半年間で友達と信用をいっぺんになくした話《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:河原千恵子(プロフェッショナル・ゼミ)
時はバブル崩壊が近づきつつあった、30年近く前。
20代のOLだった私はその時期、かなり行き詰っていた。
異動した先の新しい部署では仕事ができな過ぎて、毎晩9時近くまで残業していた。
仕事の担当者とも気が合わず、コミュニケーションがまったくとれなかった。
結婚はしていたが、パートナーは留学先の外国にいた。彼の心はすでに私から離れていて、連絡もほとんどない。
それでも家族や友人には相談できず、一人で悩んでいた。
ある日、そんな私に長年知っている年上の女性から連絡があった。
私の会社の近くまで来るから会いたいという。
少し戸惑った。彼女とは親しいわけではなかったからだ。ずっと前から知っている割に、いつもどこか私に冷たく、距離を置かれていたので、嫌われているのだと思っていた。
しかし久しぶりに会ってみて驚いた。
彼女は別人のように温かい雰囲気になり、親しみ深く話しかけてくれた。
孤独だった私はいつのまにか、彼女に仕事や私生活の悩みを打ち明けていた。
ひとしきり話してから「なんだか、雰囲気が変わったね」と私が言うと、彼女は顔を輝かせて答えた。
「実はね、あるセミナーに行ったの」
そしてある自己啓発セミナーの名前を口にした。
自己啓発セミナーとは、当時アメリカから日本に上陸して、どんどん勢力を広げていた、「4日間で自分を変える」というふれこみの心理学セミナーだ。
「それって、どんなことをするの?」と興味しんしんで聞いてみたが、内容は極秘で、絶対に人には教えられないらしい。だが、かけがえのない体験で、自分ばかりでなく、一緒に参加した人たち全員に変化があり、人間関係も劇的によくなったという。
もしかして私も変われるかもしれない。目をキラキラさせて語る彼女を見ながら、私は思った。現に目の前の彼女がこんなに優しく、いい感じに変わったのだから。
ネックは、12万円という参加費用だ。12万円といえば、当時の手取りのほぼ1か月分。
だが今のこの、人間関係のどん詰まりが打開されるのなら、12万円を投資する価値は、あるかもしれない。
私は思い切って4日間のセミナーに申し込んだ。
ここにひとつ大きなポイントがある。
メンタルが弱っている人は、正常な判断力を失いがちだ。
いつもなら決して買わないような高額商品にワラにも縋る思いで手を出してしまうことがある。
自分が弱っているなと感じたら、大きな決断は後伸ばしにするか、ぜひ信頼できる人に相談してほしい。
4日間のセミナーの初日、広いシアター形式のセミナー会場に集められた参加者は、200人近かったと記憶している。後から知ったことだが、私が参加したちょうどその時期、似たような内容の自己啓発セミナーは全盛期を迎えていて、4つくらいのメジャーな会社がパイを奪い合っていたらしい。
まず「トレーナー」と呼ばれる厳格な表情をした男性が壇上に現れた。
その男性は高圧的な態度で恐怖感を与えて場を掌握し、会場いっぱいの参加者を十分足らずで心理的服従状態に導いた。
参加者は確かに若い人が多かったけれど、30代後半以上に見える人もいたし、女性も男性も同じくらいいた。みんな常識のありそうな大人たちだった。たぶん普通だったら、セミナー講師がそんな態度を取ったら多くの人は帰ってしまうか、怒ってキャンセル料を請求するだろう。
実際、一人二人抗議をする人もいたような気がする。
その人たちは言い負かされるか、出ていくように言われたと思うのだが、残念ながら記憶があいまいだ。
それでも大半が残ったのは、いろいろな理由があると思うが、さすがに12万円払って開始早々帰るのはもったいないという気もちは多くの人が持っていたと思う。
私の場合も怖くてすぐにも帰りたいと思うビビリな自分と、12万も払ったのだからもう少しだけ我慢してみようというケチな自分が戦った結果、ケチが勝った。
その後は場所を移し、閉鎖された空間でグループやペアを作り、「実習」と称してお互いの欠点を面と向かって言い合ったり、他人に言えない秘密を打ち明けたり、「私は絶対できる」と何度も連呼するなど、心理的に追い詰められるようなワークをした。
また、全員参加のゲームでは、アシスタントが一人一人をチェックしていて、全力で参加していないと「傍観者」「あなたは日常生活でもいつも逃げているでしょう」などと私がどこかで気にしている部分を指摘される。するとなぜか「この人たちは私を知ってくれている」という奇妙なありがたさを感じるのだった。
あるいはまた七、八人のグループを作り、そのなかでリーダーを決めて、責任を持たせるということもした。一つのグループ内でさらにペアを作って電話番号を教えあい、セミナーから脱落しそうになると電話をかけて説得したりもする。
いつしかグループのなかでは不思議な連帯感が生まれ、「この厳しいセミナーを終えたら、なんだかわからないけれども素晴らしい成果が待っている、そのためにともに頑張ろう」という高揚した空気が支配する。弱音を吐く仲間には皆で励ましたり、檄をとばしたりした。
人を心理的なテクニックで操作することを決して肯定するつもりはないけれど、この文章の目的は特定のセミナーの主催者やメソッドを糾弾することではないし、自分の意志で参加を決めお金を払って会場まで行った自分を被害者だとも決して思わない。
けれどこのように、人は日常経験しないようなやり方で感情を揺さぶられると、自分で思うより案外簡単に思考停止状態になってしまうということを、心に留めておいていただければ幸いだ。
プログラムの構成としては、最初は参加者を「下げる」過酷な糾弾系のものが多いが、後半になると次第に抒情的な音楽を流して涙を流させたり、拍手でたたえたり温かい言葉をかけたり励ましたりといった「上げる」感動系の方向に向かう。グループ内の絆もどんどん深まり、かえがえのない仲間を得たような気がしてくる。
最後はただただ感動と涙とハグで終わり、4日間をやりとげた私は「これだけつらい日々を乗り越えた自分」に妙な達成感を覚えた。このまま日常生活でも、積極的で明るい自分で生きられるような気がしていた。
しかしセミナー翌日からもう、現実に直面する。
会社に行ってみると、仕事は相変わらず手際が悪く、残業続きで心はあっという間に疲弊した。
留学先のパートナーに電話をしても、時差のせいかいつも機嫌悪く、すぐに切られてしまう。
セミナー会場での達成感は、疑似的な現実のなかでの幻に過ぎなかったことをすぐに痛感することとなった。
私、何も変わっていない。
そんな失望感に襲われていると、まるでころあいを見計らったように、セミナーのグループでアシスタントをしてくれた人からアフターフォローの電話が来た。なつかしさから、思わず正直に現状を打ち明けると、親身になって聞いてくれ、次のステージである、同じ主催者の合宿セミナーに誘われた。
合宿は、宿泊費もあり、セミナー時間ものびるため、確か35万円だった。
給料の3か月ぶんだ。
振り込むときには手が震えた。
しかし、不思議なもので、最初よりも高額であるにもかかわらず、2回目には心理的なハードルが下がるのだった。
もしかしたら、第一段階のセミナーでは足りなかったぶんを、第二段階で取り戻す。そんなせこい期待があったのかもしれない。セミナー終了時の感動は、第一段階よりも素晴らしいのかもしれない、という期待もあった。
そうして私は合宿にも参加した。
貸し切りバスで行ったホテルはどの駅からも遠く、歩いて逃げ出せる場所にはなかった。1回目よりもさらに過酷な状況で、自分と対峙することになった。
しかし幸か不幸か、その合宿の内容の記憶がほとんどないのは、そこでの出来事よりもそのあとの記憶がつらすぎるので、自分でその半年くらいの記憶をまとめて消去してしまったのではないかと思われる。
ともかく、合宿から帰ってすぐに次の第三段階のセミナーに参加を決めたことを考えると、きっと自分ではある程度納得のいく内容だったのだと思う。
第三段階はそれまでの金額を思うと、ただに近いような安い金額だった。
それには理由があった。
そのセミナーは「今度は他人の人生に違いを起こす」というのがテーマだったのだ。
言葉はもっともらしいが、やることはひたすら第一段階のセミナーへ知人を勧誘することだった。
セミナールームにはずらっと電話が並んだ部屋があり、その部屋へきて何時間も電話をかけるように誘導された。
おりしも世間では「24時間戦えますか?」というスタミナ飲料のCMが全盛を迎えていた。「24時間電話しまくれ」はセミナールームの合言葉だった。
正直、そのころまでには私はかなり疲れていた。
人見知りでコミュニケーションの苦手な当時の私にとって電話一本かけるのも、人と会うのも、一大決心だったのだ。
でも私は気力を振り絞り、何人もの人に電話でアポイントメントをとり、会って話した。
当時の自分がいったい何を考えていたのか、どんな衝動につき動かされていたのか、今となっては想像することも不可能だ。
ただひとつあのころの自分を弁護するなら、「これは素晴らしいセミナーで、あの感動をみんなに味わってほしい」と信じていたのだと思う。とても愚かだったけれど。
その結果、多くの大切な先輩後輩、友人や知人が離れていった。
従弟も勧誘し、おじから私の母に苦情が来て、親にも迷惑をかけた。
会社での信用も失った。
クビにならなかったのは幸運だったとしか思えない。
誘う側を経験してもうひとつ、わかったことをお伝えしたい。
人をセミナーに誘うとき、その一言を言われるともう終わり、という言葉があった。
「(いいものかもしれないけれど)私には必要ない」と「あなたのようになりたいとは思わない」だ。確かにそういわれるとぐうの音も出なかった。
もし何か勧められ、断れなくて困ったらぜひこの2つを試してみてほしい。断固とした口調で言うのが効果的だ。
そんな日々の終わりは唐突にやってきた。
その日も、セミナーの仲間と集まっていた。
初めて、一人で街頭に立ち、見知らぬ人をセミナーに勧誘するという、今考えれば恐ろしい「実習」だった。
夜8時を過ぎていただろうか。
私は渋谷のNHKに近い公園通りで、何人もの人に声をかけたけれど、もちろん無視され続けた。
これで最後にしよう、と思って声をかけたのは、おそらく40代くらいの男性だった。メガネをかけ、比較的ラフな服装だったが、きちんとした印象だった。
「あの、私の話をきいてくれませんか」
私は言った。
その男性は私の様子をじっと見てから、「何かの勧誘ですか」と静かに言った。
「宗教とかじゃないんです」と、私は言った。
「ただ、少しだけ話をきいていただければ」
男性は私の目を見た。憐れむような、心配しているような目だった。
「じゃあ、ここじゃなんだから、お茶でも飲みましょうか」と彼は言った。
そのとたん、私の中で何かが起こった。
言葉にするなら「目が覚めた」とか「われに返った」というのが一番ふさわしいような気がする。
私はひどくあわてふためき、「いえ、いいんです」とかなんとか口のなかでつぶやき、男性にお辞儀をしてその場を去った。
その日が私の勧誘の終わりだった。
今でもその見知らぬ男性の静かな言葉と、心配そうな、気の毒そうな、けれどもどこか慈しみ深いまなざしは忘れることができない。
うまく言えないが、彼の目の中には確かな「正気」のようなものがあった。
この人にはかなわない。そんな気がした。
それまでの私はいわばセミナーの世界にどっぷり浸って、偏った精神状態だった。
自分が傾いていることに、まっすぐ立っている人に出会って、初めて気が付いたのかもしれない。向き合っていたのはきっと、1分にも満たない時間だったと思うけれど、あの出会いに今でも本当に感謝している。
こうして私のセミナー人生は半年ほどで終わりを告げた。
大切な人や信頼関係をたくさんなくしたから、今でもよい教訓になったと思うまでには消化できていない。
けれど、苦い経験だからこそ、誰かの役にお役に立てれば幸いです。
*これは1989年当時の個人的な経験であり、「心理学セミナー」「自己啓発セミナー」と称されるセミナーには有益で、自己の成長に役立つものもたくさんあります。この文章は「心理学セミナー」「自己啓発セミナー」全般を否定するものでは決してありません。
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