プロフェッショナル・ゼミ

8年半ぶりに夜の街を一人で歩いて、気付いた小さなこと《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
既に午後7時を過ぎている。けれど風はなく、生暖かい空気に包まれている。繁華街らしい地上の灯りに照らされて、空がぼんやりと明るく光っている。雲があるから、余計に蒸し暑く感じるのかもしれない。
こんな時間に一人でいることに、違和感を覚えた。そして、どちらの手も空いているということが落ち着かなかった。普段なら子どもと手をつないでいる。子どもに合わせて、ゆっくりと歩いている。自分のペースで歩けないというのは、思ったより苦しいものということに、子育てをするようになってから気付いた。私はかなり早足で歩くタイプだ。久しぶりにヒールを履いているけれど、それでも足がだるくない。もちろん普段一人で歩いたり走ったりすることが全くない、というわけじゃない。保育所で子どもがグズって遅くなった分、職場まで必死に走る時、夕方ギリギリ延長料金になる前に着きそうで急いでいる時。そういう時はあんなに足が重く感じるのに、今はどうしてこんなに身体が軽いんだろう。不思議だった。
背筋を伸ばして歩く。顔を上げ、身体の軸を感じながら、足を進める。腕や足に余計な力が入らない。歩くって本当はこういうことだったんだ。普段だったら、子どもの話に耳を傾けつつ、帰宅してからの家事の手順を考えつつ、子どもが転んだりしないように気を付けつつ、時間を気にしつつ。周りを見ているようだけれど、何も見ていなかった。ただ子どもと手をつないでいなくて、おんぶもしていないだけのことなのに、夜の街の景色があまりにも新鮮に見えた。涙ぐみそうになるくらいだった。ここは確かに、初めて歩く場所ではあった。けれど、特別変わっているというわけではない。地方都市のとある駅から徒歩5分くらいの場所を歩いているだけだ。どこにでもあるような風景だ。8年半前には、こんな時間帯に、こんな場所を歩くこともあったはずだった。
解放感を感じる。と同時に、そんな自分に疑問も持つ。罪悪感さえ感じる。どうして子どもと離れていることに、こんなにも解放感を覚えてしまうのだろう。子育てを終えた経験者たちは、みんな言う。子どもたちはあっという間に育ってしまう。だから今を大切にした方がいい、と。言っている言葉の意味は分かる。けれど、なかなか実感ができない。早く大きくなって欲しい、早く自分の時間をもっと自由にとれるようにしたい、と切実に願ってしまう。
3番目の子どもがまだ0歳児だったころは、30分間スーパーに買い物に行くだけでも、充足感を覚えられた。職場復帰した頃は、仕事に行くのが幸せでたまらなかった。さらに今では、美容院に行ったり、ネイルサロンに行ったり、3時間くらい家を空ける機会が増えてきた。夫も最初は不安そうだったけれど、月1回くらいは自由時間を与えてもらっている。それでもこんな風に、夜、子どもたちをみてもらって出かけるのは初めてだった。
 
ほんの1時間前は、子どもたちと一緒だった。車で帰宅する間に一人眠ってしまったので、その子を背負い、他の二人を連れて一度マンションの部屋に戻る。車を出したまま、荷物も入れっぱなしだったので、エレベーターで降りると、1階にちょうど帰ってきた夫がいた。
「ありがとう。車、駐車場に入れてくるから」
私はそれだけ声をかけて、駐車場に急いだ。とても疲れているように見えた。今日は夕活の制度を使って、朝早く家を出て、早く帰ってきてくれたのだった。2週間前、職場の暑気払いの日程が決まった時に、多分だめだろうなと思いながら、
「行ってもいい?」
と訊いてみた。意外にも、すんなりOKしてくれた。
「定時で帰ってくるのでは、ちょっと遅いんだけれど」
私は確認した。通勤時間が1時間程度なので、7時を過ぎてしまう。そこから出ていくと、7時半にはなってしまうので、会が半分以上過ぎた頃になるだろう。
「分かってるよ。夕活使うから1時間早く帰る。まあ当日にならないと分からないけれど」
職場の暑気払いのために、夫にそんなことをさせるのは申し訳ないような気もした。でも彼は、私に相談もしないで、職場や同期との飲み会に参加できていた。別に、それを不公平だとも思わない。暑気払いも仕事のうち、出なければいけないと考えていたわけではない。夫婦は対等という正当性とか、職場の飲み会も仕事のうちとかいう社会性の問題ではなかった。今の職場は、メンバーに恵まれていて、今までにないくらい、仕事に行くのが楽しみだった。だから、純粋に、職場を離れた場所でも話してみたい、そういう気持ちだけだった。ネイルサロンに行くのと同じくらい、純粋に自分のためだったから、夫が融通を効かせようとしてくれたことがありがたかった。
私は母親というだけではない。職場の一員でもあり、夫の妻でもある。私の頭の中は、母親という方向と、仕事の方向、夫の妻という方向、主に3つの方向に広がっている。細かく言えば、多分、もっと色んな軸がある。
子どもがいない頃は、自分の中でのバランスが何となく保てていたような気がしていた。仕事と、妻と、趣味の3か所くらいを、自由に行き来していた。
けれども、とある日を境に、私は母親という軸だけが極端に突出することになった。気付いたら、その場所に立たされていた。普通なら、仕事とか趣味のようなものであれば、少しずつ進んでいくものだ。でも子育てはいきなり本番だった。どうすればよいのか分からないので、不安定でふらふらしている。そして職場復帰をしてからは、昼は職場の一員という場所も再び現れた。朝には職場、夕方には母親、時間になれば走るようにして、立ち位置を変えていたのだ。意味もなく身体中に力が入っていた。
母親という軸は、とても不思議だ。妊娠期間で心の準備? 新生児グッズの準備はできても、本当の意味での心の準備なんてできない。子育てマニュアル? そんなものは参考程度にしかならない。ほとんどみんながやっているからできるはず? ひょっとしたら私は「ほとんど」のうちに入らない人間かもしれない。上の子を育てた経験があるから、下の子は大丈夫? そんなこともない。子どもは一人一人違う。もちろんおむつの替え方や沐浴などは経験がものを言うけれど、どうすれば寝付くか、どうすれば泣き止むか、どうすれば食べるか、そんなことは一人一人で違う。子どもが言葉を自由に使えるようになれば、気持ちが分かる? かえって分からないこともたくさん出てきた。
きっとこれからもまた、どんどん子育ての迷路に迷い込んでいくのだろう。
だから、手探りで進むしかない。毎日振り回されている。疲れ切ってイライラしてしまうこともある。少しも自信が持てない。
その上、私にだって本当は色んな軸があるはずなのに、まず母親であることを求められているような気がした。職場では、
「すみません、子どもが……」
と言えば、
「仕方がないね。早く帰ってあげて」
と言ってもらえる。ありがたい。でもそれは裏を返せば、社会が、母親はまず母親であることを求めているということでもあった。父親は、第一義的に父親であることを求められるわけではないのに。
母親であることに一番自信が持てないのに、私は母親であることを求められている。ちゃんとした母親になれなければ、私はダメな人間ということになるのか。
 
今日は本当は、子どもたちに夕食を食べさせ終えたあたりで、帰ってきた夫とバトンタッチするつもりだった。仕事を早退して準備するから大丈夫だと思っていたので、朝は卵を茹でただけだった。でも、思った以上に帰り道が混んでいて、ぎりぎりになってしまった。駐車場に車を入れ終えて、部屋に戻ると、急いで素麵を茹で、きゅうりとトマトとハムを刻み、ゆでたまごを剥いた。茹であがった素麺を冷やす間に、身支度をした。
その間、夫はさっきの疲れた表情は消え、子どもたち一人一人をハグしながら、「ただいまー」と嬉しそうに声をかけていた。心なしか、はしゃいでいるようにも見えた。子どもが起きている時間に帰って来られるのは、月に数回しかない。その愛情深い雰囲気を羨ましく思うとともに、それは非日常だからできることじゃないか、とも思った。私は、ただいま、なんて子どもたちに声をかけることなんて、月に1度あるかないかだ。「ただいま」という言葉は、親という立場を離れている時間があり、親に戻ることができるからこそ、かけられる言葉なのだ。
素麺のつゆを用意して、食卓を準備した。夫に、
「じゃあ、お願いします」
と声をかけ、子どもたちには、
「ママはお仕事の人とごはん食べてくるから、いい子にしていてね」
と言って、家を出た。
素麺を茹でるところから、夫に任せても良かったんだろうか。いや、私は夫を困らせたいわけじゃない。夫も子どもも楽しく過ごせていると安心した上で、私も母親として以外の時間を過ごしたいのだ。
 
そういえば保育所の送り迎えの時は、子どもをハグしている。気持ちを込めていたつもりだけれど、時間が気になって、ルーティンみたいになっている時もあった。でも、仕事の区切りがついた状態で帰る時は、笑顔で手を広げてくる子どもの顔を思い浮かべて、気持ちが昂ることもある。
私の中に、母親としての愛情が無いわけじゃない。
子どもを育てることは、簡単なことじゃないのだ。だからうまくいかなくても、自分を責める必要はないのだ。その時、その時で、真剣に考えて、できることをすればいいのだ。イライラしてしまった時は、後で「ごめんね」と言うしかないのだ。どうしてイライラしてしまったかを子どもに説明して、一緒に解決すればいいのだ。目の前の子どもの他に、自分しかいないからといって、一人で子育てしているわけじゃない。相手との関係を重ねることが子育てなのだ。子どもだって、人間なのだ。子どもと自分の二人で、子育てをしている。
そうだった。あの日、生まれた瞬間は、子どもとの関係の軸は、ゼロの場所にいたんだった。そこから関係を積み重ねてきたのだ。母親は子どもに大切なことを伝えていかなければいけない、と気負う必要はないのだ。
そしてたまには夫に子どもの世話を任せても良いのだ。そうすれば夫も、子どもたちとの関係を積み重ねることができる。そして、同時に、私と夫との関係も、また少し積み重ねることができるんじゃないか。
 
こんな風に自分の今のことをじっくりと思いめぐらす時間も、なかなかなかった。考えることに夢中になっていると、国道との交差点に突き当たったのに気付いた。店の名前を確かめながら歩いてきたはずだった。でもこれはおかしい。隣の駅との中間くらいまで歩いてきてしまったことになる。バッグから同僚がプリントアウトしてくれた地図を出す。ついでにスマホを見ると、同僚から「大丈夫ですか?」とショートメールが届いていた。歩いていたので、メールが届いたことには気付かなかった。遅れることは伝えてあったけれど、ここまでかかるとは思わなかった。道に迷ったせいで、結局、もう7時半だった。
お店の場所を訊くために、同僚に電話をかけた。
8年半ぶりに夜の街を一人で歩いただけだったのに、小さなことに気付くことができた。でもそれは私にとっては、大きなことだった。
 
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