プロフェッショナル・ゼミ

群馬の老夫婦が見せてくれた性の風景 《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:青木文子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「毎年、必ず中学2年生の女の子から同じ質問があるんですよ」
「どんな質問だと思います?」
 
体育座りで聴いているのはこの中学校の1年生から3年生までの全生徒。後ろに並ぶ椅子に座った保護者。そして壁際の椅子には先生たち。体育館での講演会はそんな言葉ではじまった。ややざわついてはじまったPTA主催の講演会。テーマは「性とは何か」壇上に上がっているのはTさんだ。
 
「「先生、なんで中学生はSEXしちゃいけないの?」って質問なんです」
 
Tさんは言葉を続けた。予想外の言葉に会場は水をうったように静まり返った。生徒たちは壇上をずっと見守っている。壇上に上る前のTさんに「どんなことを話してもいいです。責任は私がとります」と言い切ったのは私なのに自分も胸がドキドキしているのがわかる。
 
「みなさんなら、なんて答えます?」
 
会場は静かなままだ。生徒の何人かが後ろの大人たちを振り返った。司会の横に座っている私からは、振り返る生徒、そして後ろの方に座っている親や先生たちが見えた。大人の何人かは目を伏せていた。
 
この講演会の企画をしたのは私だった。この講演会の企画をするためにPTAの研修委員長に立候補した。他の地域の学校はどうかはわからないが、地元の中学校のPTAの役員は、基本なり手がいなかった。役員ぎめといえばくじ引きが相場だ。各クラスからは最低2名はPTA役員を出す必要がある。立候補した私のことはすぐに学校のお母さんたちの間で噂になった。
 
「1年1組の青木さんって立候補したらしいわよ」
「変わってるわよね」
 
そんな声が私の耳にも届いた。でも構わなかった。私には立候補する理由があった。この性教育の講演会を主催したいという理由。
 
講演会をお願いしたTさんはかつて中学校の保健体育の先生をやっていた方だ。私の子どもたちが年長の時、保育園で性教育の授業をしてくれた方だった。
 
保育園での子どもたちの性教育の授業は私も一緒に受けさせてもらった。模造紙に自分の体の輪郭を写し取る。1人が寝転んで、もうひとりが体の周りをマジックでたどって等身大の輪郭を写し取る。そしてそこに自分の顔を書き、性器を書いてみる。子どもたちは自分の体が大切であること、勝手に人にさわられることに「NO」と言って良いこと。そんなことをひとつづつ教えてもらっていた。
 
「年齢によっての性教育があるの。6歳には6歳の性教育。中学生には中学生の性教育があるのよ」
Tさんが、授業が終わって保育園から帰るときに園庭の立ち話で言った言葉。この言葉が何年も私の中に残っていた。そして、いつか中学校で性教育の授業を手渡したいと思った。そして、上の子が中学校あがると同時に私がやったことが研修委員長への立候補だった。
 
「みなさんなら、なんて答えます?」
 
質問に静まりかえった会場にもう一度Tさんが問いかけた。
少し間を開けてTさんは続けた。
 
「よくその質問をしたね、と私はまず褒めるんです」
 
息を詰めていた会場が、ふっと緩んだ。
Tさんは保健体育の教諭をしながら、中学生の妊娠などの相談に乗ってきた経験のある方だ。はっきりをした言葉をつかって踏み込んだ内容は時に大人がドギマギとする話だった。そしてTさんはご自身の性の話も淡々と話されたのだった。
 
講演会が終わった。子どもたちはこの話をどう受け取っただろうか。学校の先生はこの話をどう受け取っただろうか。帰りがけ何人かのお母さんが声を書けてくれた。自分たちではなかなか話せない話だったわよね、とか、今日はきてよかったわ、そんな概ねプラスの感想の言葉だった。
それはそれで嬉しかったが、それより私が知りたかったのは、生徒たちにTさんの言葉がどう届いたかだった。家に戻るともう夕方だった。私が帰ってすぐに、中学校1年生の上の子が帰ってきた。どんな顔をしているだろう。どんな顔をして顔を合わせよう。ところが子どもの方から声をかけてきた。
 
「お母さんってさぁ~」
「なんだかPTA立候補したり、よくわからないことばかりやってるよね」
 
講演会の最初に研修委員長として挨拶した。同じクラスの子も、あの最初の挨拶をしたのは青木の母さんだ、ということは知っているだろう。なにかクラスの子に言われでもしただろうか。
 
「でもさ、この講演会、企画してくれてありがとう」
 
意外な言葉だった。びっくりして子どもの顔をみた。子どもはすっきりした顔をしていた。
 
え? ありがとうってどういうこと? 思わず聞き返した。
 
「俺たちの年齢でさ、こういう話、聴くのって、大事だと思うんだよね。大人って教えてくれないし」
「それにさ、クラスの友達の別の面が見えたんだよ」
 
友達の別の面が見えた。それはこういう話らしい。講演会のあとクラスに戻ると「エロだったな~」とか、「なにあの話」と生徒たちがちょっと口々にいっていたらしい。ところが反応がそれぞれ違ったそうだ。同じクラスのそういうことをある生徒は「こんな話なんでするんだよな」と非難をし、そしてまた意外な生徒が「でもさ、こういう話ってマジ大切だとおもうんやて」と言っていたという。
 
「こういうのを受け取れるかどうかって、勉強できるとかできないとかに関係ないね」
「意外なやつがさ、すごくちゃんと受け止めていて。俺、何人かのことを見直したんだよ」
 
私が性教育をしたいと思うひとつの風景がある。大学時代、民俗学のフィールドワークの調査をしていた。はじめて大学のゼミで調査に入った群馬県の農村での話だ。
村の公民館をかりて10日間ほど泊まり込みをする。そして学生が手分けして一軒一軒話を聴いて回る。それがフィールドワークだ。
村のお宅に調査に回ることは、もちろん地域の自治会やまとめ役の人たちに許可を得ているし、東京から学生さん達が調査に来るから、という回覧板も回してもらっていた。ただ、いきなりの質問に、追い返されたり、「なんでそんなことに答えなきゃいけないのか」と怒られることもしばしばあった。
 
その村にある老夫婦がいた。私はこの老夫婦の家の担当だった。何件もの家で追い返されたり、怒られたりしていた私を、この老夫婦は気持ちよく迎え入れてくれた。質問にも丁寧に答えてくれ、何度も伺ううちに、親しくなっていった。
子どもが出来なかったというこのご夫婦は、ご主人は70代後半、奥さんは70代前半だったろうか。他のお年寄りに聴くと、この奥さんは当時村一番の器量よしの娘さんだったらしい。地主の息子からの求婚や大きな農家の嫁にと願われたそうだ。しかしこの娘さんが選んだのはこのご主人。貧しい家の出であったが、働き者で、頭の回転が早く、みんなから一目置かれている若者だったそうだ。
確かにご主人のおじいさんをみると、若い頃はきっとハンサムであったろう目鼻立ちのキリッとした顔立ちで、毎日畑にでているという体は引き締まっている。奥さんであるおばあさんはとても静かにされているが、顔を見るとかつて娘時代は華やかで品のある美人であったろうと想像ができる方だった。
 
何度もお宅にお邪魔するうちに「焼きまんじゅうってしらんだろう」と群馬名物の焼きまんじゅうを食べさてくれたり、
「公民館で夕食に弁当はわびしいだろうから、夕食を食べていきなさい」と夕食をごちそうになったりした。
 
夕食を2度目かにごちそうになっている時に、世間話の間にふと私はこんなことを聴いた。
 
「今の生活で、ああ、幸せだなと思うときってどんなときですか?」
 
すると、ご主人が言った。
 
「そうだなぁ、帰ってきて毎晩ばあさんの喜ぶ顔を見るのが嬉しいかな」
 
そしてちょっと意味ありげに笑って、おばあさんの方をみたのだった。
 
うん? どういうことだろうか。意味をとりかねて私はちょっと戸惑った。
 
おばあさんの方をみると、おばあさんはちょっとうつむいてすこし頬を桃色にして、でもとても綺麗な顔で嬉しそうに笑っていた。
 
そして私はなにを指しているのかを了解した。
そうか、このおじいさんはおばあさんとの夜の生活のことを言っているのか。一瞬ドキマギした。でもそれは少しの間だけだった。なぜなら、このおじいさんの言葉が、男気のあるそしておばあさんへの愛情に溢れていたからだ。そして、おばあさんのすこしはにかんだ、でもすこし誇らしげな横顔。娘時代に戻ったような横顔がただただ、「綺麗だな」と思ったからだった。
 
世の中で性教育は寝た子を起こすな、という意見から、小さな時からちゃんと教える必要があるといくつもの意見まで。性というのは時代によってその意味付けも位置づけも変わる。例えばだから性教育に正解はないだろうし、人の数だけ正解がある。
 
ロールモデルという言葉がある。ロールモデルとは、自分にとって、具体的な行動や考え方目指したい人物のことだ。 人は誰でも無意識のうちに「あの人のようになりたい」というロールモデルを選び、その影響を受けたり、それを目指して成長していくといわれる。
 
世の中の性教育で難しいことのひとつに、この「ロールモデル」がないことが挙げられると私は思っている。親も自分の性を語らない、大人で性を語るのはビデオやそれ系の雑誌の中だけ。ロールモデルの裏返しの反面教師にはなるかもしれないけれど。性教育の講演会を企画したのは、教育というよりも、ちゃんと大人が性を語ることを子どもたちにみせたかったからだった。
 
性教育はその人が「よりよく生きる」ことのためにある。
性教育という言葉をきく度に私はこの群馬の老夫婦のことを思い出す。この老夫婦の短いやりとりと表情。その風景は私に生きるということと性ということがつながっていることを教えてくれる。そしてそこにあったやりとりと表情は、生と性がつながっていることがとても素敵なものであることの風景だった。
 
私達大人は子どもたちにこんな風景につながる性教育を手渡せるだろうか。講演会を聴いて、「エロだったな~」といった生徒にも、「なにあの話」といった生徒にも、それぞれのそんな風景にたどり着いて欲しい。あのTさん講演会がそんな風景にむかう手助けになっていてくれたら嬉しいと思う。
 
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