プロフェッショナル・ゼミ

この思い出が色あせないうちに 《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:小倉 秀子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
素敵だったな、あの笑顔。
瞳はキラキラと輝き、口元は自然と弓なりになって口角が上がっている。お顔の輪郭はスッキリとしていて、美肌で艶っぽい。
そして何より、本当に素敵に笑う。
知らなかった。こんなに美しい人だったんだ。
 
あの笑顔を忘れないうちに、この思い出が色あせないうちに書き留めておこう。いつでもこの日に戻れるように、文章にして残しておこう。
 
彼女は上の息子の同級生のお母さん。息子が小学校に上がったと同時に我が家のごく近所に引っ越されて来た。しかもお嬢さんのリカちゃんと息子が同じクラスになったことから、クラスで一番家の近い子同士という事で交流が始まった。
 
家から遠い保育園を卒業して、小学校でも近所でも新しいお友達が欲しかった息子は、近所に越してきた子が同じクラスの子だと知ってたいそう喜んだ。
息子が小学校に上がりたての頃、私はちょうど二人目の子を妊娠中だった。小学校入学から3ヶ月ほどで産休・育休期間に突入したので、息子が下校する時間には家にいて、「おかえり」と迎える事ができた。
保育園で20時お迎えもザラでなかった息子は、これがたまらなく嬉しかったらしい。そして、放課後に友達の家を行き来して遊ぶ事にも強い憧れがあったようだ。息子も早くそんな事ができる友達が欲しかったところに、リカちゃんが現れたという訳だ。
 
ありがたい事にリカちゃんのおうちはとてもオープンなご家庭で、
「習い事とかしていないからいつでも遊べるよ」
「何時まででも、ここで遊んでいたいと思ってくれるなら、いつまででも遊んでいいよ」
「ゲームしていい時間とか決めていないから、いくらでもやっていいよ」
と、息子にとっては夢のようなことを言ってくれるので、息子も喜び勇んでホイホイと遊びに行っていた。
 
でも、リカちゃんのお母さんからは、最初からあることを打ち明けられていた。
「リカは音にとても敏感で、授業で先生の話し声以外の音も敏感に拾ってしまいます。通常学級の授業では、色々な音が入ってきてしまって、それを選別して聞き取って判断して行動するだけで、ヘトヘトに疲れてしまうんです。入学時に専門家にも相談して、支援学級をメインに通うことにしました。時には通常学級に行くこともあるので、その時はよろしくお願いしますね」
 
そうだったのか。そういうご事情もあるんだな。リカちゃん本人はもちろんのこと、お母さんも子育てする上で多くの心配りを重ねてこられたんだろうな。
そんなお母さんが心を砕いて、登校も下校もいつもリカちゃんと一緒で、リカちゃんを温かく優しく見守ってこられたからだろう。リカちゃんを息子のクラスでもよく見かけた。息子が学校で起こったことを家で話してくれる時にリカちゃんの話題も出てくるし、変わらず息子はリカちゃん家で大変お世話になっていた。お母さん友達の多くなかった私も、リカちゃんのお母さんとは打ち解けてお話しする事ができた。
 
息子たちの学年は進み、2年生では別々のクラスだったけれど、3年生でまたリカちゃんと同じクラスになった。
リカちゃんのお母さんは、立候補してクラス委員にもなってくださった。クラスの懇親会を企画してくださってその時参加したけれども、お母さんの開催の挨拶が本当に秀逸で驚いた事、今でも鮮明に覚えている。話に淀みがなくて、全方位に向かって、お母さんたちが知りたいクラスでの子供たちの様子を、面白くそしてしっかり端的に話してくれる。
この人のお話をもっと聞きたい、とその時思ったものだ。
 
お母さんはクラス委員を立派にこなされているし、リカちゃんの学校生活も順調なのかな、と思っていたが、ある時から学校でリカちゃんを見かけなくなった。正確にいうと、突然見かけなくなったわけではなくて、入学当初から、順調なときとそうでない時があったのかもしれない。3年生になってクラスが一緒になったら、また家の行き来が盛んになったと思ったけれど、それもだんだんと頻度が減っていった。しかも我が息子を当時のゆとり教育の不安から、早めに塾に通わせ始めてしまったので、リカちゃんと遊ぶこともなくなってしまった。
 
家の近所でもリカちゃん親子を見かけること自体がなくなり、そうこうしているうちに気づいたらもう6年生だ。私も息子の受験で周りが見えないほど余裕のない状態になってしまい、リカちゃん親子を気にかけたとしても、「どうしているかな。お茶にでも誘ってみようかな」という時間を割く事さえも後回しにし続けてしまった。
 
6年生最後の日。卒業式に、リカちゃんの姿はなかった。
卒業アルバムにも、リカちゃんの顔写真はなかったし、卒業文集にもリカちゃんの作文はなかった。
どうしたのだろう。気にかけたとしても、今の私にはお母さんに連絡する勇気もないし、その資格もないと思った。息子の受験で3年以上も見て見ぬ振りをしてきてしまったのだ。どんな顔をして「どうしてる?」と聞けばいいのか。
 
あれからさらに8年が経ち、上の息子は今や大学生だ。その間に数回、リカちゃんやお母さんにばったりお会いした。どうやらお引越しなどはされていないらしい。ご近所なのに、それくらいご無沙汰していた。親子共々あんなにお世話になったのに、私が息子の中学受験を最優先させた3年以上もの間に、すっかりその関係を様変わりさせてしまっていた。もう今となっては、挨拶を交わすくらいしか出来なかった。思い悩んできたであろうリカちゃん親子から目を背け続けてしまったから、とても後ろめたい気持ちがあった。
今更「リカちゃん元気?」なんて言葉を交わすのは軽々しいし、興味本位でリカちゃんの近況を知りたいだけだとも思われたくなかった。
 
でも、最近になって私は意を決した。今度偶然お会いしたら、挨拶よりも一歩踏み込んで話しかけてみよう。興味本位ではない理由がちゃんとあったからだ。
そしてその時は割とすぐにやって来た。
 
「こんにちは。 今日も良く晴れて暑いですね」
万人共通、最初は天気の話題から。
「実はうちの次男、最近学校に行けてないんです」
「え、リクくんが?」
リカちゃんのお母さんと、おそらく5、6年ぶりくらいの会話だった。それなのに、交流があった頃はまだ妊娠中だったり、生まれたばかりだったうちの下の子の名前を、はっきりと覚えていた。
 
「そうなんです。週に数日は行くんですけど……」
そこからは、ご近所のお母さん同士の長い立ち話だ。私はこの手の立ち話はあまりする方ではなかったし、友達に相談を持ちかけることもあまりない。けれどこの時は、下の子の名前を覚えていてくれた感動と、彼女の優しい笑顔のせいで、次から次へと今次男のことで困っている事が言葉になって溢れて出てきた。
 
リカちゃんのお母さんは懐の深い笑顔で私の話を聞いてくれて、リカちゃんのことも話してくれた。立ち話では足りずに、お互いの電話帳から消えてしまっていた連絡先を再度交換し、翌日に待ち合わせをして近所の喫茶店で再度お会いした。
 
「あのね、こんなこと言うと本当に気分悪くするかもしれないけど、ごめんね」
席につくなり、彼女が切り出した。なに? 何のことだろう?
「3年生で同じクラスだったの頃のソラくん、リカと同じ匂いがプンプンしてたよ」
昨日は次男のことで相談していたのだけれど、切り出された話は長男のことだった。発達に一定の傾向がありそうだと言いたいのだとすぐにわかった。ちゃんと調べた訳ではないけれど、そうなのかも知れない。今ならわかる。でもその時はわかっていなかった。リカちゃんに付き添って、毎日登校し、授業を見守っていたお母さんは、うちの上の息子のこともよく見てくれていた。
「でね、ソラくんたらそれはもう面白くて! 授業が始まっているのにまだ水筒が机に出ている子を見つけて、『おまえ〜、水筒はしまわないといけないんだぞ!』って注意するんだけど、自分の机の上にも思い切り水筒が置いてあってみんなから総ツッコミされていたりとか」
「先生の説明の途中で、ソラくんが答えがわかっちゃって、『〇〇〜!』って答えちゃうものだから授業にならなくて、よく注意を受けていて授業が中断していたよ」
そうだった、覚えている。この時、担任の先生から「ソラくんが授業中に、思いついた答えをすぐ口にしてしまうから授業にならない」と本当に困った様子で相談された。
「でもね、ソラくんは本当に心の優しい子よね。3年生の時は登校しても保健室にいたり、なかなかクラスに参加できなかったリカのことを、ちゃんと友達に『オレと一緒のクラスのリカちゃんだよ!』と紹介してくれていたのよ」
この辺りで目に涙がにじんできた。
「お母さんにも優しくしてもらったよね。『この人はわかってくれている人だ』って、会った時の目をみればすぐにわかったわよ」
もう涙腺崩壊だ。私は何も出来なかった。話を聞くことすらせずに自分の都合を優先させていたと罪悪感を抱いてきたのに、そんな風に見ていてくれていたなんて。
 
最初は次男のことを相談したくて昨日のつづきで今日お会いしたけれど、話はリカちゃんのことやうちの長男の昔話にまで及び、話に花が咲いてしまった。
最後に、お母さんはしっかりと私にこんな言葉を贈ってくれた。
 
「今は亡き私の母がね、私がリカを育てるのに自信が持てなくて自分をダメだダメだと責めていた時、こう言ってくれたの。『私があなたをちゃんと育てたから、そんなあなたが育てる子だから絶対に大丈夫だ』って。私は小倉さんが、お母様からしっかりと育てらてた人だと分かるから、ソラくんもリクくんも絶対に大丈夫よ」
 
こんなに深く突き刺さる言葉をくれる人はなかなかいない。
長男が小学校3年生の時の懇親会で感じたあの感情が、蘇ってきた。
この人の話を、これから先ももっと聞いていきたい。
 
 
そしてこの時、彼女はとても美しい表情をしていた。
瞳はキラキラと輝き、口元は自然と弓なりになって口角が上がっている。お顔の輪郭はスッキリとしていて、美肌で艶っぽい。
そして何より、本当に素敵に笑う。
きっとお母様が、素敵に笑う女性だったのだろう。
 
この笑顔を忘れないうちに、この思い出が色あせないうちに書き留めておこう。いつでもこの日に戻れるように、文章にして残しておこう。
 
「ソラもリクも大丈夫だったね」と、いつの日か心穏やかに振り返れるように。
 
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