プロフェッショナル・ゼミ

梅雨になると思い出す《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高林忠正(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 平成元年6月24日土曜日、横浜は朝から激しい雨が降っていた。
 
 その年の春、百貨店に勤務していた私は、東京の店舗から横浜支店に異動した。
同じ首都圏と思ったものの、多摩川、鶴見川を越えるだけで東京とは品物の嗜好も異なった。
横浜という、ある意味、ローカル色のある土地柄だった。
 
 店舗を持った小売業は、立地条件に左右される。
私が勤務した横浜支店は、横浜駅というターミナルから、ことのほか距離があった。
駅周辺のライバルの百貨店や、ダイヤモンド地下街などの各種商業施設の後塵を拝していた。
お客さまにとってみれば行きにくい店舗だった。
お客さまにとってみれば、横浜駅周辺の買い物で用が済むともいえた。
 
 
 店舗にご来店されるお客さまが少なかった。
 店舗の入り口には、お客さまが来店するたびに、人数がカウントされる機械が設置されていた。集客策を考え実行する販売促進部門は、支店長に報告する数字が少ない場合は、バイトに出入り口を出たり入ったりさせながら、水増しの来客数を報告したりしていた。
赤字の店舗は、どうしてもジリ貧になりがちだった。
 
 その日の午前9時、開店の1時間前、担当する紳士靴下やセーターの販売の準備をしながら、「この雨だと今日は開店休業だなぁ」と心の中でつぶやいていた。
激しい雨、そしてターミナルからの距離。
来店されるお客さまが少ない以上、「今日は開店してからどうやって過ごそうかなぁ」と勝手に思っていた。
 
 午前10時、開店のチャイムが鳴り響いた。
「おはようございます!!」
社員は自分の持ち場に立って、大きな声で一礼をする。
1日の販売の始まりである。
 
 店舗のドアが開き、BGMのリズムに乗って、お客さまがご来店される。
BGMが流れる間の約3分間、自分の担当するセクションで立ったまま、ご来店されるお客さまに「いらっしゃいませ」とあいさつをすることが決まりだった。
 
 ヨハンシュトラウスの『美しき青きドナウ』のリズムの流れるなか、私は5階の上りエスカレーター前に立っていた。
その朝は激しい雨のせいか、BGMが終わってもお客さまは誰一人、エスカレータで上がってこなかった。
 
「いよいよこれは、開店休業だぞ」と確信した。
 
1フロアあたりの面積は、銀座三越よりも広いにもかかわらず、平均来店数は銀座店の約1/4。
見渡すと、社員だけが目立っていた。
 
 店頭で、いつご来店されるかわからないお客さまを待ち続けることは、ストレスが溜まるものである。
シフト勤務の関係から、食事の休憩は午後2時からだった。それまでこの持ち場を離れられないと思うと、ますます気が重くなっていった。
 
 繁盛していない店舗だった。
横浜店の収益はいつも赤字で、会社全体の収益の足を引っ張っていた。
1980年代以降、売上高の目標を達成できない月日が続いていた。
 
 午前でありながら集中が途切れそうなそのときだった。
 
「ちょいと店員さん」
背後から声がかかった。
なつかしい江戸弁だった。
 
とっさに振り返って、“いらっしゃいませ”と言った私の前に、60代後半と思われるご婦人が立っていた。
 
「ちょっと、ボーッとしてないで、私の買い物手伝っとくれよ」
 
ご婦人は、藍色の絣(かすり)の着物に薄いグレーのレインコートを羽織っていた。
足元はゲタばきだった。足先には、雨用のカバーがかかっていた。
左手に大型の傘を持っていた。
 
地下街からのエスカレーターではなく、ひさしのない1階からエレベーターで上がってきたのだろうか、和服のレインコートの肩と背中には、水滴が残っていた。
 
 こんな天候でもご来店されるお客さまっているんだと、いささかフェイント気味に感じながらも、すぐに心はいつものステートに戻った。
 
 あらためて
「いらっしゃいませ」と言った。
 
「殿方の靴下をお使い物(ギフト)にしたいんだけどさ、見せとくれよ」
 
 イントネーションは、以前よく営業をした、東京の下町、日本橋人形町界隈で話される感じかなぁ、いや待てよ、あの目黒のお客さまもこんなしゃべり方をしていたなぁと思いながら、紳士靴下コーナーへご案内した。
 
考えてみれば、横浜に来て初めて聞いた江戸弁だった。
 
 紳士靴下コーナーの前で、「こちらでございます」とショーケースを指し示した。
「端から見せとくれよ」
 
 紳士靴下は、1アイテムにつき、紺、黒、グレーの3色の展開となっていた。
それが約40アイテム。ガラスのケース3台に120〜130種類の靴下が並んでいた。
 
 季節は6月、綿素材が中心だった。
 
 まずは、名の知れたものからいこうと思うあまり、総合アパレルメーカーの品物を手に取って、ガラスケースの上に置いた。
 
靴下からシャツやセーター、さらにはスーツに至るまで製造している日本を代表するアパレルメーカーのものだった。
通勤用の速乾性のあるもの、綿100パーセントのもの、さらには、綿と麻の混紡(まざったもの)の3アイテムだった。
 
ご婦人は手に取った。
 
 右手の親指と人差し指で靴下をつまみながら、素材を触り始めた。
何も言わずに3種類を次々に触れてみた。
 
「違うんだよね」
 
一瞬何が違うのかと思った。
 
別のものがいいのだったら、ということで、こんどは、靴下メーカーの品物5アイテムをケースの上に出した。
 
「では」と言いながらご婦人は手に取った
こんどは、取っては触り、取っては触ってすぐに終わった。
 
「他は?」
 
このメーカーの品物がお気に召さないとは意外だった。
内心、口やかましいお客さまだなぁと思いながら別の品物をケースの上に置いた。
 
 海外ブランドの紳士靴下だった。
日本でOEM(日本のメーカーがそのブランドを生産すること)生産している品物だった。
その3種類を触ったものの、論外という顔をされた。
 
 何が違うんだろう?
靴下って、履いてみたらそんなに遜色あるんだろうか?
違いっていっても、分かってんのかなぁ?と、なぜかこのご婦人に対して半信半疑になってきた。
 
とにかく紳士ケースの中にある品物を順番にケースの上に置いて、お客さまの判断を仰いだ。
 
次々に品物を出したものの、ご満足いただけなかった。
 
触るなり、まさに「NEXT!」の連続だった。
 
 私たちの百貨店が自信をもって販売しているプライベートブランド(百貨店が企画して、独自ブランドで生産するもの)も、もはや問題外だった。
 
「こんなんじゃないんだよね」
 
にべもなく、ダメ出しされた。
 
プライベートブランドでダメなら何が残ってるんだろう?と思いながら、順番に品物を出した。
 
こちらの気持ちとは裏腹に、ケースの上に置かれた品物に対して、「違う」、「他は」、「……」の連続だった。
 
 こうなったら、すべての品物を見てもらおうじゃないか
何かこちらもヤケクソになってきた。
本当は事実だけしか見てはいけないのに、自分のなかではいろいろな感情が巻き起こっていた。
 
 気がつくと、紳士靴下コーナーにご案内して20分が過ぎていた。
120種類のうち、すでに8割のチェックが終わっていることに気づいた。
 
正直言って、判断できかねていた。
 
 もし、紳士靴下コーナーの品物を全部確認していただいて、ご満足いただけなかったら、どうしたらいいんだろう?
とも思い始めていた。
 
 そのころになると、新たな靴下をご紹介するたびに、私の顔には不快な表情がでていたのかもしれなかった。
 
 最後の3アイテムをケースの上に置いた。
お客さまもこれがケースの中の最後の品物とわかっていた。
こんどはより入念に、右手の親指と人差し指で触れながら繊維の感触をチェックした。
 
指を靴下から離した。
 
少しの間下を向いて言った。
 
「他にはないのかい?」
 
 
 そのとき、新入社員時代に先輩から教えられた「ひとこと」が思わず口から出そうになった。
 
 店頭に出ている品物以外の在庫がない場合の常套句、それは
「ここに出ているだけなんですよね」だった。
 
お客さまにあきらめていただく場合の言葉は、店頭の在庫に対して、サイズ違いや、色違い、あるいは別の材質の品物をのご希望は叶いませんよと、暗に示唆するものだった。
 
 このフレーズをお客さまに言うと、九分九厘、お客さまは品物を探すのを諦めた。
 
いわば、お客さまにとって、満足の追求を放棄せざるを得ない言葉ともいえた。
 
「ここに出ているだけなんですよね」が思わず口から出そうになったが、ご婦人の目を見ると、その言葉を呑み込んだ。
 
 ふと、バックヤードの返品予定の品物を思い出した。
紳士靴下コーナーの片隅に置いたものの一足も売れなかったことから、店頭から下げて、メーカーに返品しようとしていたものだった。
それは本社からの推薦で納品された、埼玉県行田市の足袋屋さんの製造した紳士靴下だった。
聞いたことのないメーカーの品物だった。
 
 これが最後だよな。
特別期待するまでもなく、段ボールごと店頭のご婦人のもとへ持っていいった。
 
「あのう、これは行田の足袋屋さんのものなんですけど」
 
ダンボールから品物を取り出して、ケースの上に置いた。
 
 お客さまは品物を手に取って、じっと眺めていた。
次に、いままでと同じように右手の親指と人差し指で繊維の感触を確かめていた。
こんどは靴下を少し引っ張ったりした。
さらに表面をさすったかと思うと、もう一度、親指と人差し指で感触を確かめた。
 
 すると、急に彼女の瞳が見開かれた。
 
「そうなんだよ。この風合いなんだよ!!」
「今のような梅雨時には、このシャリ感なんだよ」
 
“風合い”と”シャリ感”。
その感覚は持ち合わせていなかった。
 
 お客さまの反応を通じて、その品物とは何たるかを教えてもらうことになった。
 
それまでは、恥ずかしいことに、この紳士靴下の存在も価値もまるで分かっていなかった。
足袋屋の製造した靴下といことで、自分なりの偏見を持っていた。
 
 この品物をこんなに喜んでいただけるなんて……
ダンボールには50足あった。
納品されてから、一足も売れていなかった。
売れていないというよりも、売ろうとしていなかった。
 
「全部いただくよ」
ご進物用に2足ずつ箱詰めをすることになった。
 
 2足ずつ25箱。雨も降っていることから、お届けすることになった。
お届け先は、横浜の隣町の桜木町の野毛、現在のみなとみらいと線路をはさんで反対側の野毛山公園近くの料亭だった。
 
ご婦人はその料亭の女将さんだった。
 
聞くところによると、東京は、日本橋堀留町で生まれて、戦後、横浜に嫁いできたとのことだった。
 
 30年来、梅雨時は、ひいきにしてくれる横浜の旦那衆へ紳士靴下を贈っていた。
6月も下旬になると、日本橋の百貨店でこの靴下を求めていたという。
たまたま今日は雨が降ったことから、東京ではなく、私の勤務する横浜支店にご来店されたとのことだった。
 
 25組の紳士靴下セットは手で持ち帰ることのできない量だった。
雨は降り続いていたが、宅配便ではなく、私がお届けすることにした。
 
お客さまのお店は桜木町から徒歩で7分ほどの坂の上にあった。
横浜市中区野毛
 
港町・横浜の奥座敷のような雰囲気の街並みだった。
 
横浜にもこんなところがあることを知った。
 
「雨の中悪かったねぇ」
「明日でもよかったのに……」
 
そんなことはできないと思った。
それまでの私は、見た目や、つたない自分の経験だけで、物事を判断していたことに気づかされた。
 
 どんな品物にも意味があると知った。
この日、人に向き合い、品物に向き合うことを教えていただいた。
 
 お客さまがいなくてもできることはある。
雨だからと言って、開店休業なんてとんでもなかった。
 
 お客さまのもとで、昭和を代表する天才歌手、美空ひばりが亡くなったことを知らされた。
「杉田(横浜市磯子区杉田、京浜急行の杉田駅の南側)の魚屋の小娘が、昭和21年にここ桜木町の国際劇場から全国へ羽ばたいていったんだよね」
 
「彼女の歌には励まされたねぇ」
昭和20年代の横浜は、決して豊かとはいえなかった。
 
「今日はお嬢の涙雨かねぇ」
 
あれから30年、梅雨になると、あの時のご婦人を思い出す。
 
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