の良かった先輩と行ってみることにしたのだった。
お店からお詫びとリスケの提案があった。先方も気を使ってくれたのだろう。
しかしながら、嫌なことはとっとと忘れる主義だったので、もうどうでもよくなっていて、先輩に生返事をしていた。
「8月7日は、たぶん空いてますよ」
答えたことすら忘れて迎えたのが、今日だった。
表参道の駅を出て、スマホを見ながら、一人のろのろと歩き始めた。駅から歩く人よりも向かい側から歩いてくる人の多いのに気づいた。そうだ、今は帰り時間だ。そして、歩いている人をよく見ると、私のホームである新宿とは違った。涼しげなサマーニットの人、濃いめの紺に上品な花柄のワンピース。サンダルは、シャープな形だけれど、フリルが可愛かったり。自分とは頭身の違う人もたくさんいた。男性もメガネのフレームが個性的だったり、眉やヒゲがきれいに整った人が多かった。そう。ファストファッション臭がまったくないのだ。
周りを見渡せば、路地のあちこちに、思わず入りたくなるような店があった。チェーン店に囲まれた街にはないような、個性的な外観、インテリア、だんだんワクワクしてきた。アロマや雑貨を売る店のカフェ、花屋さんの横のスペースにカフェ。突然姿を表したのは、大きな絵が描かれた壁、岡本太郎記念館だ。前を向けばガラス張りのブティック。シンプルな店内には、空間を活かすように、ゆとりを持って服が並んでいた。
そうだ、ここは表参道の裏側だ。ほかの街のような効率だけのレイアウトではなかった。隙あらば、ファストファッション、ファーストフード、高層マンションが建つ、あの息がつまる感じが、ここにはなかった。
スマホを見ずに、街を眺めながら歩いていると、道を間違えた。ま、それもいいだろう。スマホの地図に、この街の醸し出すゆとりは、感じられない。むしろ、ざっくりと場所を把握して、回り道で行こう、くらいの気持ちになっていた。
路面店がなくなり、住宅街に入ろうとするあたりに、お店はあった。決して明るくない、大きな看板もでていない。コンクリート打ちっ放しのビル。各階の小さな表札に店の名前が書いてあった。
エレベーターを降りると、賑やかな声がした。予想に反して、お店は大きかった。長い長い一枚板のカウンターが2つ。そして、団体席風の大きなテーブルに10人ほどが座っていた。FBの写真から、カウンターに8人がけくらいの小料理屋を想像していたが、全然違った。床の打ちっ放しと一枚板、明るめの照明、小料理屋というよりは、ちゃんとこだわって作った海外の日本料理店のようだった。
知人が女将風の和服で迎えてくれた。カウンターに通されて、飲み物のメニューを見る。シャンパン、日本酒、焼酎、ワイン、ウィスキー、定番をしっかり押さえてあるという感じの品揃え。なぜか、値段はなかった。聞くだけ野暮なので、スルー。ビールを頼んだ。当然、瓶ビール。よくCMで見るような感じのカウンターだ。座っているのが、渋い俳優さんではなく、私だということを除けば。やや細く、小さめの薄いグラス。女将風の知人が細い腕でビール瓶を斜めに傾けた。6.5と3.5。よくわからないけれど、小さいグラスビールは黄金比よりも、少し泡多めの方が美味しく見える気がする。
周りを見渡すと、パリッとした白い半袖シャツの男性ばかりだった。1日仕事をしたはずなのに、くたびれていない半袖シャツ。ボタンを見れば、そのへんのシャツではないこともわかった。背筋を伸ばしてゆっくり飲むことにした。普段のように猫背でダラダラ飲むのはかっこ悪そうだ。
カウンターの向こうは、慌ただしく、知人のような女将風の女性が3名ほど、行き来していた。小走りになるかならないかの絶妙なスピードで、お酒や料理を運ぶ。お皿から覗く、煮物、焼き魚、蒸し物らしきお重。これは期待できそうだ。
慌ただしく動く知人女将が、一瞬の隙間をぬって、話しかけに来てくれた。厚めの和紙でできたお品書きを受け取る。開くと、料理の名前だけが書いてある。時価ということか。これも値段はなかった。だが、お品書きに並んでいた文字は、
なかなかだった。先輩が到着し、彼もメニューに驚きの声をあげた。
「料理の写真は撮らないでください」
事前に言われたその意味が少しだけわかった。つけだしは、エビの刺身だった。カニの爪ほどもあろうかというプリプリの刺身。この時ほど、自分を恨んだことはない。そう。私はエビアレルギーだった。食べられない自分を見て、すぐに白身のお刺身がでてきた。なんという気遣いだろうか。
おすすめを食べることにした。
あゆの一本揚げ。ほくほくのあつあつが冷房を浴びたカラダにしみた。
ウニとナスの煮物。ウニとナス。苦味と甘みが複雑に絡み合う。なのに
冷製だからシャキッとしていた。
万人受けしそうなお酒のラインナップに対し、
やや冒険しながらも、味が圧倒的なつまみの数々。
値段はわからないけれど、これは、飲んで食べて、お金を落とさないといけない。そんな風に思い始めた。知人の顔を立てるためにも、どんどん頼んだ。
豚肉のやわらか煮。
アボカドのかき揚げ。
量は圧倒的に少ないのだが、その一口が忘れられない一口になった。
きわめつけは、コンフィの揚げ物、なんということだろうか。そもそもコンフィってオイルづけですよね。オイルづけを油で揚げるんですか。
それって、お好み焼き&ごはんと何が違うんですか。
その問いが愚問であったのは、口に入った瞬間わかった。
カリカリの衣が、ふわっとしたコンフィを包んでいたのだ。
こんな楽しみ方があるとは。
締めの炊き込みご飯まで、実にゆっくりと3時間。話して、飲んで、食べて、
と堪能した。
最初の気まずい思いはどこへやら、である。
まず、ご飯がしっかり美味しい。
お酒も丁寧。
食べ物の減り、グラスの減り、に合わせて
女将風の方が気づかってくれる。
ゴリ押しでもなく、話し込むでもなく、程よい距離感だった。
おそらく、私たちが最初に入れなかったのも、これだと思った。
前のお客さんが帰らなかったのだろう。そう思えば、納得もいった。
前回は、あまり気分がよくなかったけれど、これで帳消しだな、と心から思った。
そんな風に考えながら、
「そろそろ帰ります」
と知人に告げた。
「お見送りしますね」
笑顔で言う知人。
あれ? おかしくないか。
あれ?
まさか、お手洗いに行ってる間に
先輩がお会計を?
いや、先輩はお財布を見ている。
奥から店長が現れた。
「前回ご迷惑をおかけしましたので」
皆まで言わず、深々と頭を下げられてしまった。
そこそこ飲んで、そこそこ食べて、知人の顔が潰れない程度に
きちんとお金を落とそうと思ったのに。
私たちが謝る番になってしまった。
申し訳なかった。一度の行き違いで、もういい、と思ってしまった
自分が少し恥ずかしくなった。
正直、2時間待った前回の経験から、あまり対応のよくないお店なのだろう、
と決めつけていた。
ただ、先輩が一緒に行こうと行ってくれたし、知人が働いている店だから、
このまま顔を出さないのも、よろしくないという気持ちで今日来たのだった。
前回、待たされたこちらの気持ちは、わかってくれてないだろうと思っていた。
ところが、どうだ。
言葉だけでなく、接客とお酒、おつまみと、全体のサービスで気持ちを表してくれたのだ。戻ってこないと思っていたメロスが戻って来た時のセリヌンティウスは、こんな気持ちだったのだろうか。
たった一度、お店のことを疑った。がしかし、お店に
「俺を殴れ」
というわけにはいかない。
できることはひとつだけ。
今度は、彼らが喜んでくれるような食べ方飲み方をしにくることだ。
もちろん、自分たちが楽しみながら。
私は、日々、効率効率と無意識に考えてしまう。飲み会もそうだ。
「この飲み会を優先すべきか、ほかのパーティーとはしごするか」
ありがたいことに一晩に2,3件のお誘いがあって、その中からひとつの飲み会を選ばせてもらい参加している。
気づけば、打算的になってしまっていた、人付き合いの日々。
そんなキツキツの日々に、表参道は、余裕と思いやりの感覚を取り戻させてくれた。
世知辛いことは多いし、義理や仕事の付き合いも多い。
でも、そんな中で、人を疑わず、性善説で信じていくような心を
忘れては、自分が恥ずかしくなる。
ゆったりとしたカフェやショップが並ぶ穏やかな街並みと
そこにひっそりと構えた隠れ家は、そんなことを教えてくれた。
人を信じる、余裕と思いやりを。
炊き込みご飯の味を思い出しながら、帰り道で、こっそりつぶやいた。
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