冒険のスケールは、見え方次第《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:射手座右聴き(プロフェッショナル・ゼミ)
ある日、ふと気がつくと、手がビヨヨヨーンと伸びいていた。
まるで、海賊王を目指す人気アニメの主人公のようだった。
電車の窓に映った自分は、顔から70センチほどのところまで、手を伸ばしてスマホをかざしていたのだ。近くでは、文字が見えない。なんというピンチだろう。
失われた視界を求めて。新しい冒険がはじまった。40歳くらいのときは、顔から15センチくらいのところで見ていたはずなのに。気づかないうちに、スマホと顔の距離は毎日少しずつ伸びていたのだ。外から見たら、相当に恥ずかしい感じだったのだろう。なぜみんな、言ってくれなかったのだろうか。まあ、言いづらいか。さっそく、効果があるというブルーベリーのサプリを飲んでみた。毎日一粒ずつ。これで少しは改善されるんじゃないか。そんな気がしたのだが。
しばらくして、その効果が試される時がきた。
「このメッセージ、もう別れたいってことかな?」
飲んでいる時、女友だちが、彼氏とやりとりしているメッセージを見せてきた。どれどれ。覗き込んでみると、あれ? 文字がぼやけて見えない。裸電球ひとつのカウンターバー。暗い中で、スマホの文字が見えないのだ。近づけても見えない。遠ざかったら、かすかに見える。あーあ。サプリ、敗れたり。どうやら、本格的に冒険を始めなければいけないようだ。老眼という敵にあらためて向き合う気持ちを固めた。そんな私に、ある思い出が蘇ってきた。振り返ってみると、「失われた視界」 を求める冒険は、今回が初めてではなかったのだ。
「ガリ勉」 小学校5年生の頃の私のあだ名だ。牛乳瓶のような分厚いメガネをその頃からかけ始めた。健康診断で、突然視力がさがっていることに気づいたのだ。見えない、と意識し始めたら、もう怖かった。友だちや先生の顔がぼやけて見えない。黒板の文字も見えない。母親に、眼科に連れていってもらい、メガネを作った。とても不恰好に思えた。「うちは代々近視の家系だから」
何か抗えない理不尽を感じながら、耳にフレームをかけたのだった。
その分厚さの原因はメガネのレンズにあった。近眼だけでなく、乱視も入っていたのだ。数十年前のレンズ加工技術では、20mmくらいの厚さが限界だったのだろうか。メガネ越しの目は、半分くらいの大きさになり、神経質そうで、弱々しい小学5年生の出来上がりだった。
成績がそこそこだったのも手伝って、「ガリ勉」 というあだ名は定着した。
「なんで、目が悪い家系に生まれたんだろう」
友達に、からかわれるたび、生まれを呪った。苦手だった体育は、さらに成績が下がった。走るにも、鉄棒をするにも、メガネが気になり、動きが鈍くなったのだ。こうして、小学校時代は、メガネをきっかけに楽しいことは少なくなっていった。はっきりものは見えるようになったけれど、見えた景色は楽しいものばかりではなかった。失われた視界を回復する最初の冒険は、海賊王どころか、昭和漫画のガリ勉キャラからスタートした。
「勉強してると思われたくない」
中学高校、ずっとそう思っていた。瓶底メガネは、コンプレックスでしかなかった。ガリ勉キャラを払拭したい。だから、授業中は寝ていて、帰りは繁華街で遊んでから帰っていた。勉強は嫌いだったが、テストの点だけはとろうとした。進学して、メガネをやめ、コンタクトにする。それだけがモチベーションだった。メガネで、ものははっきり見えるのに、行動は歪んでいったのだ。
運良く大学に入学すると、バイトの初収入でコンタクトレンズを購入した。苦節7年、ガリ勉イメージを完全に捨て去る時がきたのだ。瓶底メガネからの解放だ。まるで、レンズとフレームが弾け飛び、重い岩の扉が開いて、洞窟から出られたような気持ちになった。人類よ、これが大学デビューだ。
スポーツにも積極的になれた。夏は海、冬は雪山、春と秋は飲み会と、ガリ勉キャラは、バブルの大学生キャラになった。
視力が戻って、楽しいことは増えたけれども。
それでいいのか、というツッコミが入りそうな生活だった。
まだまだ心の視界は狭かった。
社会人として、周りが見えるようになるまでには、さらに、10年ほどを要した。
コンタクトは、自分の未熟なところも、人の機微もたくさんのことを見せてくれたと言える。
そして、今、新たな目の問題と向き合う時がきたのだ。
「また、メガネ生活に戻るのか」
実は、不安は、外見の問題だけではなかった。
いつのまにか、コンタクトは、スイッチになっていたのだった。
コンタクトの異物感が、頭を起動させるのだ。メガネだと、なんだか頭がぼんやりするのだ。できれば、コンタクトがいいなあ。
「なんとかしなきゃ」
と思いながら、スケジュールが詰まっていて、問題は先送りになっていた。
が、しかし、決断の時がきた。1ヶ月ほど前のことだった。久しぶりに読みたい本を買った。がしかし、文字が見えなかったのだ。ビヨヨヨーン、また手が伸びた。でも、まだ見えないのだ。その本は、読まなければならない本だった。1メートルの彼方から入ってくる文字は刺激的だった。
「受注数世界一の殺しの会社を創りたい」 と書いてある。ライティングの勉強をするために参加した天狼院ライティングゼミ。その苦しい楽しさに魅了されつつある私にとって、この本は、一刻も早く読みたい本だったのだ。読むことで新しい視界が広がる気がした。ライティングゼミで習いつつある様々な技法が使われているはず、いやそれ以上にストーリーが魅力的な気配が濃厚に漂っている。いわば、今後書くためのレンズになりうる本だという予感しかなかった。
こうして、「失われた視界を取り戻す冒険」 はいよいよ新たなフェーズにきた。
やはり、老眼鏡しかないのだろうか、と、ほかの可能性を調ベ始めた。老眼レーシック、ICLという方法を見つけた。
老眼レーシックは、メガネもコンタクトもいらなくなる。裸眼で見えるようになるのだ。が、角膜を削る手術なので、やり直しがきかない。角膜は再生できないからだ。これは怖いなと思った。
ICLという手術は、目の中にレンズを埋め込む手術だという。これはレンズの着脱ができるので、リスクは少ないということだった。が、5-60万円とコストがかかる。いますぐには、現実的とは言えなかった。
さらに、私にとって、目は大切な仕事道具でもあった。CMやWEB広告、グラフィック広告などの仕事をする上で、目で判断する場面は、1日に10回以上だった。写真の構図や色味の確認、映像の見え方、目がよく見えていることは、最低条件だった。つまり、レーシックやICLのような方法はできれば避けたかった。
「一度検査に来ませんか」
前職の先輩から助け舟がきたのは、いよいよ、選択肢は、老眼鏡か。と思った時だった。コンタクト店に転職した先輩が提案してくれた選択肢は、遠近両用コンタクトレンズだった。
すぐに検査をしてもらいに行った。広告会社時代は、明るく楽しく冗談が絶えなかった先輩は、ガラッと変わっていた。背筋が伸び、後輩の私にも深々とお辞儀をし、敬語だった。
「後輩といっても、お客様ですから」
営業統括部長の一言に身が引き締まる思いがした。
「いままでやったことのない検査だと思いますよ」
先輩の一言は本当だった。右と左の見え方をあえて別々にするものだった。
実際にいくつかのコンタクトをかけては外し、かけては外し、して見え方を確認した。
「遠くと近くを同時に見ることはできないんですよ。どちらを優先するか、
実際見ながら、決めてください」
利き目で近くを見えるように、逆の目で遠くを見えるように。なんども調整をした。そうか、両方欲張ることはできないのか。
見え方が決まってくると、大きな一枚のボードを見せられた。
そのボードには、いろいろなものの、原寸模型が貼り付けられていた。
スマホ、パソコン、電車の時刻表、単行本、文庫本など。
原寸の模型に書かれた文字がきちんと読めるのか。
ひとつひとつ検査を重ね、納得のいく見え方ができた。
「僕は2種類のコンタクトを使い分けているんですよ」
先輩はそう言った。
「仕事をする時のコンタクトは老眼用、サーフィンや運転の時は遠くまで見えるもの、と分けています。運転の日に、文字を見る時は、メガネを持ち歩くんです」
なるほど。ひとつのコンタクトだけでは十分でないのか。時々、併用するためのメガネを持たなければいけないのか。
今までと違い、ひとつの方法では問題は解決しないのだ。右目と左目、両方がフォローしあいながら老眼と向き合わなければいけない。
つまり、「失われた視界を求める冒険」 は、左右の目、コンタクト、メガネが、一丸となって、協力しあうことで対処していくものだとわかった。国民的人気アニメで仲間が協力しあうときのようなイメージか。と自分を納得させた。
新しいコンタクトをつけると、近くの文字がよく見えるようになった。一方で、遠くのものは、ふわっとしてしまう。が、本は、無理なく読めるようになった
「受注数世界一の殺しの会社を創りたい」 と書いてある本を読み進めると、細かい数字がでてきた。でも、もう大丈夫。その数字が、目にしっかり飛び込んできた。なんて見やすいんだ。
逆に遠くを主にみたいと思ったら、いままで使ってきたコンタクトをつけるという方法がありました。この場合は、近くを簡易的な老眼鏡で見る、ということでフォローできるのだ。
このように、組み合わせ、特徴をつかんで補い合いながら、対処していくのか。
オンとオフでコンタクトやメガネを使い分ける、という先輩の説明は、ワークライフバランスも象徴しているような気がした。話を聞いているうちに、これからの生活は楽しいものになるだろう、と思えてきた。
こうして始まった2度目の「失われた視界を取り戻す冒険」 は、痛快な冒険活劇ではなかった。たくさんの謎と暗示に豊んだ、人類補完計画アニメのような冒険だと思えた。そうだ、まさに、視力補完計画であり、自分のマインド補完計画でもあるのだ。近眼の時は、一つの解決方法だったのが、老眼は、TPOで対処法を補完し合うということが示唆にとんでいると思った。
また、近眼の時は、勉強嫌いだった私が、老眼という新たな問題に直面したのは、学びなおしをしたいと思った時だったことにも意味があると思った。テストの点をとるための勉強ではなく、自分を豊かにしてくれる学びを得ようとしている時期だったこと。昭和のガリ勉イメージとは違い、今、学びのイメージはもっと前向きなものになっていること。自分も物の見方も変わっていた。
さらに、遠くが見えなかった自分が、今度は近くが見えなくなってきた、というのも、象徴的な気がした。近眼になりたての頃は、精神的に子供であり、自分のことで精一杯だった。しかし、中高年の高の方に入ってきた今、仕事のこと、家族のこと、などで、周りに気を配るのが自然になってきた。少し遠くはみえるけれど、逆に自分のこと、健康のことなどが見えなくなっている、ということかもしれない、とも思った。
若い頃は、視野を広げる必要があり、歳を重ねたら、身近なことをきちんと見る必要がある。
人間のものの見え方は、人生の過ごし方と繋がっているのかもしれない。
あんなに見た目を気にしていた自分が、ものの見え方について考えられるようになった。
あ、ひとつだけ、納得いかないことがある。今は、おしゃれなメガネも増え、
メガネ男子という人気ジャンルができている。
にもかかわらず、私がメガネをかけても、
素敵だと言ってくれる人はまだ現れない。
いつか、メガネでも褒められてみたいものだ。
いや、こんなことを言ってるようでは、
まだまだ、視界を広げる必要がありそうだ。
ひとまず、「殺し屋のマーケティング」 を読むところから
始めよう。
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