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プロフェッショナル・ゼミ

扉の開け方を知っているのは、あなたの身体かもしれない《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:青木文子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 
まさか、そんなに早いと思っていなかった。
 
二人目の出産はあっという間に進んだ。自宅の六畳間の寝室。家には自分以外誰もいない。お腹の中の赤ちゃんと二人きり。陣痛は波だといった人がいる。波と波の流れの中で赤ちゃんは生まれてくると。みるみるうちに、陣痛の波と波の間隔は短くなってくる。
 
一人目の出産は、自然出産だった。東京の小さな産院。四畳半ほどのなにもないフローリングの部屋だった。天窓からは空が見える。あるものは布団とクッションだけ。上の子は5月の静かな夜に産院の先生と、助産師さんと、配偶者の立ち合いで産まれてきた。
 
そんな出産から4年後。岐阜に引っ越してきてからの二人目を妊娠した。どんなお産にしようかと考えた。出産には様々な価値観がある。多くの人は病院で出産するのだろう。産院にもいろいろある。最近は高級フランス料理がでる産院が人気だったりする。
 
次は自宅出産をしたいと思っていた。それを話すと、親族や近しい人何人もから自宅出産を反対する声が上がった。
 
「ちょっとそんな自宅で出産なんて、危ないんじゃないの?」
「もしなんかあったらどうするのよ」
「どうして病院じゃだめ?」
 
自宅出産はごく少数派だ。自宅出産をしたい、と思った私は、まず自宅出産に関して手に入る本を読み始めた。
 
出産や育児には人の数だけ価値観がある。大事なのは価値観の押しつけをしないこと、そして、自分で納得して選択することだ。この文章も決して自宅出産をおすすめしているものではない。自宅出産は大丈夫と言っているわけでもない。世の中にはいくつもの出産の方法がある。自宅出産にも病院での出産にもそれぞれのリスクがある。それをわかった上でそれぞれの選択がある。その中の選択のひとつの風景を書いたものだということをまずは先にお伝えしておきたい。
 
本を読み、体験者の話を聞いてあらためて思った。自宅出産をしてみたい。そのリスクも含めて引き受けよう。だから自分にできる限り、すべてのことをしよう。体調管理、体重が増えないように毎日3時間の散歩。そしてもしもの時の医療の緊急搬送のルートづくりのお願いをしておくこと。
 
まずは自宅出産してくれる助産師さんを探すことにした。幸い、一人目の出産でお世話になった産院からのつながりで、自宅出産を専門にしている助産師さんが見つかった。
 
次は医療機関だ。私が怖れていたのは、万が一出産でトラブルがあって病院に搬送されたときに、母子分離搬送になることだった。母子分離搬送というのはお母さんと赤ちゃんが別々の病院に搬送されることだ。こちらの病院では母親のベッドが空いている、でも新生児のベッドは空いていない。そうなると病院が別々になってしまう。母子分離搬送で別々の病院に搬送されると数か月もの間会えなくなってしまうときいていた。
 
お産の1か月前。近くの公立の大きな病院に行った。目的はふたつあった。まずはカルテをつくること、そして婦人科の部長先生と婦長さんにお願いをすること。診察が済む頃に、看護師さんにお願いをした。
 
「お願いがあります。婦人科の部長先生と婦長さんに会わせて頂くことはできないでしょうか?」
 
一体何を言っているのだ、と一蹴されても仕方のないお願いだったが、婦人科の部長先生と、婦長さんに会わせて頂くことができた。
 
「私は自宅出産をします。もし、何かあった時は赤ちゃんと一緒に引き受けていただけませんか?」
 
「私は自宅出産に関して私はこれだけの準備と勉強をしてきました。どうかお願いできないでしょうか」
 
今思うと、よく病院からつまみ出されなかったと思う。医療関係者からみたら、リスクの高い、そして勝手なお願いをしている妊婦と思われてもしょうがなかった。
 
目の前には婦人科のT部長と、婦長さんが座っていた。
じっと聞いていたT部長は、ゆっくりと口を開いてこういった。
 
「青木さん。あなたが自宅出産について真剣に取り組んでいることはよくわかりました」
 
T部長は言葉を続けた。
 
「安心しなさい。もし青木さんと産まれてくる赤ちゃんに何かあったら、全力でベッドを空けますから」
 
そんな言葉がまっすぐに返ってくるとは思っていなかった。あっけにとられてT部長の顔を見た。今度は横にいたO婦長がこう言った。
 
「私たちも本当は昔のお産のようなお産をさせてあげたいんです。青木さんがそれを目指していることはよくわかりましたよ。頑張っていい子を産んでください」
 
本当にベッドが空けられるかどうかはもちろんわからない。それは素人の私でもよくわかった。それでも、T部長とO婦長が、できる限りのことをして応援するという気持ちが、その言葉から伝わってきた。ありがたかった。
 
1か月後。予定日の2日後の木曜日。朝起き抜けからじわじわと陣痛がきはじめていた。配偶者を仕事に送り出し、上の子を保育園に送り出した。しばらくすると保育園のお母さん仲間が訪ねてきた。お守りにとピンククォーツの石を届けてくれた。ピンククォーツは母性の象徴の石だという。
 
陣痛の波というのは不思議だ。陣痛が来ている間と次に来る間はまったく平気なのだ。お産が進んでくると、その陣痛と陣痛の間隔がどんどん狭くなってくる。
 
友人からもらったピンククォーツを握りしめて、体を陣痛の波にまかせているた。陣痛の間隔が5分より短くなってきた。助産師さんに電話で連絡をした。そして配偶者には職場から来るまで上の子を迎えにいって自宅に向かうように頼んで。
 
私は四つん這いから、身体を動かしながら自分の一番心地よい身体の向きを探した。
 
そのとき不思議なことに気がついた。誰もいないはずの六畳間に何人もの人がいるのだ。しかもその人たちの姿は見えない。見えない人が居る、というのは変だが、そうとしか言えない。世の中には霊がみえる人、見えない存在が見える人がいるらしいが、私はそういうタイプではない。でもその時は、六畳間に人が何人もの人がいることが分かった。見えないから気配で感じる、とでも言えばいいだろうか。
部屋の真ん中にいる私を囲むように何人もの人がいる。見えなくてもぼんやりとどこにどんな人が居るかということが分かった。あの本棚の前には若い女性がいる、とか、あちらの部屋の隅には白髪のおじいさんがいるとか。
その時、私が感じた感情は恐怖、ではなく暖かさだった。何人もの人が私を囲んで見守っている。その人たちから注がれる眼差しの暖かさ。言葉は聞こえない。それでも、伝わってくるのは「祝福」とか「応援」とかそんな感じの感覚だ。
 
人には共通の体験がある。一人の例外もなく、100%共通の体験。それは生まれてきたこと。生まれてきて、そして死ぬこと、これは誰もが共通の体験だ。
 
生まれてから死ぬまでがこの世だとしたら、生まれる前と死んだ後とはあの世だろうか。生まれるためにはあの世からこの世に通じる扉をあけてこの世にくる。そして死ぬにはあの世に通じる扉をあけてあの世に行く。
 
今、一人の人間がこの世に産まれてくるために、扉が開き始めていると思った。あの世とこの世の扉が開くときはこんなことが起こっても不思議でないと思った。私を取り囲んで温かい眼差しを送ってくれているこの人たちは、あちらの世界から来た人だろうか。陣痛間隔が短くなっていく頭の片隅でぼんやりと思った。
   
陣痛の波が間隔なしに次々にやってくるようになった。六畳間からとなりの寝室に四つん這いのまま移ったた。その部屋は産室にするつもりで、部屋を暗くして布団をしいてあった。
 
四つん這いのまま陣痛の波に耐えていると、急に大きな波がやってきた。
まさか、そんなに早いとは思っていなかった。
 
「えぇ!間に合わない?」
助産師さんも、配偶者も一緒に保育園から帰ってくるはずの上の子もまだ誰も帰ってきていなかった。
 
少し慌てた。呼吸を整えていきみを逃そうとした。でも大きな波は繰り返しやってくる。大きな波の合間に股の間に何かが挟まった感覚があった。手をやると髪の毛が手に触れた。あ、赤ちゃんが出てこようとしている。一瞬迷った。そして、決めた。思わず声に出していった。
 
「いいよ、出ておいで!」
 
その言葉に呼応するように、赤ちゃんはするりと回転しながら出てきた。私は最初右手でそして次に左手で、赤ちゃんが出てくる流れのままに受け止めた。
 
不思議だった。
その時、私は部屋の天井あたりから自分自身を見ていた。人は交通事故などに合うと、自分の身体を離れて空からその場面をみることがあるという。私は天井から自分を俯瞰して見ていた。天井からみている私に見えたのは、まるで舞踊のような優雅な無駄のない動きで赤ちゃんが出てくるのを受け止め、胸に抱きとめる自分だった。
 
寄りかかれるように壁に置いてあったクッションにもたれかかるとそのまま赤ちゃんを胸に乗せた。へその緒はついたままだ。
 
「赤ちゃんが自力でおっぱいを探す」という。生まれたばかりの赤ちゃんは、仰向けになったお母さんのおなかの上に乗せる。すると自分でおっぱいを探して、おっぱいまで上ってくるという。
おなかの上に乗せた赤ちゃんはしばらくもぞもぞとしていた。誰もいない部屋の中はしんとしていた。そのうちに赤ちゃんが動き出した。生まれたばかりなのに、足の親指で私のおなかを蹴っておっぱいを探しに上がってくる。本当だ。赤ちゃんって産まれたてでもおっぱいを探しに上ってくるんだ。
 
いくつもの知識は確かに出産する私を助けてくれた。けれども、あの出産のときの優雅な体の動きは、誰から教えられたものでなかった。あの動きは私の中に内在していた。身体がもっていた動きだった。そう、産まれたてでおっぱいを探しにくる動きが、最初から赤ちゃんの身体の中にあったように
 
出産があの世からこの世へ扉をあけて赤ちゃんを招き入れることだとしたら。身体はもうその招き入れ方をしっている。あの世とこの世の扉の開け方を知っている。
 
自宅出産以来、私の生き方はすこし変わった。頭であれこれ考えすぎずに、流れにゆだねることが多くなった。身体は沢山の事を知っている。そのことを身体で実感したからだった。
 
私たちはもっと身体を信頼していい。
人生にはいくつもの扉がある。その扉の前で人は立ちすくんだり、戸惑ったりする。でも時にその扉を開け方を知っているのは、あなたの知識ではなく、あなたの身体なのかもしれない。目の前に扉があるときは、その扉の開け方を身体に尋ねてみるといい。時に身体は思いもかけない優雅さで、その扉を開けてくれるのかもしれないのだから。
 
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