選択拒否症候群《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:山田あゆみ(プロフェッショナル・ゼミ)
例えばファミレスに行く事になった時、昔の私は「決められない人」だった。
何を食べるか決めるのに、ものすごく時間がかかった。
カレーも美味しそうだけど、でも、うどんもいいし、ハンバーグもいいな。ただハンバーグについてくる野菜がふにゃってしてたら嫌なんだよね。うどんは、わざわざここで食べなくてもいいかな。でも、ちょっと胃が疲れているから、この場合は最適? いや、待て、カレーの方が今の気分に合ってるんじゃないか? でも、万が一こぼしたら今日着ているブラウスは白だしな。
ぐるぐるぐるぐるあらゆる可能性が頭の中を駆け巡り、考えれば考えるほどわからなくなる。
あぁ、もう誰か決めて。
あんたが選んだのと同じでいいや。
そんな事を言って友達に白い目で見られた事もしばしば。
しかも、結局決めた後に食べながら思う。
ハンバーグにしたけど、ちょっと重いな。やっぱり、うどんにすれば良かったかも。それか、カレーだ。カレーならもっと野菜も取れたし、身体に優しかったし、あぁそうするんだった。
だから、当然のごとく人生の選択の度に私は悩み、迷い、決めきれずに苦しむのだった。
大学時代、友人に先生になろうと思うと告げた事がある。
当時、進路に悩みまくっていた。どれくらい悩んでいたかというと、夜眠れないくらいだった。寝不足で、寝ぼけていたせいで家の中で椅子につまずいて、こけたくらいだ。それで、なんだか不安や迷いや、色々なものが弾けて、わんわん床に座り込んで泣いたくらいだ。
それで、とにかく短い人生の喜怒哀楽を心のアルバムから取り出してきて、引っ掻き回して、自己分析の本を一冊やり終えてやっと、私は誰かの人生をちょっとでも良くすることに携わりたいと思って、よし、それなら先生だ! と夜中の2時にやっと決心したのだ。
その末に出した私の神妙な結論に、友達はこう言った。
「でも、その決心また変わるんやろ?」
いや、待てい。こんなに考えて出した結論なんだぞ。そんな簡単に変えないから。
でも、その数ヶ月後、私はその結論をひっくり返し、大学院に進学することを決めた。
研究者になろう、と思ったのだった。
それもまた、何度もやった自己分析というやつをやり返し、そして多分、私には研究の方が向いていると結論付けたからだった。
でも、結局今の私は一般企業で働いている。
あの友人が言った通り、私の決断は揺らぎまくってばかりだ。
大学院に進学したのだって、その時は、私は研究の道でやっていくんだと思っていたし、そのつもりだったけど、もしかしたら、今思えば決めることから逃げた結果だったかもしれない。大学を出て一生の仕事を決めるのが怖かったのだ。
猶予をもらったようなところがあると思う。
私はとにかくいつも怖かった。
他のもっといい答えにたどり着くかもしれない「可能性」を失うことが。
カレーよりハンバーグより、うどんより、もっといい答えがあるかもしれない。
「選ばなかった方」を作るのが怖かったし、それを後から後悔するのが死ぬほど怖かった。
そうして、私はこの怖さに打ち勝つ方法として、
「そっちの方が、可能性が広がりそう」という道を選び続けることにしたのだった。
高校受験だってそうだった。
とりあえず進学校の、しかも人気のとこに行けたなら、自分の可能性が広がるだろう。
この先、何だって選べるだろう。
高校でも、とりあえず一番いいクラスに行っておけば、そこから何でも選べるだろう。
とりあえず難しい方にしておいたら、可能性が広がる。
そうやって選び続けた結果、選択肢は確かに広くなったかもしれない。
でも、いつかは決めなくてはいけないのに、その決断の時を、私はひたすら先延ばしにしてきただけなのかもしれなかった。
決められないから、可能性が広がりそうな方にしておいて、そして決めるのを先延ばしにした。
そうやって逃げているだけだった。
そして今、また決断をしてくださいと私は言われている。
就職さえすれば、もう進路というやつに悩むことも迷うこともないんだろうと思っていた。
職につくまでは、何度も何度も目の前に「分かれ道」があって、それを選び続けなくてはならない「選択ゲーム」をやり続けなくてはいけない。
でも、それが終わって仕事が決まったら、もう私はメリーゴーランドに乗ったも同じだと思っていたのだ。
同じようなことを日々繰り返し、ゆったりと生きていくのだ。
もう、これ以上決めなくていいんだ、とホッとした。
私を欲しいと言ってくれる会社があって、そしてそれは自分の好きな英語をふんだんに使える場所だったから、私はラッキーだなと思っていた。
これで、もう安心だ、もう大丈夫だ。
優しい音楽と共に楽しく生きていこう。もう何も決めなくてもいい。
それなのに、社内で大きなプロジェクトが終わった今、私はこれからどんな仕事をするのか自分で選びなさいと会社に言われた。
ある程度慣れているルーティンの仕事をやり続けてもいいよ。そしたら今得ている環境そのままで仕事していけるよ。多分定時でだいたい帰れるよ。プライベートの充実ができるよ。
でも、少しチャレンジングな仕事をやってみてもいいよ。責任も与えよう。こっちは、これからどうなるかわからないけどね。異動も出てくるかもしれないし、外にどんどん出ていくことも多くなるよ。
どっちがいい?
普通は、きっとそんな「選択の余地」さえ与えられずに次の仕事を割り振られることが多いんじゃないか、と思う。
部署は、選ぶことが出来ないことが多いだろうし、どっちがいいですかなんて普通はあまり聞いてもらえない。
小さな会社だからこそ、希望を汲もうとしてくれている。
今後どうしていきたい? と聞いてもらえる環境にいる。
めちゃくちゃありがたいことだ。
でも、どっちがいいのか。どれがいいのか。
それをいざ決めて下さい、あなたが決めた通りになりますから、と面と向かって言われた時に感じたのは、大きな恐怖だけだった。
メリーゴーランドに乗っているつもりだったのに、気づけば選択ゲームの舞台に戻って来ていた。
どっちの選択にもいい面、悪い面がある。
当たり前だ。どんな選択肢も、だいたい魅力的な部分と、マイナスな部分があるのだ。
カレーは、野菜もお肉も入っているし、だいたいどこで食べてもまずいということがない。
でも、スパイスが多すぎて辛すぎるかもしれない危険があるし、万が一、こぼしたら落ちにくいし、カロリーが高い。うどんは胃に優しいけど、野菜不足になる。
もういっそのこと、私に聞かないでくれ、と思った。
もう勝手に決めてくれたらいいのに。
勝手に、あなたはこの部署です、今度からこの仕事ですって言ってくれたらいいのに。そしたら、こんな選ぶ恐怖を感じずに済む。選ばなかった生活に後悔だってない。
あぁ、私はなんて怖がりなんだろう。
自分のことなのに。
でも、怖い。
現実逃避のために、延々と会社がこう言ってくれたらいいのにという妄想を繰り返していた。
そして、何度も何度も、そうするうちに、気がついてしまった。
私は、どっちがいいのか決めるのに迷っていたわけじゃなかったんだと。
会社に言って欲しい言葉は、もう決まっていた。
繰り返される妄想の中、上司はいつも「挑戦しろ!」と言った。
そこで繰り返し挑戦したらどうなるかばかり、そればかり考えていた。
そうだ、私は、挑戦しろ! と言って欲しかった。
難しいかもしれないけど、もしかしたら、今得ているプライベートの充実、家族や友人との時間、そんなものを失って辛くなるかもしれないけど、それでもやってみろ! と言って欲しかった。
そう言って欲しいってことは、そうしたいと自分が思っているということだ。
どっちがいいかは、既に決まっていた。
ただ、私は、そう宣言することから生じる責任に怯えているだけだったのだ。
辛くなった時に、自分が選んだんだろう? と、自分で自分を呪うのが怖かった。
得るものがある一方で、失うものがある。今得ている仲間との楽しい時間や、場所や、そういったものを失うのが自分の選択の結果であると認めるのが怖かった。自分から手を離すのが嫌だった。だって、大事なのだ。仲間が大事だし、家族が大好きだし、友達のことを大切に思っている。慣れた仕事を続けたなら、彼らとのかけがえのない時間を失わないですむ。
だけど、私は一度しかない人生で、どうしてだろう。こんなにも大切なものがいっぱいあるっていうのに、それでもなお、もっと難しい仕事がしたいと思っている。もっとやってみたい。先は見えないのに。ストレスがきっと増えるのに。
責任は増して、人を管理しなくてはいけないことになっていって、大変なのに。多分、失敗も増えるし、怒られることも自信を無くすことも多くなるのに。
でも、いくら大変なんだぞ。できるの? 多分、きついよ。心細いことも増えるよ。
そういくら自分に言い聞かせてみても、心はやってみたいと言っている。それ以外はもう考えられなくなっている。
気持ちが、そうする。それ以外ないと言っている。
私は、ここで勇気を持たなくてはいけないのだ。
自分で選ぶ、勇気を。
昔の私はファミレスでメニューを決められない人だったけれど、段々とメニューを決めるのにそこまで時間がかからない人になっていた。
自分でルールを決めたのだ。
どうせどれも魅力もあれば欠点もあるのだから、最初にインスピレーションでこれが食べたいと思い浮かんだのにする、と。
そうすると、あまり他のメニューに未練を感じなくなった。
なんだ、人生の選択だって、同じことだったんだな、と思う。
責任を引き受けて、心が望む方を、勇気を持って選ぶことにしよう。
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