嘘に溺れたぼくが手に入れたもの《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:たけしま まりは(プロフェッショナル・ゼミ)
※この記事はフィクションです
嘘をついてはいけません。
嘘をつくと、人をだますことになります。
人をだましたことで、その人はあなたを信用しなくなります。
だから嘘をついてはいけません。
たまき先生の言うことはもっともだ、とぼくは思った。
じゃあ、もう嘘をついてしまってどうにも引き返せない場合はどうすればいいでしょうか。
その場ですぐに手を挙げて言えれば良かったんだけれど、とてもじゃないけど言い出せなくて、この質問はむりやり飲み込んだのだった。
中学一年生のとき、ぼくはある絵で中学生絵画コンクールの賞をもらった。
山の絵を描いた。タイトルは「夕日に染まる大雪山連峰」。
北の大地にそびえ立つ大雪山連峰は、でかい。でかすぎて、ぼくにとっては空の一部、風景の一部としか思えない。目をそらしたってどうしても視野に入ってくるくらい、存在感と威圧感のある山だった。富士山みたいにきれいな山の形をしていればよかったのだが、連なっているから形はどこかぼんやりしていて、描きにくい。
夏休みの宿題で仕方なくこの絵を描いたのだが、ただの白い山を描いているのがとてもつまらなくなって、途中から自分の好きな色を足すことにした。オレンジ。オレンジ色は、明るいから好きだ。けれどあんまりオレンジすぎると不自然なので、赤とか茶色とかを足して、「夕日に染まる」感じを出してみた。うちから見ると大雪山連峰は東側にあたるため、どうやったって夕日には染まらない。この時点で「写生」というルールからはずれているが、まぁ、いいや。もうさっさと終わらせたいという気持ちが勝り、そのまま出した。
こんなやる気のないずるい気持ちで出したのに、まさかコンクールで佳作になるなんて。世の中なにが起きるかわからない。
ぼくの描いた絵の「夕日」はとても誉められた。誉められたらそりゃ少しは嬉しいけれど、複雑な気持ちだ。だって嘘だから。夕日なんてなかったから。
そんな複雑な思いでいるときにちょうど「嘘」というテーマの授業があって「嘘はいけません」とたまき先生はきっぱりおっしゃった。言葉が胸に刺さった。そうだよなぁ。
けれどぼくはずるいから、嘘をついてしまったことを隠そうと心に決めた。大賞だったら「すいません!」と言っていたかもしれないが、まぁ佳作だし、いいかと思った。
このことをきっかけに、ぼくはコツをつかんだように嘘をつき続けた。
とは言えなんでもかんでも嘘をついたわけじゃなく、他人に迷惑をかけない程度のちょっとした嘘をついた。
たとえばぼくはクラスに話し相手がひとりもいないのだが、親から「学校は楽しい?」と聞かれたら「うん」と答えたり、クラスメイトがぼくの好きな漫画を「何が面白いのかわからない」とこき下ろしていたら後ろで無言でうなずいたりしていた。
そうしているうちにぼくは嘘をつくことに慣れ、自分のなかにある「本当」をどんどん飲み込んでいった。
飲みこむことはそんなに難しいことじゃなかったけれど、そのかわりに自分の心に押し込んだ「本当」がぎゅうぎゅう詰めになって、窮屈で気持ち悪い感じがした。
すると、ある日とつぜん、不思議なことが起きた。
学校が狭くなったのだ。
最初はびっくりして何度も目をこすったりまばたきをしたりした。
学校モノのホラー映画じゃあるまいし、実際に学校が縮むわけがない。ぼくの目がそうとらえるようになったのだ。学校が狭くなったように見え、常にエレベーターのなかにいるような妙な圧迫感を覚えた。
学校が狭くなっていくのと同時に、自分の動作が次第ににぶくなっていくのを感じた。べつに疲れているわけでなく、風邪をひいているわけでもない。風邪のまえぶれの重だるい感じもなく、動きだけが妙ににぶいのだった。
ある日ぼくは家で魚にエサをやっているときに、圧迫感とにぶさの正体に気が付いた。
水槽だ。
今のぼくは、まるで水槽の中にいるみたいだ。水族館でたまに見る、魚にエサをやるために水槽に潜っている飼育員みたいな。
正体がわかったときは「おお!!」と鳥肌が立ったけれど、ぼくは飼育員じゃないし、飼育員になりたいとも思わない。
じゃあなんだろう、これは。
その場でしばらく考えたけれど、よくわからなかった。わからないものは仕方ないので、そのまま圧迫感と動きのにぶさを感じながら学校に通い続けた。
ぼくにとって学校が「水槽」になってひと月あまりたったとき、今度は視界が悪くなりはじめた。
この景色には見覚えがあった。
ぼくが5歳の頃、家族で海水浴に行ったときに見た海の中の景色だ。
北の海は沖縄やハワイみたいにきれいじゃない。つめたくて、濁っていて、荒れている。
沖へ行こうとするとワカメが足にからまった。水中メガネをつけて潜ってみるが、濁っていてよく見えない。ぷはぁっと海面に上がった瞬間にタイミングよく波がきてがっつり海水を飲み込んでしまい、それ以来海が苦手になった、ほぼトラウマの景色だった。
ぼくの視界はそのときの景色と似ていた。まるで何も見えないわけじゃないが、全体的にぼやけて見える。
授業で先生に当てられたり消しゴムを落として拾おうとしたりするとそれは一旦おさまる。けれどそれも一瞬のことで、それが済めばまたぼんやりし始める。
圧迫感は消えず、身体の動きはにぶく、視界がぼやける。なぜか体育の授業や日常生活に支障はない。
だから病気じゃないと思う。けれど、ずっと、息苦しい。
どうしたんだろう、ぼくは。
状況をうまく説明できそうになくて、誰にも相談できなかった。それに、ぼくは誰かに「大丈夫?」と心配されると自動的に「大丈夫だよ」と反応してしまうため、解決の糸口すら見つけられなかった。
この生活はいつまで続くんだろう……とうんざりしていたころにやってきたのがゆきみさんだった。
ゆきみさんは教育実習の先生だ。たまき先生の横について、授業のやり方を教わっている。黒くて長い髪をひとまとめにし、黒目がちの大きな瞳を目一杯ひらいてゆきみさんはたまき先生の動作を観察していた。
ぼくはゆきみさんの態度が「見て学ぶ」というよりは「観察している」という風に見て取れた。なぜなら授業中はたまき先生の方をほとんど見ずどこかぼんやりしていて、たまに観察しては「先生って大変そう~」と言っているような表情をしていたからだ。
やる気ないなぁ、この人。というのがゆきみさんの第一印象だった。
やる気のなさが生徒にまでわかるようじゃ、やばいんじゃないの? 一応、先生になりたいんだよね?
ぼくはゆきみさんのやる気のなさにツッコミながら、たぶんぼくの方が「うまくやれる」と思った。そんなところで競ったってなんにもならないけれど、それぐらいゆきみさんはやる気がなかったのだ。
北国では珍しく30度を超えたある日、いつも通り「水槽」での一日を終えて精神的にぐったりしながら帰っていると、自転車を置いて道端でうなだれているひとりの女性を見かけた。
ゆきみさんだった。
ゆきみさんはぼくを見かけると「あ! 見たことある!」と叫び「きみ、◯中の子だよね!?」と話しかけてきた。
ぼくは引き気味に「……そうですけど」と答えると「ここで会ったのも何かの縁、ちょっと私を助けてくれない?」と言う。
ゆきみさんは自転車でここまできたのだが、途中でチェーンが切れてしまい立ち往生していたと言う。ゆきみさんの自宅はここから自転車で30分以上かかるため、歩くと途方もなく時間がかかる。しかも北国ではめずらしい暑さだ。コンビニもスーパーも、もちろん自転車屋も近くにはない。うちまでは歩いて5分。
よく見るとゆきみさんは汗だくだった。このまま放っておくわけにもいかず、ぼくは仕方なく「……うちの自転車貸しますよ」と言った。
ぼくはゆきみさんの自転車をひっぱるのを手伝いながら、えらいものを連れて帰ってきてしまった、と思った。
ぼくの地元には高校がない。進学するには隣町の高校か、車で一時間以上かかる地方都市の高校に行くしかない。だからこの町には10代後半から20代前半がごっそりいない。高校や大学を経てこの町に戻ってくる人はいるけれど、いたってほんのひと握りだ。
要するに、ぼくにとってこれがはじめての“大人の女性”との交流だったのだ。
家までの沈黙が怖くて、なんでこんなところまで来たのかを尋ねてみる。
「私、小さい頃この辺りに住んでたんだよね。8年前に引っ越して家はもうないんだけど、久しぶりにこっちに帰ってきたから今はどうなってるのかな〜と思って」
ふうん。ぼくはちょうど8年前に親の離婚でこの町に引っ越してきたから、ちょうど入れ違いだ。
声に出さず、「そうなんですか」とだけ言う。
家に着き、祖母に事情を説明し自転車を貸してやる。祖母が汗だくのゆきみさんを見て「ちょっと休んでから行きなさい!」としきりに家に入るよう誘ったため、ぼくとゆきみさんはリビングで向かい合って麦茶を飲むはめになった。
「……。」
こういうとき、なんて言えばいいかわからない。
ゆきみさんは目を輝かせてぼくの家を舐め回すように観察する。たまき先生を見ているときと同じような表情をしていてぼくはなぜだかムッとした。人ん家がそんなに面白いか。たしかにうちは雑多なものであふれていた。祖父の趣味の観葉植物と熱帯魚がリビングを覆い、開け放たれた間仕切りの先は仏間で、仏壇の横にはぼくの学習机があった。
「ご先祖様に見守られながら勉強してるんだね」とゆきみさんはぼくの予想した通りの感想を述べた。
仕方ないじゃないか。親が離婚して祖父母の家に転がり込んだんだから。母がぼくのために買った学習机は死んでも持っていく! ってねばったんだから。置くところがないから結局仏間に置かれて、ぼくはちょっと気まずい思いで勉強してるんだぞ。
批判されたわけではないのに、妙な反発心を覚えてしまう。それを飲み込んでぼくは「へぇ……まぁ……」とよくわからない返事をした。
そしてゆきみさんはあるものに気がついた。
「お、きみは絵が得意なんだね」
「夕日に染まる大雪山連峰」で佳作をもらったときの賞状は遺影の横に並んでいた。賞状もここに飾るか……と思ったけれど、凡人のぼくがいきなり脚光を浴びたことで浮かれた母と祖母は意に介さずに賞状をりっぱな額縁に入れて飾ったのだった。
ぼくはそのことを思い出して急に恥ずかしくなった。
「いやぁ……べつに。これ嘘なんで」
「え! 嘘ってどういうこと?」
「写生の宿題で描いたんですけど、ぼくは実際にないものを描き込んだので」
そこで「夕日」の件を簡単に話した。
「夕日」の話を誰かにするのははじめてだった。話しながら、ぼくはこのことを誰かに言いたくて仕方なかったんだと気づいた。たぶんぼくは「夕日」の件で罪悪感をずっと抱えていて、誰かに懺悔をしたかったんだ。けれど誰にも言えなかった。
でも、目の前にいるゆきみさんなら言っても大丈夫なんじゃないかと思った。だってゆきみさんはやる気がなさそうだったから。数年後にこの町に戻って教壇に立っているとは思えなかったから。教育実習が終わったらもう会うことはないだろうとなぜか確信を持てたから。ぼくは自分の罪を吐き出してスッキリしたかった。どこまでもずるい奴だ。
そして「水槽」はぼくにとっての罰なんだと思った。罪をつぐなうまでの間、ぼくは「水槽」にいなければいけない。それがいつまでなのかはわからない。誰かに話すことで、自分の頭にぐるぐると渦巻いていたものがきれいにまとまっていく感じがした。ぼくはいまの状態と、自分の罪と罰を納得することができた。
ゆきみさんは「ほぇ〜」と間抜けな相づちをうちながら、こともなげにこう言った。
「それって、嘘じゃないじゃん。きみなりの“彩り”じゃん」
「えっ?」
「べつに誰かをだまそうと思って描いたわけじゃないでしょ?」
「いや、まぁ、そうだけど……。でも実際にないものを描いちゃダメでしょ」
「べつにいいんじゃない? わたしだって顔に実際にないものたくさん描いてるよ」
ゆきみさんはそう言って目元を指差し、不敵な笑みを浮かべた。真近で見ると、目元は黒く囲んであって、まぶたは茶色のグラデーションになっていた。
「自分で言っといてなんだけど、あんまり見ないで。汗で化粧落ちかけてるから」
まじまじと見ていたぼくは赤面して目をそらした。ゆきみさんはぼくの挙動がおもしろいらしく、「まじめだねぇ〜」とからかい気味に笑った。
そしてゆきみさんはこう続けた。
「ありのままで勝負できたらそりゃ強いけど、顔でもなんでも、うま〜く嘘をついて、自分とまわりの人がハッピーになるんならそれでいいと思うよ」
ぼくは絶句してしまった。言っていることがわかるようなわからないような、不思議な気持ちになったからだ。
「たまき先生みたいにありのままの人がいると、ちょっと申し訳ないけどね。あ、これ誰にも言わないでね」
ぼくはうなずいた。うなずきながら、ゆきみさんの言ったことを反芻し続けていた。その後はなんでもないことを二言三言交わし、ゆきみさんは祖母に丁重なお礼を言って借りた自転車に乗って帰っていった。
ゆきみさんが自転車を返しにうちに来たのはあれから10日ほど経った後、教育実習の最終日だった。
ゆきみさんは壊れた自分の自転車を車に積むと、菓子折を祖母に渡して丁重なお礼を言い、ぼくに「ありがとう!」と言って白い封筒に入った手紙をくれた。
“大人の女性”から手紙をもらうのももちろんはじめてで、ぼくはどぎまぎした。
ゆきみさんが去ってから、ぼくは誰もいないところで手紙を開けた。
手紙には自転車のお礼とこの町の思い出が綴られていた。ラブレターなわけないとはわかっていたが、ちょっとだけがっかりした。しかし最後の箇所はぼくの胸に響いた。
「きみは口が固そうなのでここで暴露しますが、わたしは先生にはなりません。実習で先生になりたい気持ちが芽生えたらなろう! と思っていたのですが、とうとう芽生えませんでした。お世話になった先生や生徒たちには迷惑のかからないようにつとめたつもりですが、やる気ねぇなって思われてたらスイマセン。あいつヤバかったよね〜と悪い見本にとらえてもらえたらと思います(笑)
先のことは考え中です。きみとはご縁があったので、大人になってどこかでばったり会うかもね。その頃にはきみがどうなったのか教えてください。りっぱな絵描きになっていたりして! 楽しみにしています。
勝手なことばかり言ってスイマセン。人間は勝手な生き物です。きみもまじめに考えすぎず(でも勉強は大事です)、勝手にハッピーに過ごしてくださいね。それじゃあお元気で!」
ゆきみさんを「先生」と言わなかったのは、手紙に「先生になりません」とはっきり書かれていたからだ。ゆきみさんらしい、素直で清々しい手紙だった。
読みながらこないだのことを改めて考えた。ゆきみさんも「嘘」をついていたんだな……。
ぼくはゆきみさんが言っていたことがなんとなく飲み込めるような気がした。
ゆきみさんがいなくなってからもぼくの「水槽」の日々は続き、「ありのまま」で「強い」たまき先生の授業を受け続けた。つまり日常は何も変っていないのだが、ぼくは自分が少しずつ変化していることを自覚するようになった。
ぼくは、自分の「本当」を飲み込まないように意識するようになった。
話し相手がいないので誰からも気付かれないが、ぼくは自分の好きなものや楽しいことにさらに目を向けるようになった。
自分の好きなものや楽しいことを考えていると、足につける魚のヒレみたいなものを装着したような「泳ぎやすさ」を感じた。
そうしているうちに、「嘘」は罪じゃなく、「水槽」も罰じゃないとわかった。もちろん悪い場合もあるけれど、どちらもこの世界に当たり前にあるもので、ぼくが今までそれに気づかなかっただけなのだ。
社会という「水槽」の中で、ぼくはぼくなりの泳ぎ方をして生きていかなきゃいけないのだ。
ぼくの日常は相変わらずつまらないことや窮屈なことが多いけれど、ゆきみさんのおかげで少しだけ将来が楽しみだと思えるようになった。
大人になってゆきみさんとばったり会い「……になりました!」と胸を張って言う自分を想像した。「……」の部分は考え中だ。
まぁたぶんこの先会うことはないだろうけれど、それでも想像するのが楽しかった。
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