プロフェッショナル・ゼミ

すべては『量』が、解決する《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:永井聖司(プロフェッショナル・ゼミ)
 
暑い、疲れた、足痛い、もうイヤだ、帰りたい……。
今からおよそ10年前の5月、京都にて。僕の頭の中は負の感情でいっぱいになっていた。
中学校の修学旅行以来で京都に来たというのに、全然楽しくない、を通り越してしんどい。盆地の京都、恐るべし。ムシムシジメジメした暑さは、成人前の、まだ体力の衰えなんて知らなかったはずの僕の体を、精神的にも肉体的にも容赦なく蝕んでいった。
来るんじゃなかった……。
僕の前を軽い足取りで歩く先輩や同期のゼミ生、そして僕の3倍以上の年齢だった女性教授の背中を見て、そんなことさえ、本気で考えていた。
 
「京都に行って1日中、美術館や寺社仏閣を巡る」と、『古美術研究』なる授業の説明を聞いた時は、楽しそう! と、素直に思った。
その時僕は、実家のある栃木から引っ越して、北海道の函館にある大学に通っていた。そして本当にひょんなことから、美術とはまるで関わりのない人生を送ってきたというのに、日本美術史ゼミという、その名の通り、日本の美術の歴史を学ぶゼミに所属していた。『古美術研究』はゼミの恒例行事で、基本的には全員参加となっている。
まだゼミに入りたてで、美術に関する興味はゼミに入る前とほぼ変わらずほとんどゼロに等しかった僕にとって、授業の内容に不安がなかったわけではないけれど、『京都に行って遊べるならそれで良いか!』ぐらいの軽い気持ちで考えていた。
 
そして迎えた古美術研究本番当日。
始まってみて驚いたことは、事前の説明にまるで嘘がなかったことだ。それは、僕の想像していたことよりも更に10倍ぐらい、事前の説明に忠実な内容だった。
『大学生だから、どうせ遊ぶんでしょう?』なんて考えていた甘い妄想はいとも簡単に打ち砕かれ、朝から一日中、京都市内を動き回った。お寺に行き、美術館に行き、またお寺に行き、ちょっとお昼を取ってまた美術館に行って更に美術館に行って夕食を食べて、夜は疲れ切っているので遊ぶことなんて考える暇もなく寝る。といった日々がおよそ三日間ぐらい続くのだ。
ちょっと待て、ガチすぎる!
そう思わずにはいられなかったけれど見知らぬ京都の土地で逃げ出すわけにも行かず、僕はただただみんなの後をついていき、よくわからないまま、寺社仏閣や美術館の中にある美術品について頭の中に詰め込んでいった。
そして最終日。しんどさも極まった僕は、イラ立ちさえ感じるほどになっていた。
この時の感覚は、不思議と今でもはっきりと思い出すことが出来る。何を見たのか、どこに行ったかということはおぼろげになってしまったというのに、その時の負の感情は何故か、はっきりと。
しかしそれは、体力的にやられていたせいだろうと、ずっと思っていた。でも今更になって、そうではなかったのかも、と思うようになってきた。
そのきっかけをくれたのもまた、京都だった。もっと正確に言えば、京都からの通信だった。
 
「とにかく量なんだよね」
画面の向こうにいるその人、黒い服に眼鏡の男性、天狼院書店店主の三浦さんは、お決まりのその一言を言った。
その日は、天狼院ライティング・ゼミプロフェッショナルコース、第8期の最終講義の日で、僕は、京都の店舗から配信されている動画を、リアルタイムで眺めていた。
ここで言う『量』というのはつまりは記事を『書くこと』であり、ライティング・ゼミ、もしくはライティング・ゼミプロフェッショナルコースに所属する人ならば、イヤと言うほど聞くことになる言葉である。
「毎日記事を書いて、その中から1番良いものを提出してくださいね」
と言うのは、ちょうど1年前、初めて受けたライティング・ゼミの講義の際にも確かに三浦さんは言っていた。しかも笑顔で、当然でしょ? と、言葉の裏に込められているのがハッキリとわかるように。
それから1年通い続けていれば『量』、『書くこと』という話はそれこそ耳にタコが出来るぐらい聞いてきた。
カメラマンでもある三浦さんから、「プロの人が言う枚数の倍、一月で撮影するようにしている」という実例を筆頭に、とにかく量、量、量、量、量! と、量を絶対神とする話を1年間聞いていれば当然のごとく毎日のように記事を書くようになり……ということには残念ながらなっていないのだけれど、量を絶対神とする考えは、確かに僕の中に根付いた。
しかしそれは、僕自身の美術との関係の中で、腑に落ちたのだった。僕と美術の関係で言えば『量』とはそれすなわち、『見ること』だった。
 
京都での苦痛の時から約10年の時が経った今僕は、あの体験が嘘のように、美術にハマっている。今思えば、なんであの時、もっとしっかり見ようとしなかったのだろうか!? と悔やむぐらいだ。
長期休暇ともなれば、現在住んでいる広島から、京都や東京に遠征し、1日3〜4の美術展や寺社仏閣をハシゴし、年間では50〜70ぐらいの展覧会に足を運んでいる。Facebookでは美術展に行ったごとぐらいしか更新しないし、「趣味は?」と聞かれれば、「美術鑑賞」と答えていたこともあってか、同僚が旅行する時にはおすすめの美術館や展覧会を聞かれるまでになった。
「まさかここまで美術にハマるとは思わなかった」というのは、他の誰よりも僕自身が言いたいことだ。
しかしここまでの境地に来れたのも、大学時代での京都での経験がしんどかったと記憶されているのも、全ては『量』なのだと、今は思う。
『美術を見る』という経験自体がなかった人間がいきなり京都に行って、いきなり美術作品を見ろと言われても、楽しめるわけはない。それは、横で解説してくれている人がいるとか、事前に展覧会に関する勉強をしてきたかどうとか言う問題ではなくて、そもそも『見る』という行為を受け入れるだけの器が出来ていないのだから、いくら作品情報という水を目一杯注ごうと思っても、こぼれてしまうのは当然なのだ。だから頭はオーバーヒートを起こし、イラ立ちもしてしまったし、しんどかったと記憶されてしまった。そしてそのしんどかった記憶は、成長痛のようなものだと思うのだ。
京都からの一件が終わって、すぐに僕が美術好きになったというわけでもない。その後着実に、ゼミでの勉強や展覧会に行く量を増やして、自力で、器を広げてきたおかげで、今は1日に沢山の作品を見ても、京都の時のようなしんどさを感じることはなくなったのだ。1日で動く量、年間でインプットする量も、確実に大学時代よりも増えているのに。その上、体力は学時代と比べるほど格段に下がっているにも関わらず。
だからこそ今僕は、美術の各ジャンルにおける自分自身の『器の大きさの違い』も、はっきりと感じ取れるようになってきた。一言に美術とは言っても、中身は多種多様だ。絵画あり、彫刻あり、工芸品あり、しかもその上で西洋のものや日本のもの、アジアのものと分かれれば、細かくジャンル分けしようとすれば無限に近いぐらいあるのではないかと思えるほどだ。その中でも僕は、日本や西洋問わず絵画ジャンル、また仏像に関しては、『量』を見てきたおかげで器が広がり、簡単になら他人に説明できるようにもなってきた。一方で、今話題の刀剣ジャンルについては知識もなく、未だにどのように見て良いのかわからないことがあるのが実情なのだけれど、この実例こそが『量が全てなのだ』と、改めて僕自身に教えてくれるように思うし、まだ広げられていない器を広げられる可能性があるうのだと思えば、それさえ楽しく思えてくる。
この『量』の考えは、何にだって応用が出来る。ライティング・ゼミで考えてみれば、2000字の課題提出が課されていた時の前半や、プロフェッショナルコースに移って5000字が課題になった時の前半の方が、やはり辛かった。どうやって書いていけばよいのか、どんなネタを書けばよいのか、悩みに悩んだ。それでも1年やって、少ないながらも数を重ねてみるとやはり、5000字を書くことが苦痛ではなくなったし、ネタ切れをするということも無くなってきた。仕事でもそうだ。僕自身、僕に向いていないなと思いながら移ったコールセンター管理業務や研修の管理業務ではあるけれど、『量』を通して、様々な成功や失敗を経験することで、同僚たちからの信頼を得るようにまで成長することが出来た。
 
全ては、『量』なのだ。だからこそ、量が足りていないとツラくて、成長痛のような痛みが伴う。しかしそこを乗り越えれば、楽しく思える時がやってくる。身長が伸びて、見える景色が少しずつ変わるように。
このサイクルを知っていれば、大丈夫。
うまくいっていない時、ツライ時は、『量が足りないからツライのだ。だから、量を重ねればなんとかなる!』そんな魔法を自分に掛ければなんとかなる、そんな風にさえ、思えてくる。
 
青い日記帳著、『いちばんやさしい美術鑑賞』は、そのことを、まざまざと教えてくれる1冊だった。著者の青い日記帳さんは、美術研究家ではないけれど、1年に300以上の展覧会に通う、アートブロガーである。しかもそれを大学時代から続けてきているというのだから、ざっくり30年としても既に9,000以上の展覧会を、1回あたり平均100の展示物があるとすれば、90万もの作品を生で見てきた計算になる。
それだけの『量』をこなした人が書く美術鑑賞入門書『いちばんやさしい美術鑑賞』の説得力とわかりやすさがどれほどのものかは、説明するまでもないでしょう。西洋と日本の人気の作家、しかも日本にあるアートばかりを15作品選んで、それらの解説を通して、美術鑑賞をする上でまず最初につまずくであろうポイント解説してしまう手腕は、当然ながら私なんかには、まだまだできそうにはないと絶望すると同時に、強烈に羨ましいものでもあった。こんな本を、「美術館に行って、実際にこの作品を見てみたい!」と、強烈に思わせるだけの『量』が、確かにこの本からは感じられた。
それは、なかなか超えられる『量で』はない。1年に見る展覧回数がそもそも、4倍近く違うのだ。それに本を読む限り、『見る』だけではない、作品にまつわる関連書籍もかなりの量を読んでいることがわかる。
 
でも、絶望することはない。出来ない、と思うことはない。
全ては、『量』だ。
 
青い日記帳さん曰く、
『美術鑑賞を何年か続けていると必ずセザンヌの真の魅力が来るものです』
ということらしい。
僕はまだこの境地にさえ、達していない。
まずはここを目指して、『量』をこなす。
 
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